野巫威者

剣士

 隠には頬を伝う雫が、汗のものか、雨のものか見当がつかなくなっていた。


 雨の山中、道のような、わずかな木々の隙間でそれは繰り広げられている。


 姿勢を低くし、刀を地面につけるように平行に構える隠。


 そして、対する自然体のままの男。


 男の、鷹のような鋭い瞳が隠を捉えている。口を歪め、笑っていた。針のように生えた顎髭を擦りながら、刀を握り直す姿は余裕がありありと感じられる。


 ……苦手だ。


「どうした。来ねえのか」


 体格はやや小柄なものの、筋肉の付き方は丁度良い。刀を振るう為だけに鍛えたような、理想的な形に整っている。


「来ねえなら、俺がいくぜ」


 腰に下げた鞘に刀を収めると、男は大地を蹴った。


「くっ」


 紫電一閃。


 男の抜刀が隠の首を刈り取りに来る。剣閃が見えた瞬間には、隠は既に行動を終えていた。

 後ろに跳び、横薙ぎの一閃を紙一重でかわす。そして、間髪入れずに踏み込みながら刀を振り下ろした。


 後先考えない、全力の振り下ろしであった。


「いいねぇ」


 男はこちらの行動を確認せず、ただ、頭上に刀を構えるだけであった。片手で隠の一撃を受け止める。受けきってみせる。押しても微動だにせず、岩にでも斬りつけたかのようであった。


 凄まじい膂力だ。


 再度、後ろへ跳ぶべく引く。

 が。


「おっと」


 襟を掴まれ、逆方向へ引き寄せられる。


「おらぁ!」


 次の瞬間、頭に強い衝撃が襲った。考えなくとも、感覚で頭突きを喰らったのだと知る。衝撃で頭が後ろへ倒れるのを感じながら、隠は次の行動に移る。


「ぎ」


 歯を食いしばり、刀を捨てた。拳を握り、男の喉を叩く。だが、無駄な抵抗であった。

 男はひるまない。迷わず隠の首に刃を当てると。


 斬った。


「……いやはや。驚いた」


 男が笑う。男はゆっくりと後退し、己の足元を見る。

 刀が折れて、落ちていた。

 隠は、膝をつき、俯いている。折れた先の刃は隠の右手に掴まれており、鮮血が流れていた。


「どんな術使ったかは知らんが、あの一瞬で刀を掴んで折るたぁ、驚れえた」

「虚を、ついたはずなのに……当たり前のように刀を手放されて、拳を叩き込まれるよりは、普通じゃ、ない?」


 叩かれて塞がっていた呼吸をこじ開けながら、隠は応答する。

 刀を掴んだ右手がじくじくと痛む。薄く皮を切られた首も同様であった。


『さて、どうする?』


 隠に憑いた鬼、朧が呟く。その言葉には相手の男がどう動くか、そして隠のこれからの行動を問う二重に意味があるように思われた。

 吐く息が熱い。


 かたなを折ったのだから、これで降参してほしいというのが隠の本音だ。


 何よりこの山に来たのは、この男と戦う為ではない。というかいまだにこの男は誰なのかはっきりわからない。

 遭遇した途端、「おめえ強いな」等と言いながらいきなり斬りかかってくる男なぞ、隠は出会いたくもなかった。


「なぁ」

「何?」

「実力隠してるだろ」

「……いえ」


 男は折れた刀を強く握る。すると、黒い影が伸び、折れた刀の形を作ると刀が元通りになった。隠は目を細め、口を噤む。


『ふむ。まともな人間でないなら、刀一本にこだわる必要もあるまい』


 同意する。

 ならば、と両手を広げて姿勢を低くしとうとし――


「まぁここらで終わりか。そっちの体が限界みてえだ」


 ――ぐらりと体が揺れ、倒れた。


「……え?」

『隠?』


 指一本でさえ、うまく力が入らなくなる。微妙な熱に感覚が侵され始め、どこがどう動くのかが段々曖昧になる。


「はっ……うっ……」

『体の中、見るぞ』


 霧が隠の口から入る。


「おまえさん、ずっと顔色悪かったぞ。雨のせいじゃねえはずだ。ま、味見とばかりに襲った俺があれこれ言うのもなんだが……よっと」


 男は刀を鞘に収め、隠に近づく。隠は抗う術を探った。記憶を総動員し、呼吸を変える。


「近くに俺の家がある。休んでけ。治ったら全力で相手してもらうぞ」


 ひょいと、体を抱き上げられる。殺意も何も感じられず、戦いはおあずけとなったようだった。だが、決着が先延ばしにされただけであり、隠にとっては憂鬱なものであった。


 苦手だ。


『重大そうな異常は見えぬな。世話になれるというのであれば、無理をする必要はあるまい』


 霧が口から出る。

 隠はあきらめ、男に身を任せることにした。







 体が全く動かなくなっていた。頭……首から下がなくなったのではないかというほど、感覚が薄い。


 男の住む山小屋に連れてこられ、濡れた体を拭き、着替えるまでは出来たが、その後から徐々に体に力が入らなくなり、最後には首から下の感覚が全てなくなった。


 男は山小屋に連れてくるなり外に出て行った。


 床の上で横になり、布を被り、隠は目を瞑る。


『熱感があるな。異物はなし。腫瘍もない』

「治るかしら」

『呼吸ができれば治る』


 小屋が青白く光ったかと思うと、空を裂く轟音が響いた。雷だ。


「荒れそうね」

『山の気分は変わりやすいからのう……』

「ところであいつも妖なの」


 あいつ、というのは当然男のことである。刀をつくり直すとは、まるで朧だ。


『だろうな』

「ああいう簡単に刀をつくってしまうのは妖だからかしら」

『まぁ、変幻自在系の妖はだいたいあんなものだ』

「何その変なまとめ方。あなたもそれ?」

『そうじゃぞ。霧による幻惑、流れるように迅速な変身能力がわしの固有の能力じゃ』


 隠は過去を思い出しながら朧に尋ねる。


「強いのはなんで」


 今は見る影もないが、朧は大昔強力な妖であったらしい。一端は見る事がなくもなかったが、霧鬼と呼ばれていた朧の能力とは思えない。変身能力には散々世話になっているが、霧による幻惑なぞほとんどが見ない。


『鬼という種族的な強さかの。妖力の容量も大きい。あとは気じゃな。鍛錬積んであれこれ出来るようにしたのよ』

「妖力って」

『簡単にいうと精神的な気力のことじゃな。消費すればいろいろな術を発生させられる』

「何でもありね……」


 ため息を吐く。ただでさえ強力な鬼が怪しげな術まで使うとなると並の剣士ではどうにもできまい。隠も戦場で武勲を上げてきたのは学んだ術が戦場に適したものだったからだ。本当に強力な妖の前では隠の力は子供だましにもならないのかもしれない。


『いうほど万能ではないぞ。妖退治には人の方が向いているであろうし、刀で斬る方が早いという時もある。お主だって、妖を斬ってきただろう』

「あなたがいないと無理だし、できないときもあったわ」


 隠が妖を葬ることができたのは朧の用意する武器があるからだ。折れず、劣化せず、使い物にならなくなれば霧と化し、新たな武器に切り替わる。隠自身はそれほど強くはない、と思っている。


「一対一の状況じゃ私は本物の剣士に劣る。だからあいつに勝てないわ」

『本物、か』


 あの男は、少なくとも本物だ。剣の道を歩き、突き進み、磨き上げた者。

 妖とは思えないほど鋭い剣技を持つあの男は何なのか、今は何もわからない。


「……眠い」

『寝ればよい』

「違うの」


 あくびをしながら、隠は否定する。


「眠気が急すぎるわ」

『ふむ、体調不良に眠気。強制的なものか。いずれにしても寝て構わんぞ。わしがなんとかする』

「それなら、任せるわ」


 隠はゆっくり瞳を閉じた。

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