ウツツツキ
コツコツ コツコツ
コツコツ コツコツ
音は、向かって右側の一番手前のドアの中から聞こえてくるようだった。
耳を押し当てると、確かに中でコツコツと音がしている。音の正体を確かめたくても、ドアには引き手もノブもついていない。ただ、番号の下に自販機のコインの投入口みたいなものが付いているだけだ。なんなのだろう。ここにお金を入れると、ドアが開くのだろうか。だとしたら、いくら入れたらいいのだろう。
お財布は青猫商会のトートバッグの中だ。それも五円硬貨と十円硬貨しか入っていない。あとは、パンの移動販売車のお釣りでもらった外国の硬貨が三枚……。
いや、違う。外国の硬貨はコンビニで突っ返されて、キャッシュトレーからそのままフーディのポケットに入れたんだ。
ポケットを探ると、硬貨は三枚とも入っていた。それと折り畳んだ紙。すぐにはこの紙が何なのかわからなかった。几帳面な折り筋に、わたしが付けた歪んだ折り皺が重なっている。紙を開きかけて思い出した。散文詩のようなものが書いてあった紙だ。ミシェルという名の少年が綴った散文詩——
—— ミシェル?
青年と同じ名だ。これは彼が書いたんだろうか? わたしは紙を広げた。いかにもあの青年が書きそうな流麗な文字には変わりなかったが、コンビニで見たときと違い全く読めない。どこに『ミシェル』という名があったのかさえ、見当もつかない。文字自体が、わたしが今読むことを拒絶している。そんな気さえした。
ギギギ、バサッドスン
ドアの中の音が急に大きくなって、飛び上がって驚いた。
まるで、コツコツと突いていた木が、倒れでもしたような音だ。しかし、すぐに何事もなかったように、またコツコツという音が始まった。
わたしは紙をくしゃくしゃに丸めてポケットに戻した。
手のひらに硬貨を並べると、三枚のうち一枚だけ違う数字がある。それがドアの数字と同じだった。試しに、その硬貨を投入口に入れてみた。
カチッと音がして、ドアが開いた。でも、部屋の中は廊下の明かりも届かず、真っ暗闇だ。
コツコツ コツコツ
コツコツ コツコツ
音は部屋の開いたドアのすぐ横でしている。恐る恐る音のするあたりを探ってみた。小さな何かが規則正しく動いている。手触りからすると金属製のようだった。
「こぐま? 機械時計のこぐまが動いている?」
サイズも同じくらいだ。わたしは確かめずにはいられなくなって、どこかに明かりのスイッチはないかと探った。スイッチらしきものはなかったけれど、コインの投入口のようなものを見付けた。
そこに硬貨を一枚入れるとまたカチッと音がして、部屋に明かりが点いた。というより、夕暮れ間近の空が広がったのだ。
部屋の中は、いや、部屋の中は部屋じゃなかった。どこかの森の中だった。野苺や木苺が実っているから、六月か七月ごろの森だ。初夏の遅い夕暮れがそろそろ森に訪れようとしている。だけど生き物の気配はなく、静まり返っていた。鳥の
音のする場所を見ると、機械時計のこぐまではなく、機械仕掛けのキツツキが森の入り口—— ドアの横—— の木を突いていた。このキツツキも真鍮製だったけれど、こぐまとは違い丹念に磨き上げられている。何箇所かに指紋がついているのは、わたしが触った跡だ。
梢の間の空に、白い鳥が現れた。
あの鳥も機械仕掛けなのだろうか。それとも本物の鳥なのだろうか。少なくとも真鍮製ではないようだ。
コツコツ コツコツ
コツコツ コツコツ
シクシク シクシク
コツコツ コツコツ
コツコツ コツコツ
機械仕掛けのキツツキが立てる音に混じって、幽かにすすり泣く声が聞こえる。耳を澄ますと、すすり泣きは森の木苺の茂みの先から聞こえてくる。
白い鳥が、その方角に飛んで行く。
付いて行ってみようか。
そう思って森の中に踏み入ると、背後でドアがしまった。
ドアのこちら側にも、やはりノブも引き手も付いていない。コインの投入口さえない。ということは、開けようがないということだ。
給湯室の小部屋の次は森。わたしは、また閉じ込められてしまった。
どうして、この建物の中の扉やドアはこんなのばかりなのだろう。驚くというより、もう、うんざりだ。
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