硝子の棺

 それにしても、不思議な店だ。店内に流れている曲は、おそらく古い宗教曲。

 店の中央のモザイクタイルの噴水は意外にもダミーではなく本物だった。先端から溢れ出した水が三段の水盤に落ち、それが反射して、天井に光の水紋が揺らいでいる。見上げていると、まるで水底みなそこにいるようだ。

 壁に沿って木製のクロゼットやチェスト、硝子棚が置かれていた。扉の開いたクロゼットの中には麻や綿の白い洋服が掛けてある。その前にはレースアップやモンクストラップ、シンプルなパンプスがサイズ違いで並んでいた。これも白。チェストの引き出しも半分開けてあって、飾り気のない下着類が入っている。やはり色は白。


 リコがくれたチラシや店の外観から婦人服の店だと思っていたが、違った。ジェンダーレスの洋装店のようだ。なんと言ってもサイズの幅が広い。


 高価なレース類が店内のいたるところに無造作に置かれ、壁の一箇所には様々な種類の白い布が並んでいた。オーダー用の見本地なのだろう。それにしても、白一色。この店は白い衣装しか扱わないのだろうか。


 本棚には外国の古い本。背表紙には見慣れない文字が書いてある。

 ショーウインドウに掛かる布の前には折りたたみ式机バタフライテーブルと座りごごちの良さそうな四脚の椅子。家具の脚はどれも優雅なねこあしで、全てヨーロッパからの輸入品だろう。突き当たりのドアの横にも小机があって、据え置き型コンピューターが置いてある。顧客の情報の他に、ドレスの型紙やデザインのデータも入っているはずだ。わたしも編み図や作り図をパソコンのアプリで描いていたもの。


 ドアを挟んでその反対側には間仕切りの布が垂れた試着室。チラシで見たトルソーもあった。硝子棚の一番目立つ場所には、布花のコサージュに囲まれた薔薇飾りのフォトスタンド。これにも見覚えがある。ということは、チラシの写真は流用ではなくて、ここで実際に撮影されたものだったんだ。

 フォトスタンドの中では、ため息が出るような美しいブロンドの少年と少女がセピア色の微笑みを浮かべていた。二人は、たぶん兄妹きょうだいだ。


 そのフォトスタンドの下段に並んでいる硝子の小瓶は、涙壺なみだつぼだった。

 涙壺は、愛する人を亡くしたときに流した涙を入れる悲しみの小瓶。どれも凝った細工が施されていて、一目で高価な骨董品なのがわかる。中でもフォトスタンドと同じ薔薇の装飾で飾られた際立って美しい涙壺の中には、半分くらい透明な液体が入っていた。まさか、本物の涙ではないだろう。他のものは、当然ながら空っぽだ。

 涙壺の一つ二つくらいなら、フーディのポケットに入れて持っていけそうだ。こんなにあるんだもの。一番目立つ薔薇の涙壺ならともかく、他のものなら幾つか無くなってもすぐにはわからない。写真立ての横のゴールドのロケットペンダントといっしょなら、当面の生活費が賄える。


 突然、スマホの着信音が響く。


 わたしは飛び上がった。あたりを見回しても誰もいない。鳴っているのは、わたしのトートバックの中だ。充電切れだと思っていたのに。とにかく、この音を止めなければと焦って出した途端に、着信音は鳴り止んだ。掛かってきたのは未登録の番号からだった。

 リコかスモモコからだろうか。少女たちには名前だけではなく、電話番号だって伝えてはいない。それに、わたしのスマホはいつだってマナーモードだ。

 腑に落ちないままスマホをトートバックに戻したとき、試着室の間仕切りが揺れた。揺れた気がした

 やっぱり、人がいたのだ。

 咎められるようなことは何もしていなかったが、浅ましいことを考えていた後ろめたさで、急いで棚から離れた。

 しかし、いつまで待っても試着室からは誰も出てこない。

 よくよく見れば、そこは試着室というには違和感がある。洋装店だから試着室という先入観があったけれど、違うのかもしれない。仮縫い室なのだろうか。でも、それも違う気がする。


 思い切って、布の向こうに声をかけた。

「こんにちは」

 返事はなかった。

「こんにちは」

 もう一度繰り返した。

 やはり、返事はない。


 ゆるやかに流れていた曲が変わる。この曲も聞き覚えがあるけれど、曲名は思い出せない。

 ジャガード織の布を見ているうちに、なんだかこの布の中にあるのは寝台のような気がしてきた。ダブルサイズの大きな寝台じゃない。おとななら身を縮めてどうにか横になれるくらいの小さなシングルサイスの寝台だ。ならば、これは天蓋てんがいの布ということになる。天蓋なら、布の重厚な材質にも納得がいく。

 でも、どうして天蓋に囲まれた寝台を店に置かなければならないのだろう。


 好奇心には勝てず、また声をかけた。

「誰か、いますか」

 返事は返ってこない。


 一呼吸置いてから、天蓋の布を少しだけ動かした。重い質感が、指先にずっしりと伝わってくる。中をのぞくと、そこにあったのは寝台ではなかった。





 硝子ガラスひつぎだった。





 棺の中には、等身大の美しく精巧な人形が、白い花に埋もれて眠っていた。

 月光のような髪。白く透き通るような肌。唇が仄かに赤い。


 いや、ちがう。

 人形じゃない。

 少年だ。

 信じられないくらい綺麗な少年だ。


 わたしは悲鳴をあげそうになって手で口を押さえ、一歩後ろに下がった。

 天蓋の布が、ゆっくりと閉じた。

 たぶん、硝子棚にあった写真立ての少年だ。あんな古い写真に写っていた少年が、当時のままの姿でいるはずはない。やっぱり、人形だ。人形だったんだ。動悸を抑えながら無理にでも、そう思おうとした。

 でも、そう思おうとすればするほど、硝子の棺の中で横たわっているのは人形ではなく、生身の少年の気がしてならない。

 どうしても確かめずにはいられなくなって、また重い布を動かし中をのぞいた。


 白い花と見えたのは、少年に掛けられた白い綸子りんず布団の模様だった。少年の胸にはミモザアカシヤの花のリースが置かれている。

 その花が、幽かに上下に動いていた。

 やはり、人形ではなく少年だ。

 それも、生きている少年。

 でも生きているのなら、なぜこんな硝子の棺の中で眠っているのだろう。 

 少年の枕元には、子どもがたった今摘んできたような野の花のブーケがあった。

 クローバー? いいや、カタバミだ。どこにでも生えている雑草。公園の樫の木の下にだって、咲いていた。

 こんな儚げな絶世の美少年には、雑草なんて似つかわしくない。同じ野の花でも、スミレやクローバーの花ならまだしも。


 少年は寝苦しそうに身じろぎをした。

 月光でできたような細く豊かな髪がカタバミの花にふわりと掛かった。

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