寸話集

 野宿をすると、朧が体を使うようになった。

 今までは朧は必要性を感じない限り、隠の体を使うことはなかった。変わったのはごく最近だ。


「体借りてよいかの」


 火を起こし、夕食を済ませた後、朧がそう訊ねてくるのだ。そして、朧は体の主導権を握る。

 体を借りた朧は、胡坐をかき、深呼吸を繰り返す。それを二刻(一日を四十八で分けたときの数え方)ほど続けて、体を戻してくれる。

 ここ数日野宿ばかりしていたため、そんな朧の様子を毎日見ていた。

 今日も、朧の深呼吸をする様子を眺めていた。


『何をしているの』


 こう何日も続けられてはさすがに気になるというもの。邪魔ではないかと迷いつつも、朧に問う。

 朧は呼吸をやめて唸った。


「何と言えば良いか……」


 困ったようにこめかみに指を当てる。


「体作りかの」


 その答えに、隠はとある噂を思い出した。人間でも狂気に呑まれれば妖や獣になるのだと。


『私を妖にでもするつもり?』


 朧とて元は鬼なのだ。人間の体より妖の体を求めるのは当然の帰結であろう。

 そう思って問うたのだが、朧は鼻で笑った。


「なわけないじゃろ」


 あまりに馬鹿にしたような物言いに、隠はむっとした。


『朧は、妖の体がほしいと思わないの』

「今はいらんかの。わしの体が戻ってくるなら大歓迎じゃが」

『あるの』

「そりゃ、どこかにあるじゃろ。体と魂分けて封印されたわけじゃし」

『分けて? 聞いてなかったけど、どうして封印されたの』


 朧と過ごして随分経つが、人に害を為すようなことは一切していなかった。やろうと思えばいくらでもやれるだろうに、しようとしない。

 人をからかうことはある。しかし、封印されるような大事ではもちろんない。


「お主が思っている以上に、人間に畏れられとったんじゃよ」

『ふーん。本当に強かったの』


 そうさな、と。朧は顎に手を当てる。

 答えはさほど待たなくともやってきた。


「人を滅ぼせるくらいには」


 すとんと落ちるように。

 ごく真面目な顔で朧が言った。いつものように冗談めかすわけでもなく、自然に。


「ひっそりと島で暮らしておれば、封印もされなかったんだろうがな」

『そう』

「なんじゃそのうっすい反応」

『想像できないもの』

「はぁん」


 呆れたような、疲れたような、微妙な表情が返ってくる。そんな顔をされたところで、実感のわかないものはわからない。

 朧の、霧や霧からつくりだされる武器は確かに便利ではある。しかし、戦いになれば隠任せであることがほとんどだ。人を滅ぼせるような力を持っているとは到底思えない。


『で、何の体作りなの』

「……気じゃな」

『気?』


 初めて耳にする……わけではなかった。ただ、気の存在は眉唾ものというか、生きるにおいて知っていても何ら意味のないものであった。

 気とはあらゆる物が持つ、力の根源。それ以上でもそれ以下でもない。


『どうするのよ』

「無論、戦闘で使えるようにするのよ」

『は?』

「ほーら、わからんって顔するじゃろ」


 頭をかきながらため息を吐かれる。


「気とはあらゆる力の根源。力に方向性が加わればあらゆることができる。普段は無意識でやってるがこれを意識的にすることでな、傷を癒したり病を飛ばしたり、山を砕いたりできるのよ」


 突拍子のない話に、隠は首を振った。


『できたら苦労しないわ』


 気で傷も病も治るのであれば、誰も死なないであろう。山を砕けるのであれば、武人はもっといるであろう。しかし現実そうでないのだ。人は簡単に傷を負い、死ぬ。山を砕こうとすれば拳を痛めるのみ。


「いやな、今のはあくまで理想じゃ。そも自然に流れているものを無理やり動かすんじゃ、危険はかなりある。扱うにあたっては相当な修行が必要よ」

『気を使えるように修行してるってわけ』

「人間にも使えるからな。わし人間に教わったし。ま、こつはわかっとるから以前ほど時間はかからん」

『前はどれくらいかかったの』

「うーんそうさな、二十か、三十かの」

『だいたいひと月?』

「日じゃないぞ、年じゃ」


 途方もない習得期間に、開いた口が塞がらなかった。実際の口を開けっぱなしにしてるのは朧のなのだが。


「まず使える人間に出会うのが奇跡みたいなもんじゃったな。鬼の身で教われたのも幸運じゃった」

『でしょうね』


 朧が二十か三十年も時間を費やしたということは、気の使い手も同じ期間付き合わされたのであろう。気の毒である。


『使えるようになるのはいつになるのかしらね』

「さぁ。無理に習得を急げば、体がこうなるからのう」


 手を叩いて、朧が言う。つまり、破裂して死ぬということだろう。

 死ぬのは構わないが、そんな意味のわからない死に方はやめてもらいたいものだ。

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