いちごおとし
木苺の茂みを抜けて白い鳥について森を歩いて行くと、やがて野苺の原っぱに着いた。
原っぱの真ん中には大木の切り株があり、その上には大きな砂時計が載っている。砂時計の中では、さらさらと時間が動いていた。青猫商会の作業机にあった砂時計だ。どうしてこんなところにあるのだろう。
白い鳥は、その砂時計の後ろに舞い降りた。
シクシク シクシク
こぐまが、切り株の前で泣いている。
わたしが見ているのに気が付くと、こぐまは泣き止み顔を上げた。横には、もう一頭、幼く小さいこぐまがうずくまっている。きょうだいだろうか。眠っているのか少しも動かない。
小さいこぐまを起こさないよう、そっと二頭に近付いた。大きい方のこぐまは逃げる素振りもなく、わたしを見ている。
人の言葉が通じるのかどうかわからなかったけれど、わたしはこぐまに話しかけた。
「どうしたの?」
「泣いているの」
こぐまの声は、ここではないどこか遠いところから聞こえてきた。
「どうして、泣いているの?」
「おかあさんが、いなくなってしまったから」
「おかあさんと、はぐれたの?」
「ううん。おかあさんに置いていかれたの」
「置いていかれた?」
「うん。ぼくが、ここで野苺を食べている間に、おかあさんは行ってしまったの」
「それなら、おかあさんは近くにいるかもしれないよ。いっしょに探してあげようか」
「ううん。『いちごおとし』だから、ぼくは置いていかれたの」
「いちごおとし?」
「いちごおとしを知らないの? おねえさんでも知らないことがあるんだね」
「いっぱいある。知らないことばかり」
「だいじょうぶだよ」こぐまは、慰めてくれた。「ぼくだって、うつつつきさんに教えてもらったんだから」
「キツツキさん?」
「うん。キツツキのうつつつきさん。森の入り口に、いたでしょう? あのキツツキさんは『
「なんでも、よく知っているのね」
「うつつつきさんが、自分で言っていたからね。おねえさんが知らないことばかりなら、うつつつきさんに訊けば、知ることができるよ」
「ありがとう。わたしも、うつつつきさんにたくさん教えてもらうことにする」
「うん、そうすればいいよ。それで、いちごおとしというのはね。おかあさんぐまが、こぐまを苺がたくさんあるところに連れていって、こぐまが喜んで食べている間にいなくなっちゃうことなんだよ。もう、おまえは大きくなったから、おかあさんに頼らず自分ひとりで生きていきなさいっていうことなんだ」
「子別れの儀式なのね」
「子別れの儀式ってなあに? いちごおとしのことなのかな?」
「そうよ」
「おねえさんだって難しい言葉知っているじゃないか。えらいね」
「ありがとう。それで泣いていたのね」
「ぼく、強いから、いちごおとしなんかで泣かないよ」
こぐまは、不満げに口を尖らせた。最初は「おかあさんがいなくなったから、泣いている」と言っていたのに。わたしは、このこぐまが愛おしくなった。
「ぼくが泣いていたのは、この子がかわいそうだからだよ」
こぐまは、動かない小さいこぐまを見た。小さいこぐまは、まだ、親からいちごおとしをされるには幼すぎる。どう見たって独り立ちできそうもないくらいに小さい。
「この子は、弟なの?」
「ちがうよ。ぼくには、にいさんはいるけれど弟はいない。妹だっていないよ。この子は、ずっと森にいるの」
「ずっとって?」
「ぼくがおかあさんから置いていかれるずっと前からいたんだよ。三百年もの間」
「えっ、三百年って…… どういうことなのかしら」
「この子はね、とってもかわいそうなの。おかあさんに捨てられちゃったから」
「捨てられたって? 置いていかれたんじゃなくて?」
「そうだよ。ぼくはおかあさんといっしょに苺のある場所に来て、ぼくが苺を食べている間におかあさんがいなくなったんだ。ぼくをおとなにするために」
「ええ、そうよね」
「だけどね、この子は自分から森に来たの。おかあさんがこの子に苺をあげなかったから」こぐまは、わたしの顔を見た。「またわからないみたいだね、おねえさん」
わたしは頷いた。
「この子はね、苺が食べたいから森に来たの。でも森には苺が一つもなくて食べることができなかったから、動かなくなっちゃったの」
「この子がこの森に来たときは、今みたいに苺が実る季節じゃなかったのね」
「違うよ。この子のおかあさんが、この子の苺をみんな食べてしまったからだよ。だから、この子の森には苺の実る季節がないの」
「苺はこんなに実っているじゃないの。野苺だって木苺だって」
「それは、この森がぼくの森だから。この子の森ではないんだよ。ぼくの森には木苺も野苺もいつだって食べきれないほどいっぱいある。でも、この子の森には苺は一つもないんだよ」
こぐまの言っていることがわからない。
「それなら、どうしてこの子は、あなたの森にいるのかしら」
「おねえさんが来たからだよ。おねえさんが連れて来たんだ」
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