復讐戦

 山に出ると、木漏れ日に照らされて水たまりがきらめいていた。

 後ろを振り返ってみるが、降りてきた階段はなく、また屋敷の姿も見えない。隠の隣には地蔵があった。


「……こっそり出てきたけど、良かったのかしら」

『良い良い。話しても面倒なだけじゃ』

「そうね。で、どうすればいいの」


 妖刀の男が四六時中この山にいるとは思っていない。相手の居場所も知らないのだ。襲撃しようにも無理であろう。


『簡単じゃ。やつが仕掛けたという札をはがしていく。これで相手がわしらの居場所を特定して襲ってくるじゃろう。迎えうてばよい』

「札はどこにあるのよ」

『麓まで降りて、あとはわしが霧になって探せば良いじゃろ』

「なるほど」


 一通り、朧の考えを理解したところで山を下っていく。元々登山をしていたわけではないため、さほど距離はない。

 ほどなくして、周りが霧に包まれた。朧が札を探し始めたのだ。


『あった』

「どこ」


 朧の指示した場所へ向かう。ついてみると、なるほど確かに札が貼ってあった。隠にはわからない文字がぐにゃぐにゃと書かれている。

 札をはがし、次を待つ。


『木々ひとつひとつ見るのは、思ったより手間がかかるな』

「自分から始めたんでしょ。我慢しなさい」

『わかっとる……おっと二枚目だ』


 同じように札をはがしていく。隠としては楽な仕事だった。同じことを繰り返すだけの、ただの作業だ。

 全てはがし終わったころには日が沈み始めていた。山の麓を一周し、一枚一枚はがしてきたのだ。それだけ時間はかかる。

 やがて霧が収束し、小僧の姿を取る。


「よし、次だ。わしの背中に札を貼ってくれんか」

「は?」

「使うんじゃ。ええじゃろ」


 髪をかきあげて、隠に背中を向けてくる。隠は言われた通り、札を朧の背中に貼っていく。

 背中は、温かくも冷たくもなかった。呼吸の気配もない。当然だ、生きているわけではない。偽の体だ。


「本物の体じゃないのに意味あるの」

「札に込められた力を防御にまわす。妖刀は魔を断つ力を持っているからこそ、畏れられているものだ。妖刀と普通に打ち合いをしたら、わしが死ぬかもしれん」

「死ぬの、あなたが」

「それがないようにしているんだ。あぁ、安心しろ。妖刀でわしが死んでもお主は死なぬ。そのときはどうにかやり過ごせ」

「……わかったわ」


 全て貼り終わった後、朧は背中をまるめて、座り込んだ。顔を覗き込んでみるが、目を瞑っていた。

 隠は周囲の警戒に意識を切り替える。今のところ人の気配はない。

 夕焼けの空を見上げ、野宿の準備でもしたほうが良いか思案する。旅の道具はおきよに預けてしまったため、何もない。何もないが、山の中であれば、水は川が、肉は動物が、火は木があれば十分だ。一日過ごすくらいはわけない。優先するならば火起こしであろうか。

 山の中を風が吹き抜ける度に、かさかさ紙の揺れる音がした。朧の背中から札が剥がれて飛んでいく。朧は何も気にする様子もない。

 風がなくとも、地に落ちていくものもあった。朧にとっては用済みの札、なのだろう。


「よし終わった」


 朧は手を叩き、立ち上がった。霧に姿を変え、隠の体に戻っていく。

 ぽっかり空いたところに朧が入っていくのを感じる。しかし、今はその感覚だけではなかった。


「……これ」

『いつもと違うか』


 頷く。

「温かい。なんだか不思議な感じ」

『ほう』


 体の底から温かさが広がっていく。心臓から手や足の末端に向けて、だ。体が浮くような、不思議な心地よさがあった。

 隠は体を慣らしながら、口を開く。


「……ねえ、朧は」


 朧と話をしようとして、すぐさま口をきつく閉じた。

 ――誰かが近づいてくる。


『話は後だ』


 朧もそれを察したようだ。声から緊張が伝わってくる。


『武器は何をご所望だ』

「とりあえず刀ね」

『了解した』


 隠の手元に刀が形成される。

 隠す気もない足音。警戒のない、軽やかな歩み。

 夕日が沈み、世界が紅に変わっていく。木々の奥で、影が浮かび少しずつ大きくなる。

 体格からして男だろう。肩幅がある。背は隠とさほど変わらない。

 顎の線は細く、中性的な顔をしていた。鼻は高く、瞳は鷲のように鋭い。


「あなたが島を襲った人、でいいのかしら」


 刀を向ける。すると、相手は歩みを止めた。


「……へえ。まだ生き残りがいたんだ」


 声変わりのしていない、少年特有の高めの声。

 少年は、腰からゆっくり刀を引き抜きつつ、後ろの髪を振り乱す。馬の尾のようであった。


「角が見当たらないけど、隠してるのかな」

「合ってるし、合ってないわ」


 体は鬼ではないが、鬼がいる。


「なんだそれ。ま、いいや。他のやついたでしょ。男と女の子のやつ。出してよ」


 無言で返す。相手に話す気はもちろんない。


「そっか。死にたいんだね」


 自信に満ちた態度で、少年は刀を構える。

 地と平行に刀を持ち、体を縦にした刺突の構え。

 一目でわかった。形だけは整えているが、素人の構えだ。重心、姿勢、構えるまでの体の動き、どれも安定感がない。とはいえ、鬼を虐殺した少年だ。油断していい理由にはならない。

 隠は脱力して、自然体のままで向かい合う。まずは様子見だ。

 少年がわずかに重心を低くする。隠は感覚を研ぎ澄ませ、攻撃を待った。


「じゃあ」


 そして、視界から少年が掻き消えたかと思えば。


「さよなら」


 間合いはすでに詰められていた。

 鋭く放たれる突きを、隠はほぼ勘で避けた。同時に、少年の背後を取るように回り込む。

 だが。


「にぃ」


 目の前に少年の顔があった。口の端を歪めて、吊り上げる。後ろに回り込んだはずだが、いつの間にか向かい合っていたのだ。

 悪寒が、走る。刀が振り下ろされる。

 隠は頭の上で刀を横にし、攻撃を受ける。

 瞬間、とてつもない衝撃が、体を襲った。岩塊でも受け止めたようであった。

 歯を食いしばり、耐える。

 刀の峰に左手を当て、強引に受け流す。そうして、距離を取った。


『きつい、な』

「朧平気?」

『あぁ。ちと痛いだけだ』


 どうやら、刀になった朧にも痛みがあるらしい。妖刀の魔を断つ力とやらのせいだろう。あまり長引かせるわけにもいかなくなった。

 とはいえ、こちらが攻めたとしても、相手に刃は届かないだろう。単純に少年のほうが強いからだ。であれば、狙うべきものは決まってくる。


「死ね」


 袈裟切りが飛び込んでくる。隠は刀を横薙ぎに振るった。

 刀がぶつかり、せめぎ合う。隠は左の指を二本立て、相手の死角から目に向けて突き出した。目つぶしだ。

 これには少年もまずいと思ったのか、大きく飛び退く。互いに距離を保ち、牽制し合う。


「へぇ、鬼のくせにやるじゃん」

「あなたは大したことないわね」

「よく言うよ。ついてくるので精一杯なくせに」


 そこには嘲りがあった。


「朧」

『なんじゃ』

「悪いけど、耐えて」


 返事を待たず、隠は攻めに行った。

 身を捻り、遠心力を加えた横薙ぎを少年に向けて放つ。少年は無論、これを受け切る。しかし、隠は止まらなかった。素早く上段に切り替え、振り下ろす。少年もこれに応じる。

 そうして一合、二合と……しのぎを削る攻防が繰り返される。

 最初のうちは隠が優勢であった。少しするともう、少年が逆転した。

 攻撃の速度も威力も押し負け始めてから、隠は受けに転ずる。攻めようとはせず、ただひたすら叩き込まれる攻撃を受け流した。

 剣戟の響きが木霊する。


『うっ、いっ! おい隠、いつまでこうしてるつもりだ』


 黙ったまま答えない。口を緩めれば即座に斬られるためだ。

 感覚を研ぎ澄まし、血液を燃やして動き続ける。

 刀同士がこすれるだけで火花が散り、打ち合いは加速する。

 業を煮やしたのだろうか。少年の、たださえ力任せだった攻撃が、腕ごと叩きつけるような大振りに変わっていく。隠の防御を突破しようとして、速度も威力も上げてきた。


 まるで嵐のような猛攻。流す暇は隠にはなくなった。隠にできるのは受けることのみ。受ける度に腕全体に痛みが走り、痺れた。隠は表情一つ変えず、受け続ける。腕が痛もうが痺れようが、些細なことだ。腕を斬り落とされるよりは良い。今は、おぼろが折れないことを祈るばかりである。


 隠も無茶をしているが、少年も同じだ。相手を斬ろうとするあまり、一撃一撃の粗がより一層目立った。ゆえに予測しやすく、受けやすい。


 そして、徐々に徐々に、少年の剣速が衰え始めた。少しずつだが、隠に余裕が戻ってくる。ほぼ反射的に受けていた攻めを、再び流していった。


 頂点まで達した速度は、落ちていくのが早い。少年の動きはやがて、わずかな隙を生み出した。


 隠はすかさず、少年の首元目掛けて刀を振るう。少年は刀を慌てて受け、後ろへ跳ぶ。


 まだだ。


 後退した分、隠は前進した。間合いを離さず、休む暇など与えない。


「ぐっ」


 ここに来てようやく、少年の唇が歪んだ。

 なぜか。

 相手も自分も動き続けている。息をする間もなく、だ。

 つまり、どれだけ息を止めていられるかが重要になってくる。

 相手のほうが速かろうが力が強かろうが凌げれば良いのである。相手の攻めを耐え続け、相手の隙を攻める。


 そうして逃げ場をなくし、「息を吸う」という大きな隙を生み出すのだ。


 刀を交えると、少年の疲労が伝わってきた。対して、隠のほうに疲労はほとんどない。腕の痺れが残っているが、隠にしてみればないのと同じである。

 先ほど「大したことない」と言ったのは挑発ではない。真実だった。

 確かに、少年は隠を上回る速さと力を持っている。ただ、練度がない。なりふり構わず全力で刀を振るい、隠の剣を受け流さないのが何よりの証拠だ。

 熟練した者であれば、相手より上回った速度を利用して手が飛ぶ、足が飛ぶ。だが、少年はそれもしない。単純に刀を振るう以外に戦い方を知らないのである。

 そんな相手になど、隠が劣るわけがない。


「かっ!」


 そして、隠の狙った通り、少年は大きく口を開けた。

 待ちに待った隙だ。隠が見逃す理由もない。

 しかし、少年は無理やりに体を動かし、刀を振るってきた。これでは刀は少年に届かない。


 構わない。


 隠は、斬った。妖刀、その側面を叩くようにして、斬る。

 一層強く火花が散り、視界が強く瞬く。

 甲高い音。軽くなる腕の感覚。

 それは、狙い通りに事が運んだ結果であった。


「……へ?」


 少年の顔が青ざめる。驚愕に染まる。

 折れていた。

 少年の妖刀がである。武器というのは消耗品だ。力任せに振るい続け、弱い部分を叩かれればこうなる。妖刀だからといって折れないという道理はない。

 相手のほうが強いのであれば、狙うべきはその強さを削ぐことだ。


『よし、やれ!』


 隠は半身になり、刀を少年に向ける。そうして喉元目掛けて突きを放った。

 吸い込まれるように刃は迫っていき――


 ――そして喉の直前でぴたりと止まってしまった。

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