策
「――ま、結局順康の噂など聞く事なく、今日、息子から久方ぶりに名を聞いたんじゃがな」
いやぁ、なつかしい。朧は笑いながら、鈴音を見た。
鈴音は泣いていた。
「悲しい、話ですね」
「順康の父から親子三代わしに振り回されたようなもんじゃから、悲しいだろうな」
「あなたのこともです」
え、わし?
朧が自分を指さすと、鈴音が頷いた。
「大事な母君を晒しものにされ、仇と憎まれ、そんなの、あんまりです」
両手で顔を抑えて泣く。
「変なやつじゃのう」
「あなたのほうが変です」
演技ではなさそうだった。涙を流し、嗚咽を漏らし、震えた声で朧と話す。それが、不思議であった。
こんな語りで感極まってしまうのもそうだが、鬼が死んだ話なぞ獣が罠にかかって死んだのと変わらないであろう。人間にとって妖の認識とはそういうもの。害がいなくなって得というのが方が適切だ。
「そら、ずっと前の話じゃし」
母の死は当時こそ嘆き悲しみ、憎悪に身を焦がしたが、それをずっと持ち続けていられるほど生物の時は止まるようにできていない。
「もう、わかりました」
鈴音は涙を拭うと、立ち上がってこちらに近づいた。両手を広げて、朧の体を抱きしめてくる。
「おい、何しとる」
温かった。頭を撫でられ、子どものように扱われる。
確かに朧の姿は子どもと大差ないが、それでも年下に慰められるとは思ってなかった。
「よし、よし」
優しく言葉をかけられる。
正直心地良かったが、それ以上にまずいと思った。
体の中で気が膨れ上がる。鈴音の体質だ。隠していた角が強制的にむき出しになり、頭の中に破壊衝動がわいてくる。力が有り余って、どうにか発散したいと体の中が暴れだす。
朧は霧になって、鈴音から離れた。そして姿を現す。
「……嫌でしたか?」
「たわけ。己の能力をよくよく思い出すことじゃな」
「あっ……すみません」
しゅんとしてしまう鈴音。その姿が朧には異様に美味しそうに見えた。口が知らぬ間に開き、涎が溢れそうになる。朧はそっと、それを拭う振りをして腕に噛みついた。
はっきりと牙で穿たれた穴が出来るが、血が流れる前に傷を塞ぐ。
「貴様ら人間から見て鬼というのは行儀の良い生き物ではない。無闇に力を与えるな」
「こちらの心配をしてくださるのですね。やっぱりあなたは優しい鬼です」
「……たわけ」
朧は乱暴に座り込む。鈴音も静かに座った。
「ところで、嫌でしたか?」
「何が」
「頭を撫でたことです」
視線をそらす。
「答えたじゃろ」
「答えてません。嫌だったのかどうかは重要です。はっきり言葉にしてくれないと」
鈴音は口元を隠す。
「泣いちゃいます」
「……嫌だと言ったら」
「嫌だったのですか?」
泣きそうになりながら、鈴音が問う。
朧は己の右手を見て、そっと自分の頭にのせてみる。
「……悪い気はしなかった」
「そうですか。なら良かった」
鈴音は笑顔を浮かべる。
「さて、もう遅い。明日に備えて眠るといい」
「朧はどうするのです」
「どうするって、出てくが」
「行って、しまうのですか」
袖を掴むような勢いで、鈴音は寂しげな表情に変わった。身を乗り出して、目を伏せる。
「鬼にいてほしくもないだろう」
「朧なら大丈夫です」
「どうしてそこまで信用する」
「朧だからとしか」
朧は鈴音を睨んだ。
「味方になるかもしれぬからか。厄介な大嶽を滅ぼすかもしれぬから」
「違います!」
鈴音は叫んだ。
「……え、えっと。考えます。今朧に伝わるような言葉を考えますから」
うーん、と唸り、鈴音は考え込む。
「少し夜風に当たってくる」
「そのままいなくならないでくださいね」
「すぐ戻ってくる。お主は考えておけ」
ため息を吐き、朧は鈴音の部屋を後にした。
〇
屋根の上で庭を見る。庭では男たちが酒盛りをしていた。宴というにはあまりにも下品な飲みっぷりであるし、溺れるように飲み、食い、挙句の果てには吐いている。
「うっわ」
朧はその様に引いていた。あと二日。とはいえ、今夜中であるから一日しか猶予がないと考えるしかない状況で、酒に溺れる意味がわからなかった。
「あそこまでいくと情緒も何もないとは思わぬか」
朧が視線を向ける。その先には屋根に上ってきた法玄がいた。
「許してやれ。もうすぐ全てが終わるかもしれないのだ。今くらい逃げてもいいだろう」
「太刀打ちできるのはお主だけならあやつら逃げれば良いだろうに」
「一秒でも姫様のために尽くしたいのよ。それにここでどうにか出来ねば次は家族だ」
「お主は混ざらぬのか」
「生憎と準備で忙しい」
「わしと駄弁るのは構わんのか」
「酔ってなければ、な」
隣に法玄が座る。
「どうだった姫は」
どうと問われても。
鬼の為に泣く変なやつだったとは言えない。感想を言えと言われても、思いつかない。
「抱きしめられた」
「なんだと!」
法玄が一番嫌がりそうなことを言ってやると、法玄はたちまち鬼の形相を浮かべ、札を数十枚両手に展開して構えた。
「子ども扱いされただけよ」
「それも許せんが、力に呑まれていないか?」
「会話できとるじゃろ? あぁ、そうそう」
朧はほいっと右手を法玄に差しだす。
「なんだ」
「お主の力。わしに直接流せるか」
「霊力か? なんだ、大嶽に負ける前に死ぬつもりか」
「どういうもんかと思ってな」
法玄が腕を組む。同時に札を袖の中にしまい込んだ。
「言っておくが霊力は札や術式、呪文を介さねばほとんど意味をなさぬぞ」
「妖に実際傷を負わせてる力は霊力とやらなのだろう? いいから流してみてくれ」
「腕をもぎ取ったり」
「せぬ」
こほん、と咳ばらいをして法玄は手を掴む。
「死んでも恨むなよ?」
瞬間、腕を不快な感覚が襲った。まるで千本の針が体を徐々に侵食し、内側から肉を裂いているかのような激しい痛みが朧を悶えさせる。
「あ、が」
何が意味をなさない、だ。
朧は法玄に対して暴言を吐きながら、目を瞑って意識を鎮めた。千本の針を一本一本束ねていく。己の力、妖力で抑え込もうとすると潰れてしまう為、ゆっくり気を巡らせて、針の流れを変える。
曲げて束ねて、球体に。
「もうやめていいぞ」
「遠慮しなくていい」
言いながらも、注がれる霊力が止まる。
「妖の体には随分と脅威になる力のようだな」
朧は霊力をせき止め、こねる。丸める。伸ばす。丸める。そして腕から心の臓まで、霊力を呑み込んでいく。
朧は呑み込んだ霊力を妖力で潰す。あえて受けただけであって消すのはたやすい。
「あいわかった。よし」
「して。どうするつもりだ」
笑みを浮かべる。鬼らしく凶悪に、冷酷に。
「お主に話がある、いろいろとな」
〇
朧が戻ってくると、鈴音は正座をして待っていた。
「おう、眠っておらぬのか」
「はい、足が痺れました」
真剣な表情で鈴音は返す。自分の胸に手を当て、大きく息を吐いた。
「考えました」
「何を?」
「あなたを信用している、私の心の内を言葉にすることです」
「あ、あぁ。そういえばそんな話しておったの」
朧は両膝を床につき、姿勢を正して座る。
「私と会ったとき、あなたは素直に自分のことを話してくれました」
「諦めてたとも言うが」
鈴音は頷く。
「そうかもしれません。でも、その後、大嶽が現れたとき、あなたは盾になるように前に立ってくれました」
「守ると約束したからな」
「実践した、というのはとても重要です。そして、大嶽とは会いたくないといいながら、大嶽相手に守ろうとしてくれたのも」
「……突発的じゃったし」
「わが身がかわいいなら約束なぞ無下にすればよかったのです。ですが、あなたは出会ったばかりの私を、都合の良いものと考えず、真に守ろうとした。だから大丈夫だと思ったのです」
「……騙すためにはまず信頼を得ねばならんからな」
「狡猾であれば、この場にいないでしょう。あなたに得なんてありません。私を喰らって、逃げて、それでいいでしょう」
安堵したような息を吐き、鈴音はこちらを見る。
「だから大丈夫です。あなたならきっと私を守ってくれる。それに」
鈴音は朧の手を握る。
体が反応し、底から力が沸き上がってくる。しかし、それ以上、朧の体に変化は訪れなかった。
「どうにか、しようとしてくださってるでしょう」
「まぁな」
「むしろ私が聞きたいです。どうしてです? どうして私を守ろうとしてくれるのですか」
朧は静かに手を伸ばす。握られた手を振り解き、鈴音の両頬に触れる。
「どうして、か」
顔を近づけ、額をつける。
「あ、あの」
鈴音の瞳が泳ぎ、頬が心なしか赤くなる。
「大嶽に喰わせるには勿体ない、良い目をしておる」
手を、額を離す。
「わしはどうやら、お主を見捨てられそうにない」
鈴音は呆けた顔で、朧を見つめる。
頭を撫でてやる。
「信じておれ。ここにいる全てのものを」
鈴音は俯き、こくりと頷いた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます