語らい
夜中、朧は与えられた部屋を抜け出して外に出た。
「おい、娘」
『何?』
朧が娘に声をかけると頭の中で返答があった。憑依した者は、憑依された者と会話ができる。その術を朧は娘に教えていた。
今、娘の体は非常にまれな状態にある。通常であれば体を乗っ取ろうとする妖とそうさせまいとする人間側で意識の奪い合いが起こる。ゆえに一つの体に二つの意識が共存することはありえない。しかし、朧も娘も体の主導権は主張しなかった。朧が望んだのは意識が人の体の中にあること。娘はそのことを受け入れる、ただそれだけだった。
朧が今体を動かしているが、娘が本気になれば体の主導権を奪い返すこともできる。娘の体は、どっちつかずのあいまいな状態だった。
「村人どもが飼っていた蜘蛛ども。なんだかわかるか?」
『わかるわけないじゃない』
非難するように言われ、思わず舌を出す。
「女郎蜘蛛の子どもじゃ」
『女郎蜘蛛?』
娘の首を傾げる姿が、目に浮かぶようだった。
「妖(あやかし)の一種じゃよ」
話相手がいることを内心喜びつつ、朧は説明をした。
「上半身女、下半身蜘蛛の妖だと思っておけ。新しい妖とか生まれ出ておったら知らんが、まぁ、子蜘蛛に人を食わせるあたり女郎蜘蛛じゃ」
『親がいるってこと』
「そうじゃな。親じゃ」
『それで……?』
「親がおったら子を産むじゃろ? このまま村を放っておいたら、また同じことの繰り返しじゃ。ゆえに」
『元を絶ちに行くのね』
娘の言葉に朧は頷く。
『でも、どうやって』
「なに、犬も歩けば棒に当たるというやつじゃ。あのちっこい蜘蛛だけでこの村に来れるわけがない。女郎蜘蛛も村に来るはずじゃ」
『来るとすれば、誰もが寝静まった夜中のうち……ということ?』
「だから夜中に歩き回る」
腰にさげた小刀を握りしめる。これは、娘が自害のために持っていたものである。
「女郎蜘蛛を見つければ刀でばっさりやってしまえばいい。なに、やつ自体はたいして強くない」
女郎蜘蛛という妖は子蜘蛛の数で圧倒するが、本人の実力はさほどない。
無防備なところを斬るか刺すかすれば、それで事足りるだろう。人間と急所はほぼ同じ。首を狙えばいい。
「ところでお主、なんで旅なんぞしておったんじゃ」
『いきなり何?』
「暇じゃし、聞いておこうと思ってな」
歩きながら、朧は問いを投げた。一時的かもしれないが、自身の宿主である。少しは彼女のことを知りたいと思ってのことだった。
『……嫌気がさしたから』
「ほぅ」
『旅に出る前は、戦ばかりしていたわ』
「よく生き残ったのう」
『戦場で戦う術ばかり教わってきたから』
「なるほど」
『人を殺して、殺して、ひたすら殺したわ。なんで戦ってるのかわからないほどに』
それは悔いるような、苦しむような、そんな言葉だった。
『いつか戦がなくなるだと思ってた。けれど違ったわ。人の欲望がわけばわくほど、一緒になって戦いはわいていくるのよ』
財、権力、土地……戦には様々なものがからむ。それに、娘は辟易したのだろう。
『武器を全部捨てて、身一つで旅を始めたわ。帰りたい場所も、行きたい場所もなかった。正直、のたれ死んでも良かったの』
「なぜじゃ」
『戦以外に、私ができるものがなかったからよ』
自嘲気味に娘が答える。
それきり娘は話を続けなかった。
話すべきものがなくなったのか、これ以上話す気がなくなったのか、朧は知る由もない。
ただ、娘が朧に話せるものはそこまでなのだろう。
歩みを止めて、朧は呟く。
「難儀じゃったな」
空を見上げる。
見事な満月が、朧たちを見下ろしていた。
結局、女郎蜘蛛に遭遇することはなかった。
〇
霧鬼はどうやら、隠が眠っている間にも行動できるらしい。
蜘蛛を吐き出させるときになった、霧の状態。あの状態になれば、ある程度の範囲内で自由に移動できる。
隠の体に疲労が蓄積しないよう、霧鬼は昼は霧の状態で起き続けた。隠は夜の見回りに備えて、眠りにつく。
空腹が収まらない人がいれば、隠の下に来るよう、村人には伝えてある。しかし、そんな事態は一切なかった。
霧の浮かぶ部屋で、隠は横になる。部屋の中には、村人からの感謝の品が散乱していた。
ぼんやり霧を眺めながら、規則正しく呼吸をする。
ここ数日、霧鬼と過ごしてきた。隠が霧鬼に対して、不満に思うことなど一切なかった。
常に見られている、という気色の悪さはないわけではない。しかし実害はほぼないのだから文句の言いようはなかった。
むしろ、隠が生きたまま村の助けになれていることが不思議なくらいである。
生贄として死んでもおかしくはなかったし、そうでなくとも、霧鬼に意識を乗っ取られるくらいの覚悟はしていた。結果、どちらもなかったわけだが。
鬼に会うのは二度目だ。霧鬼は、一度目の鬼とはだいぶ違う。
隠の知っている鬼は、女郎蜘蛛のように人を殺す側の存在だった。霧鬼は真逆だ。
『さっきから見とるけど、用か?』
「いえ、別に」
瞼を閉じる。霧鬼は特に追及してこなかった。
「……あなたは人を喰わないの」
『は?』
「私の知ってる鬼は、人を喰ったわ」
瞼の裏で、隠の記憶が浮かんで消える。
「女郎蜘蛛ってやつと同じよ。でも、あなたはなんで」
『体ないしの』
「あったらするの」
『わしはせんの。そういう趣味ではないからの』
「趣味ではないって……」
『狩人は肉を食らうが、僧侶は肉を食わんのと同じじゃよ。喰わないもんは喰わない。喰ってるやつは愉快だからとか、味がいいとか、効率がいいとか、そういうものじゃろ』
つまり、趣味の問題だと。霧鬼は言ってのけた。
「人を喰うのが、趣味……」
『信じられぬか。まぁ、人に食われるものも同じ気持ちだろうよ。そこに己でないといけなかった理由なぞないからの』
人間がまるで獣かのような物言いだった。
隠の中で小さな怒りが沸き起こる。しかし、違うとは言えなかった。叫んでしまえば、霧鬼の言葉を認めてしまう気がしたからだ。
『向いてもいないのに小難しいことを考えんほうが良い。それよりも眠るほうがお主にとっては有意義だろうよ』
咳払いをしつつ、朧のほうから話を打ち切ってきた。隠の中の火が、優しい声音によって消し去られる。
息を深く吐き、気持ちを落ち着ける。
そして少しずつ、まどろみに落ちていった。
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