朧月

月待 紫雲

きり鬼

厄神

 おぼろは、そこでは厄神として畏れられている存在であった。薄暗い林の中の小さな祠に封印され、もう数百年は静かにしている。封印された当初は、祠に訪れる人もまばらにいたが、最近はほとんどいない。


 しかし、客が来たとしても朧の退屈がまぎれることはない。なぜなら朧の姿は人には見えず、声は人に届かないのだから。


 そのため、今日やってきた来客に朧は少しばかり感動した。

 客は年若い娘だった。

 雑に切りそろえた黒髪は短く、可愛らしい小さな耳が見える。顎の線はすっきりしていて顔立ちもいい。瞳はいきいきとしており、静かに輝きを放っている。白い着物に包まれた体は細く、しかし肉が引き締まっていて力強さがあった。纏う雰囲気は凛としており、堂々としている。


 そんな娘が祠の前にいた。

 朧は祠の上であぐらをかいている。


 視線は、合っていた。


「わし、普通は見えないはずなんじゃが」


 たまたま目が合っている可能性もあった。故に、常人では聞こえない己の声を出す。呟いた言葉に反応するように、娘はその桜色の唇を開いた。


「知らないわ。見えてるんだもの」


 返事がきた。落ち着いた声だった。


「祈祷師かなんかかお主」

「……違うわ」


 視線が一瞬はずれる。


「そうか。ところで何をしに?」

「ここの鬼とやらの、生贄としてきただけだけよ」


 娘の言葉に、朧は首をかしげた。これまでお供え物はあっても、生贄など捧げられたことがなかったからだ。


「生贄? なぜじゃ」

「村に災いがふりかかってるの」

「ほう、それで」

「ここの鬼の祟りだから鎮める」


 かくりと、朧の頭が落ちた。


 というのも呪いというものに、朧は皆目見当がつかなかったからである。村を恨んだ時はないし、何なら封印した人間を憎ましく思ったこともない。そも、祠に縛り付けられているのだから村の状況なぞ知りようがない。手の出しようもない。


「わしのせいか」

「あなた、鬼なの」


 問われて、朧は得意げに飛び降りた。


「おう、わしこそがここの厄神、霧鬼じゃ!」


 高らかに宣言して胸を張る。娘からは冷たい視線が降りてきた。


「……子どもじゃない」


 朧の姿は、娘よりも幼い、童子のものであった。髪は背中まであるほどに長く、身長は立ち上がってみても娘にさえ届かない。見た目からすれば完全に鬼の要素などなかった。


「鬼だと証明せねばならぬのか」

「私は正しく鬼の生贄としてささげられて、呪いを鎮めなきゃならないの」

「なんじゃ、これから死のうというやつがやけにやる気じゃのう。無駄に元気じゃし」


 仕方がないのう……そう呟きながら、朧は頭に拳を当てた。額から二本、棒が生えていて、それを掴むような形であった。そして、ぐいと引っ張るしぐさをする。

 すると、それを見ていた娘の目が見開かれた。


 視線の先は当然、朧の頭。さっきまでなかった角が生えていた。


 髪をわけて突き出た白い角。それを強調するように、朧はまた胸を張って頭を上げる。


「どうじゃ。鬼の中でも角を隠すのは高等技術じゃ、鬼ですら目ん玉飛び出て――」

「――わかったわ」


 朧の自慢話を完全に無視して、女は流れをぶった切った。

 娘は懐から小刀を出すと、鞘から引き抜く。


「じゃあ、命を捧げるから。私の魂を喰って、祟りを消して」


 そして、胸元にそっと刃先を当てられる。

 慌てたのは無論、朧である。


「いや待て!」


 娘は完全無言だった。しかも、皮膚に刃をめり込めせてきた。


「待て、待て待て待てっ! なんじゃ、最近の生贄はこんなに積極的なのか!?」

「そんなわけないでしょ。死ぬんだから」


 言いつつ、白い肌に赤い線が彩られる。

 こんな活き活きした生贄があってたまるか。


「ちょっ」


 朧は慌てふためきながら、気の遠くなるほど久方ぶりに大声を上げた。


「お願い! 後生じゃ!」


 両手を合わせ、前に突き出したまま頭を下げた。今まで感謝を示す為に頭を下げたことはある。鬼として相手に頭を下げさせたこともある。


 しかし、自害を止める為に頭を下げることは朧の長い生涯の中でも初めての出来事だった。


「……どうして」


 顔を上げると、娘がこちらを睨んでいた。

 恨めしげに、怒りを滲ませて。


「いいから! いらないっ、わし生贄なぞもらいとうない!」


 厄神の威厳もへったくれもない。そも、朧は厄神を自称しているわけではない。人間がそう呼ぶようになったから、勢いに身を任せているだけである。

 女はため息を吐いて、刀を己から離す。


 朧は大きく肩を上下して、呼吸をする。出るはずのない冷や汗が出た感覚がした。


「ひぃ、ひぃ、ふぅー」


 まさか自分が慌てふためくとは思いもしなかった。

 娘は落ち着いた様子でこちらを見ている。

 必死に整える必要のない呼吸を整えて、姿勢を正した。


「そも、祟りってなんじゃ」

「あなたがばらまいたんじゃないの」


 小首を傾げられる。手を持て余してたのか、刀を振った。朧は両手を挙げながら、刃から逃げるように上半身をそらす。


「ばらまいていたら聞かんわ。よく考えるがよい、祟りで村人を苦しめているのなら、人質を取っているようなもんじゃ。しかもわしに手の出せない連中ばかり。圧倒的に有利な状況で、お主とこのような戯れをすると思うか?」


 懇切丁寧に説明すると、娘は納得したようだった。

 ……濡れ衣もいいところだ。


「で、どういう祟りなんじゃ」


 朧が聞くと、娘は静かに答えた。


「……満腹にならないの」

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