未練
朧は隠の体を借りて、気づく。体の中に流れているはずの気がせき止められている。あらゆる力の根源である気が流れないことで体力の回復等が滞り、隠の体がせめてもの休息を求めて眠りに落ちたらしかった。
呪いの類でも病気でもない。
「なるほど、外から見てもわからぬわけだ」
呼吸をする。そして、滞っている気の流れを押し流して正常に戻そうとする。
そうしている間に、雨の音に交じって足音が聞こえてきた。
朧は気を操りながら、息をひそめ、瞳を閉じる。そして薄めで小屋の扉を見た。
ゆっくりと足音が近づき、やがて小屋の扉を開く。
開いた扉の先。雷で照らされた雨の中にそれはいた。狐の面を被った、白い袈裟の男であった。朧は心の中でしめたと思った。
狐の面を被った男。それこそ、隠と朧の標的だったからだ。
朧はゆっくり起き上がり、笑みを浮かべる。
「
名を呼ばれ、野巫威者はたじろく。
「他人を病気にし、そしてその病気をまじないで治すとみせかけて命を奪う。付き添っている人間がおらぬから忍び込めば良いと思ってきたか、たわけめ」
もう気の流れは正常に戻した。朧は立ち上がり、野巫威者と向き合う。
野巫威者は一歩下がった。
「お前、何者だ」
「さぁなんであろうな。それよりも」
朧は顎で野巫威者の背後を示す。
「獲物を横取りされようになって、剣鬼が起きたぞ」
「何っ?」
雷鳴と共に雨が切り裂かれる。後ろに振り向いた野巫威者の首がすっぱりと体から離れ、地に落ちた。
あの男であった。
「こいつは俺のもんだ。余計なことをするな殺すぞ」
野巫威者の体が崩れ落ち、倒れる。
「いやもう死んどる」
「おぉ、そうか。ん? おまえさん、雰囲気変わったか」
「隠に憑りついてる鬼よ、わしは」
「鬼、か」
にぃ、と。
凶悪な笑みを浮かべて、男は野巫威者の体を踏む。足からやもりが湧き出て、野巫威者の体を貪り食い始める。
「てめえを殺せば、鬼殺しの武勲を立てれるってわけだ。ま、死んだ身で武勲も何もねえがな」
男の言い草に、朧はその正体に気付き始める。
「元人間の妖か」
「ま、そんなとこよ。そういやてめえは何しにここに来たんだ?」
「その足で食らってる狐退治よ。麓の村人が騙されて何人か殺されたのでな」
野巫威者はあまり強い妖ではない。まき散らす病も朧であれば対抗できるであろうし、こうしてあっさり倒せることはわかっていた。
こういう人を騙す妖はあまり力を持ってないことが多い。
妖というのは小細工に頼らないほうが強力であるという認識がある。工夫を凝らすのは弱者の思考であると、そう思われがちである。術に長けた者もいなくもないが、非常に少ない。様々な能力を使いこなしているように見える妖も「一言呟けばその現象が発生する」のみである。
朧のように気を扱ったりすると弱者とされる。だからこそ人に退治されるのだが。
というわけで、騙すような姑息な真似は弱い妖がするのである。
野巫威者の体が食い尽くされ、男はあぐらをかいて座る。
「さて元気そうだし、殺し合おうか」
「待て。お主と戦ってたやつは寝とる」
「強いならてめえでも構わないぜ」
「いや。きっとお主にとっては隠の方が好みであろう」
「へえ、隠ってぇのか」
男は嬉しそうに顎を擦り、舌なめずりをする。
「お主の名はなんだ」
「俺か? うーんどの名前がいいか」
男が考え込む。
名前が複数あるのか。それとも、ひとりではないのか。朧は気長に待つことにした。
男は数十秒考えこんで、こう答えた。
「俺は
その名前に朧は目を細める。
「人間が勝手に名付けたのに、自然とそうなるように出来ているのか。それとも、言霊とやらか……」
朧の呟きに、井守は首をかしげるだけであった。
〇
隠は夢を見ていた。
殺される夢であった。
主君を守れず、首を落とされる夢。多勢の中、勇猛果敢に挑み、最後には放たれた矢を眉間に受けて死ぬ夢。そして……隠自身に殺される夢。
戦場の様々な無念が、夢となって現れ、消えていく。
最後に見たのは、荒野の中、人を斬り続けた男の夢であった。獣のように戦い、血で剣技を磨き、それでも飢えは収まらず……そのまま腐り果てていく男の夢。
『もっと戦いたかった』
幾重もの声が重なり、隠の頭に響く。
あぁ、そうか。
これはきっと――
〇
ゆっくりと目を開ける。
「よぉ。やっと起きたか隠」
「……朧が教えたのかしら」
視線を動かし、男を見る。
「へぇ朧ってのか。鬼の方は」
『そういえば名乗ってなかったのう』
頭の中でいつも通りの声が響く。
隠はため息を吐き、男の顔を真っすぐ見る。
「体の方はどうだ」
「悪くないわ。今すぐ戦ってもいい」
答えると、男は口が裂けそうなほどに口角を上げ、笑みを浮かべた。
「ならさっそく、相手をしてもらおうか。この井守と」
〇
井守と対峙する。
「さて、決着つけてもらおうじゃねえか。人外の術がある者同士、真剣勝負といこうや」
井守の腕から、黒いやもりが湧き出ると刀に変化する。
「朧」
『なんだ』
「武器の切り替え、一撃ごとにして。武器をどうするかはあなたに任せる」
『なんでもよいのか』
「合わせるわ。戦場で武器は選んでいられないもの」
腕を脱力し、息を吐く。緊張の糸を切り、思考を消し去る。
隠の戦い方は武器を消耗品として使う業だ。武器一本、一撃で終わらせる。一撃で敵を仕留め、仕留めた敵から奪う。
力が及ばない、剣技は同等かあちらのほうが上。
であれば、剣技の競い合いは得策ではない。あちらが剣技で来るのであればこちらは戦場の術をぶつけるだけだ。
井守は腰にあった鞘に刀を収め、じりじりとこちらににじり寄ってくる。隠は右手に生成された刀を持ち、静かに待った。
隠は井守の動きなど欠片も気にしなかった。見るのはただ、井守の顔、表情のみである。
間合いを詰められる。
瞬きをする間に隠は斬られ、絶命することだろう。抜刀術は速度だ。斬り下ろし、払い、斬り上げ、どれも最速で来る。こちらから斬りかかれば、それこそ相手の思うつぼである。腰から放たれる一撃は後の先を容易に取れる。抜刀術は射出と言っても相違ないだろう。振るう一撃と射出される一撃、どちらが先に相手を斬るかは想像に難くない。
待つ。ただひたすらに、待つ。
井守の視線がわずかに動き、口角が上がる。
瞬間、打ち合った。
相手の横薙ぎの一撃を叩き上げる。
「ぬ?」
井守の表情が困惑に染まり、隠はそこに飛び込む。
右手から刀が消え、左手に浮かぶ斧で斬る。井守は凄まじい反射速度で刀を振り下ろし、対応する。
刀がぶつかり、火花を散らす。
押し込められたように井守が下がり、刀を下段で構え直す。そこへ隠は踏み込む。
右手に槍。
ほぼ直感で踏み込みを浅く調節し、突きを放つ。
「あぶねっ!」
視界から井守が消え、穂先が空を切る。
左に避けられた。
槍の側面から潜り込むようにして、井守が斬り込む。隠は槍が刀に変化するさまを確認しつつ、井守に突撃した。
斬り下ろしを避け、井守の顎を左肘で叩く。そのまま胸へ刀を刺そうとするが、逃げられた。
「おもしれえ、ころころ武器が変わりやがる」
「……私は面白くないわ」
相手がこちらの戦い方に慣れ始めた。であれば、段々と不意は突けなくなってくる。優勢に立ち回れるのは相手の予想を上回る動きをこちらがしているからに過ぎない。
単純な技術の勝負になれば、隠に勝ち目はない。
「獣みたいだな、おめえ」
汗をぬぐいながら、井守が言う。追撃できるほどの隙ではない為、隠は距離を取りつつ、呼吸を整える。
井守は両手で刀を握り、笑みを浮かべる。
「おめえは武器が、いや自分の体が壊れても構わないくらい全力で武器を振るう。こっちは後先考えて力加減してるとこをおめえは体ごと全部攻撃にぶっこんでる。よく腕が折れねえもんだ」
隠は答えない。
「そっちがその気ならこっちも全力ぶっこんでいかなきゃなぁ!」
井守が突っ込んでくる。
容易に避けられるような技ではない。見た目はただの斬り下ろしだが、速度は今までで一番である。
猶予は一呼吸であった。攻撃の、ではない。井守の台詞から隠に攻撃が届くまでの、である。隠が井守に返答しなかったのは、話を聞いていなかったからだ。猶予がなかった。仕込んでおかねば、間に合わない。朧が生成した刀と鞘を手に持つ。隠は刀を鞘に収め、姿勢を低くする。隠は悟っていた。井守には隠の、人としての実力では勝てない、と。
ゆえに、息を吸って、吐いた。
「こぉ」
消えかけていた火が一瞬で燃え盛るように、隠の体中を熱が駆け巡った。力が膨れ上がり、体中がめきめきと悲鳴を上げる。
練習も何もしていないが、記憶と体の感覚を頼りに、隠は賭けに出た。
『待てお主!』
――止めても、遅い。
額の左右二か所が、着火する。それはまるで、鬼の角のようであった。
気を妖力にくべる。強引に、乱暴に。
「――ぎっ!」
抜刀一閃。金切り声のような音を響かせながら、鞘から刀が放たれ、井守の剣速を上書きした。
そして、斬り抜ける。
矢のごとく飛び出した体を、足を打ち付けるようにして止める。土をわずかに抉りながら二度身を回転させて体が止まる。
「ふっ」
ろうそくの火を消すように、息を吐く。そうすると体に帯びていた熱が額から抜けていった。
振り返った先には胴を横薙ぎに斬られた井守の姿があった。
隠の頭の中で耳鳴りが響く。そして、心臓の音が体を叩いた。
「満足、したかしら」
玉のような汗が頬を伝い、顎から落ちる。
井守はこちらへゆらりと振り向くと、隠の状態を確認するように視線を動かした。
やがて、鼻を鳴らす。
「あぁ、できりゃ勝ちたかったが、な」
満足そうな笑みを浮かべ、井守の体が崩壊する。人の形が溶けていき、地面にやもりが転がって逃げていく。
「……終わったのね」
『あぁ。ただのやもりになった』
「朧は、何の妖か知ってるの」
『聞きたいか』
隠は頷いた。
『井守という。井戸に住む妖よ。戦で負けた者たちの集合体……普通は小人の群れのはずなんだが。外見を確定させた男が全てまとめ上げるほど強い精神力を持っていたのだろう』
「そう。亡霊ってことね」
『そうなるな』
井守がいた場所を見る。
ほとんどのやもりは逃げていたが、一匹だけ、残ってこちらを見ていた。
隠はやもりと向かい合う。
「……私は隠。あなたたちのこと、忘れないわ。だから覚えておいて。私があなたたちを屠った者よ」
やもりはゆっくり踵を返す。そのまま、歩き出し、木々の中に消えていった。
隠はその姿を見送って、両手を合わせて祈った。
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