呪い

 満腹にならない。わざわざそういった言い回しをするということは飢餓ではないのだろう。そしてそれは感覚の問題ではないのか、と、朧は受け取った。


「……は?」


 一瞬、朧はなんてしょぼい呪いなんだと思ったが、どうやら違うらしい。娘の顔はいたく真剣であった。


 そも、それだけのしょぼい呪いであれば生贄を捧げる必要はないだろう。


 朧は大人しく、続きを聞くことにした。


「呪いにかかった人間は、空腹が何日も続いて、いくら食べても満腹にならない体になるの。そしてどんどん体がやせ細っていく。最終的にその人は餓死するわ」


 思っていたより洒落にならない呪いであった。


「餓死か。病にしては奇妙じゃの」

「じゃあ、呪いね」


 決めつける娘に、朧は腕を組んで唸る。


「見ておらんのに判断するのはなー」

「呪い、消せるの」


 娘の問いに、朧は自慢げに答えてみせた。


「そりゃわし強いし? たいていの呪いは……待て待て! 待たんか」


 再度刀を突きたてる娘を、朧は慌てて止める。非難するような視線がとんできた。


「何?」


 心底わからないといった様子の表情を、娘は向けてくる。まるで死ぬために生きてきたかのような、そんな態度であった。


「何? じゃないわたわけ。お主あれじゃな、死ぬのも呼吸するのも大差なさそうじゃの」

「私、生贄になりにきたのよ」

「知っとる」

「死なないと意味がないわ」


 死ぬことが前提となっている娘の物言いに、朧は頭を抱える。


「お主、もはや死ぬのが目的になっておらぬか」


 朧が問いを投げると、女は顎に手を当て考え込む。やがて、考えがまとまったらしく口を開いた。


「そうかもしれないわ」


 ……ため息が漏れた。

 朧は声を低くして、諭す。


「どこで死のうがお主の勝手じゃろうが、死ぬ理由にわしを使うな。迷惑じゃ」

「鬼が人の死を気にするの」


 首を傾げながら、問われる。強く頷き返した。


「当然じゃ」

「私の知ってる鬼は、人を喰うのが好きだったけど」

「わしの知ってる人間は、そんな平然と死なんぞ」


 朧の言葉に、娘は口をつぐんだ。


「天命に身を任せる者はおる。じゃが、任せるだけじゃ。ここはお主の死に場所ではないぞ」


 娘はそこで初めて俯き、影のある表情を見せた。口をきつく縛り、拳を握りしめる。握られた刀の刃先が、わずかに震えていた。


「……なら、村を見捨てろと」

「見捨てる気がないのならひとつ手がある」


 指をひとつ立てて、朧は提案をした。


「お主、わしに憑かれる気はないか」


 数百年、祠にこもりっぱなしの朧である。そろそろ外に出たいとは思っていた。娘が死にたいというのであれば、憑りつかれるのも別に構わないだろうと、朧は考えた。


「わしがお主に憑けば、わしはこのちっこい祠に縛り付けられずに済む。村についていって呪いを消せるし、呪いでなくとも原因はわかるやもしれんぞ」

「いやよ」

「即答! いや嘘じゃろ? 死ぬのはよくてわしに憑かれるのがいやとか」

「あなた男でしょ」


 言われて、朧は己の体を見る。数百年もこんな状態で生きていれば体の形なぞ些細なことだ。加えて朧は霧の鬼である。


「体か? 女にもなれるぞ」


 多少の変化はできる。幅は狭いが完成度は高い。朧は胸に手を当てながら目を細めた。


「男でしょ」


 朧の態度に、娘は眉ひとつ動かさず、淡々と告げた。


「……そうじゃが」


 娘は自分をかばうように肩を抱いた。そしてゆっくりと、


「気持ち悪いわ」


 そんな感情を吐露した。


「そこ譲らんのか! 村人どうなってもええんかお主!」


 死ぬことはよくて、憑かれるのはよくないとは思っておらず、朧は思わず叫んだ。娘はしばらく朧を眺めた後、大きくため息を吐いた。


「……冗談よ」


 娘は両手を広げ、瞳を閉じる。


「呪いが解ければなんでもいいわ。憑くなら早くして」

「お主、人を笑わすの下手じゃろ」


 ぶつくさ文句をいいつつ、朧は娘に憑りつく準備を始めた。


 朧は祠に封印されている……だが、封印によって朧を縛り付けているものは少ない。朧自身が祠を中心としたわずかな範囲でしか行動できないことと、物理的な干渉が不可能なこと以外、基本自由である。


 しかし、朧が封印されたころから封印の効力が弱かったわけではない。最初は強力な封印がかけられていたが、特に封印をかけなおす儀式もなく、ただ長い年月の間に凄まじい劣化をしてしまった。


 それゆえ、祠の中に閉じこもっている自分の魂を、他のものに乗り移させれば、封印などあっさり解ける。乗り移るには相手に了承を得る必要があるため、まず会話できる人間が訪れる必要があった。


 憑りつく条件がそろう相手など滅多にこない。まさに千載一遇の好機なのである。

 朧は視覚を遮断し、意識だけを残す。林で緑に染まっていた世界は、黒に塗りつぶされた。


 心を静める。そして、目の前の娘を想像する。

 魂の形を、質を、色を。


 やがて、炎のようにゆらゆらとそれは現われた。


 鞘に納められた刀だった。淡い青色の刀。それが娘の魂の在り方として出てくる。

 ここまでくればあとはもう、思いのままである。

 手を伸ばす。

 そして、刀を掴み、引き抜いた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る