斬る

 全身の肌が粟立つ。女郎蜘蛛に睨まれながら、隠は静かに迎え撃てるように構える。


「人間か。村人か、それとも通りすがりか……いずれにしても運のないことよ」


 ざわざわと周りが騒がしくなる。子蜘蛛が動き、こすれる音だった。

 隠は呼吸を深く吐き、小刀を構える。

 上下左右、あらゆる方向から、子蜘蛛の視線が注がれてくる。


『逃げ遅れたではないか、たわけめ』

「あなた強いんでしょ。どうにかしなさい」

『わしではできぬから帰れと言ったんじゃ』

「雑魚。役立たず」

『ぐぬぬ……!』

「……とりあえず、女郎蜘蛛をやれればいいのね」


 隠は迅速に行動した。

 子蜘蛛たちに囲まれている女郎蜘蛛。それと距離が詰められないと判断し、小刀を投げた。

 鋭く飛ばされた小刀は、吸い込まれるように女郎蜘蛛の首へ向かっていった。

 うまくいけば、それで決着だったかもしれない。しかし、そう甘くはなかった。天井から落ちてきた子蜘蛛が小刀を受けたのだ。

 思わず、舌打ちする。


『武器を失ってどうするんじゃお主』

「うるさい」


 一匹。一番近い子蜘蛛が全ての足を使って跳び上がってきた。口を開き、頭に噛みつかんと襲ってくる。

 隠はそれを手刀で叩き落とす。地に落ちたところで、頭を足で踏み潰した。潰しても蜘蛛の足は動き続けたが、再度踏みつけると動かなくなった。


「武器がなくても、女郎蜘蛛は殺してみせるわ。喰い殺されてでも」


 でないと、「あのとき」の二の舞になる。

 女郎蜘蛛は子蜘蛛一匹に襲わせても無駄と判断したらしい。


「集まりなさい」


 号令を飛ばして、子蜘蛛を一か所に集め始めた。


『……お主』

「なによ」

『どうして戦おうとする。村人たちと協力すれば、ずっと安全だろうに』

「それは」


 拳を握りしめる。

 かつての記憶が、光のように瞬いた。

 鮮明に血に染まった世界。並べられた死体。

 そして、人を喰う鬼の姿。


「戦える人が戦わないと、死ぬのはいつだって戦えない、弱い人だからよ。そんなの、もう二度と見たくない」


 いつの間にか、隠の声に力がこもっていた。

 霧鬼に、隠の想いがどのように伝わったのかはわからない。


『……武器があれば、女郎を討てるか?』


 ただ、霧鬼がなんらかの気変わりを起こしたことは間違いなかった。

 隠は強く頷いた。


『霧を掴め。お主にぴったりな武器を用意してやる』


 言われたように、霧を掴むようなしぐさをする。

 すると、薄い霧が掌に収束し、刀を形成した。

 刀はまるで、羽根のように軽い。


「これは……あなたの、力?」

『これでは不足か?』

「いえ、十分よ」

『なら、役立たずという暴言は撤回してもらわねばの』

「えぇ。雑魚なのは変わらないけど」

『お主、ちょくちょく辛辣すぎない?』


 軽いやりとりをしたのち、表情を引き締める。

 刀を強く握り、深呼吸。

 その様子を見ていた女郎蜘蛛は、首をかしげる。


「なんだ、その刀は」


 隠は答えなかった。

 子蜘蛛の数を考慮しつつ、最短で女郎蜘蛛を討ち取る道を探る。


「二本目があればもっと楽なんだけど」

『同じものなら用意できるぞ。でかいのは無理だ』

「お願い」

『承知した』


 もう片方の手を伸ばし、霧を掴む。二本目の刀がそこに現われた。

 右手を前、左手を後ろ。

 体はそれらに合わせて縦に。後ろ足はやや控えめに。

 構えが完了するまで、刹那の出来事。


「やれ!」


 女郎蜘蛛が叫ぶ。子蜘蛛は隠に向けて一直線、一斉に迫ってくる。

 視界を覆いつくすような大群だった。


「……ふっ」


 短い呼気の後、隠は右の刀で突きを放った。

 先頭にいた子蜘蛛を串刺しにし、腕を払えば、それは壁に飛んでいく。そして岩肌に体をぶつけ、潰れた。

 次は左。

 繰り出されるは単純な袈裟斬り。子蜘蛛、二、三匹を一度に斬り捨てる。そこから刃を逆にし、時間が巻き戻ったような軌道で斬る。


 一歩。また一歩。


 隠は少しずつ速度を上げていく。

 あらゆる動作の何もかも。


 子蜘蛛はもちろんただ斬られていたわけではない。噛みつくべく跳びかかったり、動きを鈍くするために糸を吐いた。

 しかし、跳びかかったものは斬られ、糸を吐くものは吐く前に足で頭を潰されたり、糸を吐けたとしても空をきるものばかりであった。


 包囲しているのにも関わらず、だ。


 子蜘蛛の数の利を、隠がものともしない理由は大きく分けて二つあった。


 一つ目として、隠は、このような状況に慣れていた。

 彼女の扱う技は、持っている武器がなまくらだろうがなんであろうが、その武器が現状において発揮できる最善の一撃を放つことを目的としているものだ。戦場で扱うことを想定としたそれは、武器は奪い、使い壊し、捨て、また奪うものとされている。元々、戦では武器は使い捨てだが、そちらの方面に特化させたのが隠の技だ。


 戦場では、隠を狙った矢なぞ雨のように降ってくる。それだけではなく、隠の一撃では、ひるみもしない猛者を相手にしなければならないときもある。武器がなくなり、素手を余儀なくされることも珍しくはない。


 その戦場に比べれば、子蜘蛛の相手なぞ赤子の手をひねるように容易かった。攻撃は武器による一撃に劣るし、防御は防具よりはるかに弱い。回避なぞ、子蜘蛛どもの頭には毛ほどもないだろう。


 そして、もう一つ。


『ふむ、だんだん掴めてきたぞ』


 霧鬼の存在である。

 霧鬼が用意した刀は、業物だった。

 軽く、切れ味が優れ、刃こぼれもしない。しかし、万能ではない。隠が注意深く糸を避けていたとしても、子蜘蛛を斬っていた刀に糸はからんでくる。しかし、そうなった刀は文字通り霧散し、新たな刀が手に握られる。

 隠が捨て、奪うまでもなく、霧鬼が消し、生み出すのだ。

 今、この場で尽きるものと言えば、隠の体力が先か、子蜘蛛が先か程度のものだ。

 斬る。突く。蹴る。踏む。叩く。

 最初は大量にいた子蜘蛛だったが、そのようにして処理されれば抵抗の色も薄くなっていく。

 焦りを感じたのか、女郎蜘蛛は叫んだ。


「糸をばらまけ! 娘がどこに逃げても捕まえられるようにだ!」


 それを聞いた霧鬼が瞬時に言う。


『娘! 体を寄越せ!』


 隠は息を大きく吸い、体を手放した。

 背中から頭を掴まれたような感覚が遅い、体の自由がなくなる。

 両手に持っていた刀と、浮かんでいた霧は消え去っていた。


「ははっ、焦りすぎじゃあほうめ!」


 唇が三日月型にゆがむ。

 体の主導権を握った霧鬼は、敵へ背を向ける。そして、走り出した。

 背後ではきっと子蜘蛛たちが天井へ向けて糸を吐き始めたのだろう。


「逃すなぁ!」


 子蜘蛛たちは逃すまいと群がるが、数が減ったために霧鬼を止められはしなかった。

 追いかけようとした子蜘蛛もいたかもしれないが、霧鬼の走りは素早く正確で、おそらく隠が走ったときよりも速かった。


 通路まで抜け出して、振り返る。

 広場の子蜘蛛たちは全て糸をかぶっていた。

 そして、女郎蜘蛛も、である。

 子蜘蛛たちは動こうとするが、自らまいた糸に拘束され、身動きが取れない状態に陥っていた。


「自滅とはまさにこのことよなぁ!」


 急に、体の感覚が戻る。手元に霧が出たかと思えば、即座に刀に変わった。


「何してるんだいぼうやたち! さっさとあの小娘を殺すのよ」


 隠は女郎蜘蛛へ歩き出した。

 一歩一歩。ゆっくりではあるが、進む。邪魔になりそうな子蜘蛛は、刀で糸ごと斬りはらいながら、着実に女郎蜘蛛に近づいた。


「くっ調子に乗るな、小娘」


 そこでやっと、女郎蜘蛛は己の姿をさらした。

 下半身が膨れ上がると破れ、蜘蛛の足が伸びていき、髪がわかれたところから、口の裂けた顔が出てくる。腕は今までの二倍ほどに長さを変えると二つに分かれた。腕が四つになる。


『見た目に騙されるな。お主なら問題ない』

「えぇ、わかってるわ」


 今までの攻防で相手の力量はわかった。


 女郎蜘蛛が糸を吐く。

 しかし、紙一重で隠は避ける。そして、すぐに目の前までたどり着いた。


「おのれ」


 女郎蜘蛛は長い腕を振るってくるが、横薙ぎの一閃で斬り落とす。どろりとした透明な液体が、腕から噴き出した。


「あがっ、うでが。私の腕がぁ!」


 女郎蜘蛛は悲鳴を上げながら、自身の腕をおさえる。


 明らかな隙だ。それも致命的な。


 隠は、姿勢を低くして、両手の刀を交差させる。まるで、巨大な鋏を持ったような構えだ。


 そして、短い呼気と共に跳躍する。


 二本の刀は、女郎蜘蛛の首をとらえていた。


 気づいた女郎蜘蛛の顔が、驚きと恐怖が混ざった表情に変化していく。

 しかし、女郎蜘蛛の表情はすぐに固まってしまった。


 なぜなら、首はもう、繋がっていなかったからである。

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