機械時計

 確かに管理人さんの言う通り、こぐまはピルボックスでもジュエリーボックスでもなかった。

 中には細かな金属部品や小さな歯車が、びっしりと組み合わされている。古びた外見とは違って、中の部品はどれもみな曇り一つなく金色に輝いていた。


「この子は機械時計です。今は動きません。なぜだか、わかりますか」


 そんなこと聞かれたって、わかるはずがない。


「香箱の中の動力がないからです」


 香箱? 香箱の中の動力? 香箱って、お香を入れる箱のことじゃないのだろうか。あと、猫が前足を体の下に入れて座るのを香箱座りというけれど。 


「機械時計の動力を入れる場所も、香箱と呼びます」

 管理人さんはこんなことも知らないでどうするという顔をした。そして、とんでもないことを言いだした。

「あなたのここでの仕事は、機械時計を動くようにすることです。まずは、この子から初めてもらいます」


「そんなこと、できません!」

 考えるより先に口が動いた。香箱も知らない頭のどこをどうひっくり返したって、機械時計の知識なんて見付かるわけがない。


「あなたは、先程できると言いませんでしたか」

「それは編み図を見て、アイリッシュレースなら編むことができると…… 」


 管理人さんの鋭い眼差しで、わたしの言葉は先細りになった。わたしの勢いなんて、いつだってこんなものだ。一旦は出掛かっても、すぐに引っ込んでしまう。


 機械時計のこぐまの蓋を閉じて、管理人さんは留め金を掛けた。

「『聖母マリアの苺』のモチーフを一つ編むことができれば、それでじゅうぶんです。この子の香箱に、その苺を入れさえすればこの子は動き出します」


 何を言ってるのかわからない。ぜんぜん、わからない。


「他に、質問は?」


 ある! ありすぎる! さっきより質問の数は格段に増えている。増えすぎて何から訊いていいのかさえわからない。錯乱のあまり、わたしはただ口をパクパクすることしかできなかった。


 カララン。

 ドアベルが鳴って、ドアが開いた。


「ただいま」ピンクのワンピースの少女が白樺製の編みカゴを下げて入ってきた。

「おかえりなさい、リコさん」

 管理人さんは立ち上がり、出迎えに行った。


 リコは管理人さんに白樺のカゴを渡してから、わたしの所までやって来てテーブルの上の機械時計のこぐまや編み図をホッとしたように眺めた。

「面接、合格したんですね。おめでとうございます」

 それから、管理人さんの方に振り返った。

「わたしの眼鏡違いじゃないかって、すごく不安で、ずっと心配していたんですけれど。よかった。一安心です」


 ファイルの整理を始めた管理人さんは、リコに向かって首を横に振った。

「安心するのは早いですよ、リコさん。この人がここでの仕事がこなせるかどうかは、まだわからないのですからね」


 だったら本当に、これはわたしの面接だったのだ。人違いじゃなかったんだ。わたしが頼みもしないのに勝手にリコが申し込んでいたんだ。でも、なぜ、どうして。


 リコがわたしを見た。

「初仕事、がんばってくださいね」


 そんなこと言われたって迷惑だ。迷惑至極だ。

 返事をしないわたしにそれ以上かまわず、リコはファイルの整理を手伝いに行った。


「管理人さん、そろそろミックが来る時間です」

「ミックなら、とっくに来ていますよ。わたくしが面接をしていたときも、この人に何かとちょっかいを出そうとしていましたから」

「うっそ! ミックったら、らしくもない」

「今日に限っては、小さな子どもの天使ですよ、彼も」

「やあだ、悪魔のくせに」

「悪魔だって、もともとは天使だったのですからね」


 確かに悪魔は堕ちた天使。悪魔の長のルシフェルは暁の天使—— 最も美しい天使だったはずだ。

 座ったまま二人の話をぼんやり聞いているわたしに、管理人さんは突慳貪つっけんどんに言った。


「あなたはこれで帰ってください。明日までに苺の実のモチーフを編み上げて、この子を動くようにしてから来てください」

「あっ、あっ、あっ、あっ」


 そうだった。断らなければ。だけど、焦りのあまり言葉が一つも出てこない。


「さっさと編み図と道具と材料を、あなたのバッグにしまいなさい!」

 管理人さんに怒鳴られて、訳が分からないまま編み図と機械時計のこぐまと白紙をトートバッグに押し込んだ。

 また怒られる前にに角ここから退散しようと立ち上がったが、見事に椅子の足につまずいて大きな音を立ててしまった。ああ、自分で自分が嫌になる。


 リコは入り口のところまで付いて来て、ドアを開けてくれた。

「サクラコちゃんが夜、あなたに会いに行くと言っていました。そのときには、わたしとスモモコちゃんもいっしょだと思います。初めてのお仕事、心して仕上げてください。からね」


 カララン。

 わたしが返事をする前にドアが閉まり、同時に店内の灯りが消えた。ドアの小窓からのぞいても、中は真っ暗で何も見えない。

 いつまでも、ドアの前に突っ立っているわけにもいかない。途方にくれたまま、路地を引き返し表通りに出た。街路灯はすでに灯っている。そんなに長い時間、あの店にいたつもりはなかったのに。


 この半日でお財布には小銭しかなくなった。その代わり、トートバックには荷物が増えて少し重くなった。移動販売車で買ったジャムの小瓶、リコがくれたチラシと水のペットボトル。それに管理人さんに押し付けられた機械時計のこぐまと白紙と編み図。気持ちは少しどころか、押しつぶされるほど重くなってしまった。

 思わぬ成り行きで仕事が見つかったけれど、こんなにも憂鬱になるのなら無職のままでいたほうがずっとよかった。いくら、背に腹はかえられなくても。


 表通りの街路樹の根元にもカタバミが咲いていた。街路灯の光が当たるせいか、それとも辺りがまだ暮れきっていないせいか、花も葉も開いたままだ。雀はいつカタバミのはかまをたたみに来るのだろう。

 そう思ってから、わたしは不意に思い出した。

 思い出した途端、背筋が凍りついた。混乱することばかりで、不覚にも頭から抜け落ちてしまっていたんだ。


 あの店の奥で天蓋の重い布に囲まれ、硝子の棺の中で眠っていた美少年のことを。


 枕元にカタバミの小さな花束を置き、胸にはミモザアカシアの小さなリースをのせて眠る月光の髪をした少年……。管理人さんはラファエルという名だと言っていた。

 あの美少年は、なんだったのだろう。どうして、あんなところで眠っていたのだろう。 

 それに、そうだ。管理人さんは、あの少年を眠らせておくと言っていた。どこかから拉致されて、薬か何かでずっと眠らされているのだろうか。それなら犯罪じゃないか。

 求職者への詐欺ならわたしは被害者だけれど、アルバイトとはいえあの店の従業員になれば加害者の一人になるかもしれない。冗談じゃない。


 パトカーのサイレンが、近付いてくる。

 わたしはパトカーから隠れるように目の前のコンビニに逃げ込んだ。



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