朧という鬼
そして、襲撃当日。
山が黒雲に包まれる。朧は屋敷の入り口で腕を組んで立っていた。
腰には刀を一本下げている。吉兼の、ではなくただの刀だ。後方にある屋敷は既に結界に包まれている。十二天将と呼ばれている式神のうち、「勾陳」と呼ばれる黄金の大蛇が半球の結界にとぐろを巻いて朧を見下ろしていた。法玄曰く、敵対するものは勾陳が丸呑みにする……が、それで大嶽に勝てるわけではないらしい。あくまで十二天将の分身であり、十二天将そのものではない為、力も十全ではないのだとか。もどきであろうが、最高峰の者を召喚できる法玄の実力には舌を巻く。
法玄を含めたすべての人間は屋敷内だ。侵入された時に備えて準備をしている。つまり大嶽と戦うのは朧のみだ。
「さてと、どこまでやれるかのう」
朧は正面を見る。大嶽の気配が正面から迫ってきていた。巨大な妖気が少しずつ近づいてくるのがわかる。
「……ほう、まさか貴様の顔をここで見れるとは」
黒い肌に、短く切りそろえられた金色の髪。細い金の瞳。大嶽であった。大袈裟な装飾の施された衣装に、右手には長剣、左手には右手の剣の半分ほど短い剣を持っている。背中に巨大な輪剣が浮かんでいる。
「もしや我の|嫁《もの⦆になる決心がついたか?」
唇を歪め、大嶽が金の瞳を輝かせる。
――そうだ。
朧の容姿は男とも女とも取れる、長髪の子どもの姿をしている。それ故に、女と勘違いされ、求婚されたのが始まりであった。
「わしは男だと言うておるだろうが」
「能力でおなごにもなれるだろう? それに、その反抗的な態度。屈服させたらさぞや可愛らしい姿になるだろうよ」
傲慢な態度で、大嶽は右手の剣を振るった。屋敷を丸ごと輪切りにしてしまうような巨大な真空の刃が朧に飛んできた。朧は右手をかざすと刃を掴み、妖力に任せて握りつぶす。
「鈴音……姫は何のために狙ってる」
「無論、我が鬼神となる為の糧にするのよ」
鬼神。文字通り、鬼の神。妖力を高め、術を極め、神に等しい存在となった鬼としての至高の姿。今や伝説にしか残らない、幻の存在。
朧はため息を吐いた。
「その珍妙な剣三本あれば、十分鬼神じゃろ」
「まだだ、神を名乗るには、まだ力が足りん。万能が足りん」
「困ったものよのう」
朧は頭をかく。
「それにな、朧よ」
左手の刀が振るわれる。距離があいていた朧と大嶽の間が埋まり、首筋に左手の剣が当てられる。
「全力の我に傷を与えた貴様がいる」
大嶽の周りを霧が漂い始める。朧の霧ではない。
これは瘴気という。妖として一線を画す強さを持ったものが、あまりに膨大な妖力が漏れ出して瘴気となる。
人や動物にとって、凶悪な毒であり、病であり、呪いである。
朧には無意味だが。
「力の使い方が陳腐なんじゃお主は」
左手を大嶽の胸に当てる。そして妖力で大嶽を叩いた。
すると大嶽の背後にある輪刀が光り、朧と大嶽の間に光の鏡を発生させる。そして、朧が送り込んだ妖力がそのまま返ってきた。
「ほい」
朧は左手に先程よりも強力な一撃を送り込む。跳ね返された一撃を呑み込み、光の鏡を砕き、直接大嶽を叩いた。
「ふん」
大嶽は後ろに大きく飛ばされたが、すぐに踏みとどまった。
「右の剣は斬撃が飛んでくるだけ。左はよくわからぬが、別に大した芸ではない。後ろが出す鏡は攻撃を返している間にもう一撃加えれば対処できる。それだけじゃ」
「負けた癖に言うではないか」
「そりゃ、お主の方が圧倒的に強いし」
朧は深く呼吸をし、気を練り上げる。
「なら我の方が強いとわかって、なぜ屋敷の前にいる。人間に絆されたか? それともやはり我のものになる為か」
「命を救われたのと、乙女の涙一回分じゃ」
「は?」
「なぁに、もらった分働くというだけよ」
「そうか。なら」
大嶽が右手の剣を振るう。一瞬で、七度。
「貴様の苦しみ、許しを請う姿を堪能させてもらおう!」
朧は素早く屈みこむ。後ろにのばした右足で地面を蹴り、突撃する。両腕を交差させ、七つの巨大な刃を真正面から突き破った。
拳を握る。
輪刀が反応し、鏡をつくる。朧は右手で殴り、続けて回し蹴りで鏡を砕いた。
大嶽が左の剣を振るう。突如現れた大嶽の分身が朧の回し蹴りを受け止め、脚を掴む。そして地面に叩きつけようとした。
朧の体が地面に叩きつけられる前に霧に変わる。霧から体を元に戻し、頭上から踵を落とす。鈍い音を立て、分身の頭が潰れた。
空中の朧に向けて、八の斬撃が飛ばされる。朧は両手を組んで、振り下ろし、斬撃をまとめて叩き落とした。
大地は割れ、雲は吹き飛び、木々が叫ぶ。
二つの災害が自然を蹂躙し、互いを喰らわんと欲す。
沸騰する血に、朧は口の端を吊り上げる。それは、大嶽も同じだった。
「いいぞ! その表情だ! もっと我に見せろ!」
次々殺到する大嶽の分身を、朧は鋭利な爪で引き裂き、脚で首を捉えて折り、首筋に食らいつき、屠る。血しぶきが舞い、視界が悪くなったであろう瞬間で赤い霧に姿を変え、大嶽本体に一撃浴びせる。
「いかに霧と言えど、凍れば同じよ」
朧の頭上に、千の氷剣が降ってくる。
「見た見た。見飽きたわ!」
朧は右拳を引き、その右拳に糸を巻き付けるように左手をかき回す。稲妻が右手に走り、風が舞う。
突き出した拳が暴風を生み出し、氷剣を全て砕いた。
「こっちだ、朧!」
大嶽の口から地獄の劫火が吐き出される。朧は、大きく足を振り上げ地面に叩きつけた。そこから発生した衝撃波が劫火を消し去る。
それを踏み込みとし、朧は大嶽を肉薄した。
鏡に妖力を纏わせた左拳を当てる。
「はぁ……ふんっ」
背中の筋肉を膨張させ、後ろ足で踏み込み、力を伝える。
鏡を突き抜け、大嶽の体をくの字に曲げて山から追放する。
「――零勁」
拳を引き、残心する。
これで終わるなら朧は負けてはいない。一息つくまでもなく、大嶽は目前に戻ってきた。右手の剣を直接朧に当ててくる。
朧は両手で全ての攻撃をそらす。そして、隙をついて打撃を加えていく。一撃一撃は軽く、大嶽をひるませる事はできない。だが、それは時間が解決する。
顎への縦拳。それが当たると、大嶽はのけ反ってひるんだ。朧は息を吸い、左拳に紫電を絡ませる。
しかし。
「喰らえ!」
体を戻した大嶽の口に、黒い玉が出現する。呪詛の編まれた、妖力の塊であった。それが光線となって朧を襲った。朧が霧になったところでそれごと焼き払うだろう。
朧は両腕を立てて光線をまともに受けた。
そして全てが黒に塗りつぶされた。
〇
地面に転がる。
「前も貴様を屈服させた技だ。どうだ、同じ技で致命傷を負う屈辱は」
「ごぼっ」
黒い血を吐く。大量の呪いが朧の体を蝕む。
「ふん、見ろ。張りぼての守護神が消し飛んだぞ」
大嶽に声を掛けられ、屋敷を見る。黄金の蛇が頭を焼かれ、消滅を始めているところだった。結界の方は無事らしく、形を保てている。恐らく光線を全て受けきって結界を守ったのであろう。
「いい加減我のものになれ」
「ぺっ」
唾を吐く。
大嶽が左の剣を振るうと朧を蝕む呪いから黒い炎が出現し、朧を焼いた。
「あぐぅっ!」
「いい……いい顔だ。もっと、もっと泣け!」
右の剣から十の斬撃が飛び、朧の体をずたずたに引き裂いた。朧は膝を尽き、血を吐く。吐いた血が、黒い炎で燃えていた。
「息を吸えば炎が肺を焼くぞ。せいぜい焼かれんようにしろ」
朧はよろめきながら下がり、追い詰めるようにゆらりと大嶽が近づく。
「く」
霧が発生する。朧の発生させた霧が大嶽ごと覆う。だが、大嶽は右の剣を振るうといともたやすく霧を払った。そしてそのまま、朧の体を斬る。
「あが。おえっ」
体に斜めに切り裂く傷ができ、朧は片膝をつく。そして呪われた血を吐いた。
「ふん、そろそろ……ん?」
大嶽が足を止める。
足元が青白く光っていた。朧と大嶽の間を中心にして二人を取り囲むように円形の陣が浮かび上がる。
「こいつは」
大嶽が陣から脱出すべく後ろに下がろうとしたところでその腹部に拳が当てられた。
「まぁ、そう急ぐな。ゆっくりしていけ」
朧であった。紫電を纏った拳で大嶽の腹を強打し、嵐を起こす。
「ごはっ?」
まともに受けた大嶽は地に膝をついた。大嶽は信じられないといった顔で朧を見上げる。
朧はところどころ傷があるものの、呪いで蝕まれている様子はなかった。黒い炎も、特にはない。
「どうじゃ? 中々迫真の演技ではなかったかの?」
「演技、だと」
「そう何度も同じような手を食うわけなかろう。互いに全力で一戦交えたのだから次はどれほど対策を組めるかじゃ」
「霧で幻影をつくっていたのか」
「影ならぬ霧の幻霧じゃ。これでも、そこそこの人間には効かぬのじゃぞ?」
青白い光が強まり、陣から発生した光の帯が朧と大嶽の足を拘束する。
「くっ、束縛の術式か。これほどの強度は法玄以外にありえぬ……まさか呪いを解いたのか」
「そのまさか、じゃ」
朧は姿勢を低くし、刀を抜く。そして深く息を吐いた。
縦に構えた刀に、青白い炎が灯る。
「それは、霊力か。法玄め、つくづく余計ないことを」
「いや」
炎が燃え盛かる。
「わしの気。そのほとんどを霊力に変換しておる」
「やめろ。例えそれができたところで、鬼の身では自殺行為だ! 人間ごときを守る為にそこまでするか」
刀は青い剣となり、天を裂くほどその刃を延長し、山を両断しかねないほど巨大なものとなる。
「わしの戦い方では決定打があるかわからん。法玄の術も同じだ。だが、これは別だろう?」
刀を上段に構える。
「気を霊力に変え、刀に直接注ぎ込み形をつくる。己の体は妖力を纏って守る。要はやりようよ、大嶽」
大嶽は力に任せた戦い方で能力だけに頼ったものであった。力をどう制御するか、能力をどう使うか、そんなことを考える暇があるほど弱くはない。
「身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ……冥土の土産に持っていけ」
「ま、待て」
言葉は続かなかった。
青い剣が振り下ろされる。体を拘束された大嶽には逃げる術はない。単純に膨大で強力な力の塊が、大嶽を圧し潰し、焼き払った。その後は力の奔流となって空を貫き、黒雲を晴らす。
朧は元に戻った刀を担ぎ、ほっと一息つく。足元の青白い光が消え、朧は自由になる。
その場に座り込み、仰向けに倒れる。
晴れ渡る空と太陽が、朧の気持ちを晴れやかなものにした。
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