昔話

 とはいえ、行っていいのであれば行ってみるものだ。


「邪魔するぞ」


 堂々と扉を開け、朧は鈴音の部屋に入った。


「邪魔をするなら帰ってください」

「あいよ」


 朧は踵を返し、霧になろうとする。


「ま、待ってください! 本当に帰るのですか」

「帰れと言ったのはお主じゃろ」


 朧は振り返り、霧から炎を作り出す。本物の炎ではない為、燃やす事はできない。しかし、部屋を照らすには十分であった。

 鈴音は布団の上に座っていた。子犬のような寂しげな表情を浮かべ、朧に手を伸ばしている。


「え、えとお話しましょう、お話」


 朧はその場に座る。鈴音は安心したようにほっと息を吐き、姿勢を正した。


「遠くありません?」

「大事な姫様じゃろ。それとも喰われたいか?」

「あなたは大丈夫です」


 大して共有した時間もないというのに、随分信頼されたものだ。朧はため息を吐いた。


「それより、あなたのことを聞かせてください」

「わしぃ?」


 鈴音は両手を合わせ、笑顔を浮かべる。


「法玄から妖の話をたくさん聞きました! でも、鬼ってたくさんいてよくわからないんです。ですので、朧の話が聞きたいなと思って」

「……そうさな、良いぞそれくらい」


 そうだ、吉兼に縁のある話にしてやろう。同じ屋敷の人間であるし、親近感もあるだろう。

 朧はそう思って語り始めた。







 村で母の首がさらされていた。鬼ではあったが、朧の知る限り優しく、人を襲う妖ではなかったように思う。朧はそれを見つけたとき、村人が首を囲んでいた。「恐ろしい」だの「汚らわしい」だの、好き勝手言いながら首を眺めていた。


 母の変わり果てた姿を見るのは二度目であった。一回目は熊を狩り、母の元へ戻った時。首のない母の体を、朧は見た。そして、二度目は言うまでもない。


「……滅びろ、人間どもめ」


 朧の中で何かが切れた。獣のように人間に食らいつき、肉を裂き、喰らった。腸を抉り、喉を千切り、心臓を潰す。


 悲鳴の嵐が耳に響き、血の雨が視界を覆った。


 ――気が付けば、朧の目の前には血に濡れた男と、腹のふくれた女だけになっていた。


 なぜ気が付いたかと言えば、朧の右腕に灼けるような痛みの感覚があったからである。


「貴様」


 朧の右腕は斬り落とされていた。しかし、斬り落とされた右腕を霧に変え、己の体へ呼び寄せる。そして霧を掴み、右腕に戻すと、己の自然治癒力のみで繋げ治した。


 男のほうは瀕死であった。腹に深い傷を負い、口からは血がしたたり落ちている。決死の表情で唇を震わせながら、朧へ向けて声を絞り上げた。


「頼む。嫁の、子どもの命だけは見逃してくれ」

「そんな虫の良い話があると思うてか」


 朧はすぐさま男の首を刎ねた。首から血が噴き出し、びくびくと体を震わせて倒れる。

 倒れた男を見て、女が静かに涙を流した。


「さて。貴様で最後だな」


 女は涙をぬぐいもせず、強い光のこもった瞳で、朧を見返した。


「あの鬼はあなたとどういう関係だったのですか」

「……母だ」

「……そう、ですか」


 女は目を伏せたが、姿勢を正すと、朧に向き合った。


「話をさせてもらえますか」


 静かに女が言う。

 朧は一瞬、女の身勝手さに憎悪を燃やしかけた。だが、何かを決心した恐怖のない、覚悟を持った姿に疑問が浮かび、抑えた。


 女は静かに頭を下げ、土下座をした。


「まずはあなたの母を殺したことに謝罪を。夫たちに代わってではありますが、大変申し訳ありませんでした」

「許されるとでも思うか」

「思っておりませぬ。現に、夫も含め、あなたにとっての仇は全員殺されました。そして、私も死は覚悟しております」

「母が、貴様らに何をした」

「人々から財宝を奪う鬼がいると、噂があったのです」


 朧はその財宝とやらに心当たりは何もなかった。朧はただ、母と狩りをしながら生きていただけである。


「財宝はあったか? 望む結果は訪れたか」

「いいえ。どちらも」


 首を振る。


「愚かな、愚かな人間どもめ」

「返す言葉もございません。ですが、子どもは見逃してほしいのです」

「何を戯けたことを」

「まだ産まれておりません。罪も何もないのです。子が産まれれば、私は如何様にしても構いません」


 嘘偽りを感じさせない芯のある言葉であった。朧は後ろを振り返る。

 死屍累々の光景であった。血の湖の中に人が沈んでいる。


「気分は晴れやか、でしょうか?」

「いや。足りない」

「どれほど殺せば満たされますか」

「……満たされんだろう」


 こめかみを抑える。朧の頭が冷え始めていた。


「百回は殺したい。だが一度殺せば終わりだ。他を殺しても、今以上に憎悪を鎮めてくれるものはないだろう。これ以上は獣だ」


 視線を戻す。


「良いだろう。子どもが産まれたらお主を殺す。それで終いじゃ」

「ありがとうございます」


 頭を下げる女を無視し、朧は霧となって消えた。



 数か月後。風の噂で、女が子どもを産み、そして死んだというのを耳にした。







 朧は橋でうたた寝していた。川底の浅いところに大きな杭を打って、そこに板をのせたような、簡単な橋に座り、足を川の中に入れて、うつらうつらとしていた。


 ふと朧は気配が迫ってくるのと感じ、目を開けた。寝ぼけまなこでそちらを見る。


 刀を腰に差した少年と、まさかりを担いだ大男が橋の入り口に立っていた。。少年は雑に切りそろえた黒髪をかき上げ、憎悪に満ちた瞳をこちらに向けていた。胸元、腕、足……肌のさらされている箇所は一目でわかるほど鍛え抜かれている。子どものわりには上々といった感じだ。大男の方は大仰なまさかりに見合った体つきをしており、鏡のような頭と太い眉が特徴的であった。


「橋姫というのはお前か」


 少年が三白眼で睨む。朧は橋の上に立つと首を傾げた。


「ここにはずっといるが、姫なんぞ見たことないぞ。わしは姫ではないし」

「なら数年前。腹に子どもを宿した女を呪ったことはあるか」

「呪った覚えはないな。そういうやつを見逃して、死んだという噂を聞いたことはある」

「やはりお前が」


 眉間に皺を刻み、少年が刀を抜く。しかし、少年を庇うように大男が前に出た。


「若様危のうございます。ここはわたくしめが」

「なんじゃ、お主」

「我こそは熊殺しの金成。貴様を討つ者だ」

「そうか」

「覚悟しろ!」


 まさかりを前に突き出し、金成はその体とまさかりの重さを物ともせずにこちらに迫る。朧は片手をあげ、振り下ろされるまさかりを受け止めた。


「力自慢は結構だが、鬼相手にするものではないぞ。あと武器も、もう少しまともなものを持ってくるのだな」


 朧が腕に力を入れる。まさかりの刃が砕け、刃のない、三日月のような形になってしまう。金成の顔が驚愕に染まる。


「ばかな!」

「無駄な殺生は好かん。あきらめろ」

「何をぉ、まだまだ」

「ほいっ」


 まさかりを捨てこちらに掴みかかろうとする金成を朧は足を払って橋から落とした。水しぶきをあげて、金成の体が濡れる。


「ほれ」


 金成の顎先を人差し指で弾く。たったそれだけで、金成は白目を剥き、気絶した。


「さて」


 朧はゆらりと、少年に近づいた。


「小僧、勝算はあるか」

「当たり前だ。この髭切は妖を斬った伝説の刀だ」

「そうか。では斬ってみせろ」

「てぇや!」


 刀が振るわれ、朧の肩から胸までが斬られる。


「やった」


 喜ぶ少年を哀れに思いつつ、朧は刀の刃を指で撫でた。


「残念。わしの体は霧でな。霧になってるだけじゃ。ほら血も出てない」

「な、なに?」

「あとこいつは偽物じゃの」


 ほれ、と。刃を掴んで体から放す。朧の体は傷ひとつついていなかった。


「本物は小僧が持つより源何某が持ってる方が自然だな。良い金づると思われたか、気休めに渡されたか知らんがな」

「く、くそ」


 少年が朧の首を断ちにくる。刃は朧の首を捉えたが、斬ることは叶わなかった。薄皮一枚すら、刃は斬れない。


「どうしてこんなことを?」

「決まっている。貴様が父上と母上を殺したからだ」


 朧は数年前の記憶を辿り、母の首をさらした者たちと見逃した女のことを思い出す。あれ以来、それらしい殺しはなかったはずだ。人間を殺さなかったわけではないが、少年の着物は上等で、高貴な者であることは一目でわかった。そういった類であれば心当たりは一つであった。


「……そうか。お主はその為に何をしてきた」

「全てだ。剣の鍛錬に、この刀に……だというのに、貴様は」

「お主の母をわしは殺しとらん。その前に死んだ……とはいえ殺す予定だったから、恨むなとは言わん。父の仇であるのは変わらんしな」

「き、貴様ぁ!」


 刀を振るう。

 朧は全ての斬撃を人差し指の爪で弾いた。

「くそっ、くそっ! なぜ斬れぬ」

「いくら執念があろうと小僧の考えなぞたかが知れておる」


 頭上への一撃を掴み、刀を折る。

 少年はそれで絶望はしなかった。涙を浮かべながらも、決意の満ちた瞳で、朧と対峙する。それがいつかの光景と重なった。


「ほぉ、親子ではないか」

「何がだ」

「いや。それより小僧。覚えておくといい……朧だ」

「何?」

「わしの名前じゃよ。知っていた方が探しやすいじゃろ。橋姫とか知らんし」

「いいのか。わたしは貴様を地獄の果てでも追いかけてやるぞ」


 涙を拭って、少年は吠える。


「構わんさ。本物を持ってきて、一太刀くらい浴びせてみせい。それで気は晴れんがな。わしも晴れんかったし」


 過去を思い出しながら、少年を以前の己と重ねた。気が晴れぬといっても、あの時の憎悪は計り知れぬものであった。今少年がそれを持っているのであれば、付き合ってもいいと思った。


 殺される義理まではない。ただ、潰そうとは思えなかった。


「見逃してやる、小僧。好きなように挑め」

「あぁ。必ず貴様に一太刀浴びせ、仇を討ってやる」

「お主の父はわしの腕を斬ってみせた。きっと強くなれるさ」

「……なぜだ」

「何が」

「なぜ、こちらを擁護するような言葉を吐く? 貴様は父上や母上を殺した、極悪非道な鬼ではないのか」

「さて、な。自分で考えるといい。鬼はただ、気ままに動くだけよ。ところでお主の名前は」

「鬼に名乗る名など、ない」

「わしが名乗ったんじゃ。名乗り返せ。その名が天下に轟いたときはわしから顔を見せに来てやろう」

「……順康。順康だ」

「そうか、覚えておく。ではな、順康」


 朧は霧を発生させ、それに溶け込んだ。

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