痛いの飛んでけ

 盛大な、実に盛大なため息を隠は吐いた。

 暗い夜道を、足を引きずるように歩いている。片手は荷袋を持ち、もう片方の手で頭をおさえていた。


「……最悪」


 全身、激痛であった。頭は激しく叩かれているようで、全身は筋が軋んでいるかのようだ。まばたきだけでも苦痛である。原因は、貝に放った朧の一撃だ。

 威力もさることながら、反動が凄まじかったのだ。


『村に残れば良かったのではないか』

「居心地悪いわ。あんなの」

『まぁわしも嫌だったが』


 気絶した隠は、衣蛸に岸まで運ばれたようだ。それ自体はありがたいことだ。でなければ、隠は溺れ死んでいるであろう。問題は、その様子を村人に見られたことだろうか。

 どうやらあの村、蛸を信仰しているらしい。


『手のひら返しがひどかったのう』


 目が覚めた隠を待っていたのは、村人たちの貼り付けたような笑顔だった。隠を、神の使いや巫女だと呼んで、もてはやされた。


 正直、気色が悪かった。関わりのなかった人物ばかりが近づいてきて、気が気ではない。


 隠も食料が底を尽きかけていたので、すぐ村を出るわけにはいかない。それを知ってか知らずか、振る舞われた食事は保存のきかないものばかりで、村人たちは隠を引き留めようとご機嫌取りに必死になっていた。隠からすれば、ありがた迷惑であった。


「でも、あの人のおかげで助かったわ」


 隠が目覚めた翌日に、漁が再びできるようになった祝いと、海の神への感謝として祭りが行われた。


 村人たちはこぞって飲んで騒ぎ、隠は響く頭痛に眉を潜めるしかなかった。短くない期間、貧しい生活を強いられてきた解放感、なのだろう。心の底から喜んでいる村人たちを止める気はなかった。


 隠が空き家で休んでいると、酔っぱらった男が入ってきた。空き家を教えてくれた村人だった。隠は少し身構えたが、男は何もしゃべらなかった。ただ静かに頭を下げて、保存のきく食べ物を置いていったのだ。


 祭りが終わり、皆が酔って眠ったころに、隠は村を抜け出した。村人たちの気が、一番緩んでいたからである。


『もらった食料はなんだ』

干魚ひうおと、干し貝だけれど……どうして?」

『うむ、しばらく蛸は食えぬと思ってな』


 衣蛸のことを気にしてか、朧がそんなことを言った。


「そうね」


 隠も同感であった。しばらく蛸を食う気分にはなれないだろう。命の恩人……いや蛸だ。


『……体、代わろうか?』


 猫背気味に、重い体を引きずっていたからだろう。隠を心配してか、朧がそんなことを言い出した。痛みに慣れている隠でも、それを快楽としているわけではもちろんない。加えて痛みが相当のものとなると、代わってほしいというのが率直な想いであった。


「ぜひ」


 感覚が薄くなると同時に痛みが消える。


「……いっ!」


 朧は背を伸ばして、身を震わせた。それから、頭をおさえて痛みにもだえる。


「お、おぬしぃ、よくこんなの。平気なかほ、顔してぇ!」


 涙声だった。自分の声とは思えないほど、高い声だった。


『大丈夫?』


 心配になって、問いかける。


「が、がんばりゅ」


 拳を振り上げて、朧が歩き始める。

 踏み出した先に、少し大きな石があった。

 嫌な、予感がした。


『あっ』


 予感は的中。朧はその石の存在に気付かず、踏んだ。そしてあろうことか、足を滑らせた。


「ふぎゃっ!」


 朧が悲鳴をあげて転ぶ。

 そんな無様な姿を見て、隠は盛大にため息を吐いた。


『最悪……』

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