陰陽師と剣士
霧が朧の姿を隠す。
適当な木の枝に座り、朧は屋敷を見下ろしていた。山を切り崩し、その一部となった屋敷は木々に囲まれている。相当土地勘のない限り、人の身では攻めづらいであろう。朧にとって監視しやすいだけであった。
屋敷から二人、朧に向かってやってくる人影がある。片方は法玄という男。そしてもう一人は、見覚えがある男だった。
「ほう、因果なものよのう」
朧は霧を晴らすと二人に向かって歩き出す。出会うのにはさほど時間がかからなかった。
「一晩経って説得が済んだ……というわけではなさそうじゃのう」
法玄をちらりと見てから、もう一人に目を向ける。雑に切りそろえた黒髪、こちらを見る三白眼。胸元、腕、足……肌のさらされている箇所は一目でわかるほど鍛え抜かれている。
「お主は少し大きくなったの。昔はこのくらい……」
朧は自分の頭と同じ高さを手で示してから、否定するように手を振った。
「いいや。あれから何年経ったか数える気にもならんが、若いままなのはおかしいな。お主、何者だ」
「長い髪に赤い瞳の子ども……貴様が朧か」
「いかにも、わしは霧鬼朧である。してお主はなんだ」
「
「あぁ。父と母の仇と言ってわしを殺しに来た子どもの名だ。お主によく似ている」
朧も人を殺さずに生きていたわけではない。時には人を殺すこともあった。仇として命を狙われたこともある。朧にとっては大した問題ではなかったのだが。
その一人が順康であった。
「息子だ」
「ほう。で、お主の目的は父親念願の祖父の仇か?」
「いや」
男は腰に差した二本の刀に手を置き、朧の目前に迫る。
そして刀を抜いた。
放たれた二刀は吸い込まれるように朧に振るわれ、朧は後ろへ跳ぶ。
薄く、胸板を斬られ、血が流れる。斬られた付近が何かに引っ張られているかのような感覚があった。
「わたしの目的は『一太刀浴びせてやる』だ」
「あぁ、言っていたなあやつ。なら叶ったな。終わりでいいじゃろ」
頭を掻きながら朧は言う。
男が持っている刀は二本とも普通のものではない。ただの刀であれば朧は体を霧にして刀を素通りさせるだけで良かった。
しかし、霧になろうとした体を、刀は強制的に生身に戻して切り裂いた。
妖刀霊刀……呼び方は何でもいいが、その類であろう。
「いいや。貴様はここで死ね、霧鬼」
男が迫る。
「昨日だったらくれてやったが、拾われた命ゆえな。死んでやらぬ」
頭上から迫る二刀を、朧は両手で掴んだ。
「ぐっ」
男は踏み込みを強くし、刀を押し込む。血しぶきをあげて、朧の両腕が斬り落とされた。
「強いな、名前教えてくれんかの」
「なら覚えて逝け。
「死なぬがな」
朧の体を細切れにしようと凶器が迫る。朧は足を後ろへ引くと地面を蹴った。巻き上がる砂と石が、吉兼の視界を妨害する。
朧は両手を元に戻し、吉兼から距離を取った。そして霧になって視界から消えようと――
「させぬ。留まれ!」
法玄が朧に札を投げる。それが火となり朧に当たり、霧から生身の体に戻される。
「ちょっ、お主らずるくないか!」
「戯けたことを抜かすな」
吉兼が突きを放つ。紙一重で避け、朧はまた距離を取った。
「どうした、逃げてばかりではどうにもならないぞ」
「鈴音の許可も取らんうちに屋敷の者は殺せんしのう」
「ふざけるな」
朧は霧を掴む。吉兼の一撃に合わせて、霧を振るった。
けたたましい金属音が響く。
朧の握った霧が鉄の棒に変化していた。一撃を弾かれた吉兼の表情が驚愕に染まる。
朧は地面に向けて真っすぐ足を落とす。そして重心を一気に下ろす。大地が震え、吉兼の体勢が崩れたところへ、朧は掌打を繰り出した。
吉兼に掌打自体は届かなかった。届かなくとも良かった。朧の放つ気が、空気を叩き、吉兼を叩いた。
「がはっ」
吉兼の体がくの字に折れ曲がり、近くの木へ殴り飛ばされる。
「ぐっ」
吉兼は木に激突する前に足を向けると着地する。
「お」
矢のように吉兼が跳び、朧に迫った。
そして。
「へぶっ」
朧の手刀で地面に叩き落とされ、気絶した。
「……加減はしたぞ」
あくびをしながら、法玄へ体を向ける。
「お主もやる気かの」
「そうだな」
言いながら、法玄は片手をかざす。
ぼん、と。空気を割く音が響き、青白い球体が法玄の前に現れる。
朧の体を飲み込むほどの大きな球体であった。球体は表面に稲妻を走らせながらばちばちと音を響かせる。
「なるほど。妨害一回のみで小僧と共闘せんかったのはそれの用意か」
「あぁ。この一撃、受けきってみせるがいい」
不敵な笑みを浮かべて、法玄が球体を放つ。地を裂き、周りを焼きながら球体が迫ってきた。朧は右手をかざして球体を受け止める。
瞬間、けたたましい爆発音が山に響き渡る。
朧は右手でその球体を抑えていたが、球体の勢いは収まらなかった。少しずつ、朧の腕を押し、焼こうとする。
「その一撃は十二天将の力を内包したものだ。並の妖では抵抗すらできない……生きているとは驚きだぞ、霧鬼とやら」
まるで朧が球体を受け止めきれないかのような発言だった。そして、朧はその意味を知る。
右手の皮膚が裂け、血が噴き出した。なるほど確かに、朧の今の力では球体を止めることはできないらしい。
「くっ」
紫電が走り、周りの木々を破壊する。その中で朧は頬を、肩を、腿を、稲妻によって傷を負う。
――飲み込まれる。
「……全く、拾われたばかりだというのに命がけじゃの」
朧は体の中の気……あらゆる力の根源を、妖力に変換する。掌に収まる程度の赤い球体を作り出し、青白い球体と衝突させる。
赤と青の稲妻が互いを食い合う。
やがて赤の球体が押し返し始めた。
「なん、だと」
「ふむ、こんなものか」
青白い球体は赤い球体に飲み込まれて行き、やがて形を失った。ぽん、と間抜けな音が響き、赤い球体も消滅する。
朧が頬の傷を親指でなぞると、体中の傷が消える。
「さて。まだやるか?」
「お前、本当に霧の鬼か」
「何、人と同じで鬼も己を磨く事があるというだけよ」
「鍛錬を積んだというのか、鬼が」
「わしにだって考える頭くらいある」
朧は自分の頭を指さして言う。
「わしはしょうじきあまり強くないのでな」
蹂躙するだけが鬼ではない。生き物であれは思考する。生きる為に術を磨き上げる。
「で。どうするんじゃ。続けるか」
法玄は首を振った。
「敵意のない妖に全力を出すほど余裕があるわけではない」
「じゃろうな。お主が見定めたいのはわしが本当に強いかどうかじゃろ。使えるかどうか、といったほうがいいか」
「察しが良くて助かる」
朧はその場に座り込み、法玄を見上げる。
「戦わんからな。お主が戦って、負けそうになったらあの娘を連れて逃げる」
法玄は首を振った。
「戦えぬ」
「……うん?」
今、目の前の男はなんて言っただろうか。朧は首をかしげて、現実を否定する。
「戦えぬと言ったのだ、霧鬼よ」
自分と同じ目線になるまで腰を落とし座り込むと、法玄は真剣な顔で言った。
「大嶽を追い返す時にな、呪いを受けた。おかげで力は半減、日々準備の方に力を使い切ってしまう始末だ。当日は術式の維持が手一杯だろう」
「呪い、か」
朧は手を伸ばし、法玄の胸に手を当てる。静かに目を瞑り、妖力を探る。呪いはすぐに見つかった。なぜなら手を当てた心臓部に呪いがあったからだ。
「ふぅ……」
すぐ解呪に取り掛かる。己の気を練り上げて妖力の糸のようなものを作り上げる。それを呪いに引っ掛けて、引き摺りだすだけだ。
「……重い、な。ぐっ」
糸を増やすが、動かない。
「うぃっ!?」
朧は法玄から手を離す。糸が切れ、朧の左腕に亀裂のような傷が出来た。それをすぐに治癒させて、朧はため息を吐く。
「無理か」
「お前、解呪しようとしたのか」
驚いた顔で、法玄が尋ねる。朧は首を傾げた。
「解呪できるに越したことはないじゃろ。わしに害はないんじゃろうし」
「……それは、相手が殺しに来ていてもか」
直後、後ろから殺気が沸く。朧は右手を挙げると殺気を掴む。
「ぐ」
後ろを振り向くと、表情を歪めている吉兼がいた。気絶から回復して斬りかかってきたのだろう。
「まぁ、妖と人じゃ。敵対するのも仕方がなかろう。とりあえず、一度救われた分、一度守るまでは大目に見てやろう」
「……はぁ。吉兼、刀を収めよ」
朧が手を離してやると舌打ちと共に刀を収める音がした。
「お前に戦ってもらうしかなさそうだ」
「負けた身だ。戦うつもりはない」
「大嶽にか」
「あぁ。ものの見事に負けた」
「だがそれは万全の大嶽だろう?」
朧は無言で返す。
「俺の一撃も防いだのだ。やってもらわねば全滅する」
目をそらす。
「お主が戦え」
「お前を味方にする想定などしていない。あいつがあきらめるまで守りに徹するつもりだった」
「なら守りに徹している間に逃げさせてもらう」
「なぁ、霧鬼よ。人を守るという意味を理解しているか」
「なんだ急に」
「守るということは命を救うことではない、心を殺さないことを言うのだ」
法玄が顔を近づけて、低い声で諭す。
「姫を守ると約束した以上、心も守ってもらわねばな。あの屋敷は姫の生まれ育った場所だ。家を失う悲しみを姫にさせるな」
朧は頭をかいた。そんなこと言われたところで、朧自身は鈴音のことを欠片も知らないのだ。
軽い気持ちで了承したのはまずかったか、と朧は後悔し始める。
「わしは命を拾ってもらったのだ。心まで救われた覚えはない。間尺に合わんぞ」
睨み合う。
別に朧は人間の味方などではないのだ。あれこれ付き合う義理もない。
「……夜、姫のところへ行け。見逃してやる」
「法玄殿!?」
「切迫した状況だ。賭けでもなんでもするしかない」
朧は笑みを浮かべる。
「良いのか、お主らの大事な姫を喰ろうてしまうやもしれんぞ」
「ないな」
「なんじゃ。断言しおって」
「お前の性格じゃそうはならぬだろう。妖と戦ってきたが、ただ野蛮な者ばかりではないとわかってはいる。それに姫にしかお前の心は動かせないだろう。日中に鬼を招くわけにもいかん」
法玄は立ち上がると、朧から背を向ける。
「行くぞ、吉兼」
「しかし」
「無駄に敵を増やす必要はない。行くぞ」
二人が去っていくのを、朧は笑顔で手を振り見送った。
「……ところで、行ってどうするんじゃ」
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