夢見

 男はその日、仕事で木を切っていた。

 仕事が一段落し、汗をぬぐったときのことだ。偶然目の前に、きらりと光るものが見えた。


 不思議に思って、近づいてみる。すると、白く輝く、不思議な木があった。

 今まで、男は数えきれない木を見て、そして切ってきた。だからこそ、男は思った。

 こんな美しい木は見たことがない。


 わずかな木漏れ日を浴びて、煌びやかに輝く樹皮。大きく根を広げ、堂々と立っているその姿。思わず見とれてしまうほどの立派な巨木であった。


 男はしばし、その木を眺めているだけであったが、やがてあることを思い出した。

 男は父親から、夢見の木の話を聞いたことがある。まだ男が若いころ、親がまだ家にいたころの話だ。酒を片手に、語ってくれたことを覚えている。

 一際目立つ、白銀で、大きな木らしい。神様が山に授ける珍しい木で、夢見の木がある山は必ず栄えるというのだ。人々は、この枝を使って枕をつくる。そうすると、枕を使う者は幸福な夢を見ることができ、家には幸福が訪れる、と。


 これだ、男は確信した。夢見の木に違いない。


 斧を握りしめる。


「あいつに、いい夢見せてやれる」


 男には妹がいた。病床に伏していて、外に出られない。親は行方が知れず、兄である男がどうにか食べさせていくしかなかった。

 妹のために、枝を取って枕をつくってやりたい。幸い、木の表面は木目などで足をかけられそうなところがいくつもあった。上って枝を切り落とすくらいはできるだろう。

 斧を腰紐にかけて、手を付ける。こんなにも綺麗な木を踏んでしまうのは申し訳ないのだが、妹の笑顔を思うと我慢できなかった。


 上る。


 感触はどこか柔らかかった。とはいえ、他の木と比べたら、の話であった。がっしりと力強く、根をはっているのには変わりない。


 上る。


 手に、妙な感覚があった。どくん、どくん、と。まるで、木が生きているような音が響いてくる。この中に心臓でもあるように、樹皮が脈打っている。


 上る。


 どこまで行けば枝があるのか。そんなことを考え始める。枝があってもいいころだが……そう思って、確認のため、上を見た。

 

 ――「目」が、あった。


「ひっ」


 中年の男がいた。こちらを、冷たい目で見下ろしている。


 枝にぶらさがっているのだ。頭頂部が枝に繋がっていて、まるで果実のようにぶらさがっている。

 そして、それが中年の男だけではないことに気付く。

 空を覆い隠すように広がった枝に、三人、人間がぶらさがっている。

 ぞわりと、体中が警笛を鳴らし、総毛立った。


「うわぁああ!」


 男は叫びながら、木から飛び降りようとした。手足を放し、落ちる。

 しかし。


「ぐえっ」


 男の体が宙に浮く。

 枝が真っすぐ、男の脳天を貫いていた。釣り上げられた魚のように、体が上に持っていかれる。

 そうして、自分も同じように、木にぶらさがった。







 男は幸せだった。


 何も考えなくていい。地を見ているだけなのに、無性に気持ちがいい。

 食べ物がなくとも、生きていける。働かなくとも、生きていける。難しくない、疲れない、ただただ気持ちがいい。頭が真っ白で、首の後ろが痺れたみたいで、多幸感に包まれていた。


 あれから何日経ったかわからない。何年も経った気がするし、つい最近の気もする。きっと、些細なことだ。仲間だってたくさんいる。寂しくもない。


「夢見の木?」


 下のほうから声がした。見下ろすと、女性が木の近くに立っていた。


 綺麗に切りそろえた黒髪が肩までのびている。顎の線はすっきりしていて顔立ちがいい。少し細いが、凛とした雰囲気で弱々しさを感じさせない。そんな女であった。


「ふぅん」


 まるで誰かと会話をするような様子で、下の木を触る。


 男はゆっくり、女に枝をのばしていく。気付かれないように、そっと、枝を動かす。なぜ自分が夢見の木を自在に動かせるかは、毛ほども疑問に思わなかった。


「枝、ね」


 女が顔を上げる。


 目があった。


 枝は女の背後に忍ばせており、もうすぐひと突きにできる。思わず笑いがこらえられない。

 見上げた女の顔が何かと重なる。


 ――あれ? 俺、何がしたかったんだっけ。







 斧を、叩きつける。

 それで最後だった。


 ――ぎゃあああああああああああぁああ!


 幾重もの叫び声が響きわたり、ゆっくりと木が倒れていく。倒れながら、黒い枝がなばりに飛んでくる。


 隠は斧で枝を斬り、後ろへ跳んで距離を開けた。黒い枝は隠を襲うべくのびたが、途中でしなびて地面に落ちる。


 倒れた木は、黒い部分が急速にしぼんでいき、叫び声をあげていた人間たちも干からびていった。


 若い男が手をのばして、口を開ける。


「ゆ……い……」


 涙を流しながら、若い男は絶命した。

 最期に口にしたのは、なんだったのだろうか。隠に確認する術はなかった。


「終わったの……?」


 手を震わせながら、汗を拭う。


『らしいな』


 握っていた斧が霧になる。そして小僧の形を取った。隠に憑いている、霧鬼のおぼろだ。長い髪をかきあげ、朧は倒れた木に近づく。その表情は厳しいものだった。


「幹の途中から継ぎ接ぎの跡があるな」


 近づくなよ、そう隠を手で制し、朧はあちこち倒れた木を見る。隠は覗き込むように背伸びをし、木を観察する。白と黒の境目に、縫いつけたのような痛々しい痕があった。


「朧、これ。人がやったの」


 朧は首を振った。


「わからん」

「なら妖?」

「どっちもありうる。少なくとも、この黒い木が寄生したわけではなく、何者かが植え付けたのは間違いないな」


 隠は干からびた人々を見た。数にして四。黒い枝と、頭が繋がっている。

 誰一人として知るものはいない。しかし、こんな、人を晒し物のようにした木と、木をつくりあげた何者かを、おぞましく感じた。


「燃やすべきだ」


 隅々まで木を観察した朧が断言する。


「夢見の木というのは周りに活力を与え、地域を活性化するものだ。周りの木を見ろ。やせ細って枯れそうになっておる……真逆の性質だ。周りから命を吸い上げて、己を肥大させる」


 言われてみれば確かに周りの木はやせていた。枯れかけているかまでは、隠には理解できないものの、朧が言うのであれば正しいのであろう。


「この引っ付いている人間ごと燃やせ。何をするかわからん」


 頷く。


 隠は火起こしの道具を取り出すと、火を起こし、木へ投げる。しばらくして、黒い枝も、白い幹も、つながっている人間も燃えだした。

 隠はただ、燃えている木の前に立ち、手を合わせた。

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