兎の美少女

 木立を抜けて行くと急に視野が開け、公園の入り口に着いた。

 パンの移動販売車は、既にいない。


 トートバッグを持ち直そうとして、着ている白いフーディにベットリと赤黒い染みが付いていることに気が付いた。

 いつ、どこで、こんなに血が付いたんだろう。まるで、血を吐いたみたいだ。

 だけど落ち着いてよく見たら、ジャムパンのジャムだった。さっき、口から吐き出しかけたとき、手で押さえきれずに胸元にこぼしてしまったんだ。その上、わたしは食べかけのジャムパンを持って歩いていた。だからパンから零れたジャムも服に付いてしまった。


 もういいや。どうだっていいや。 

 なにもかも、もうどうだっていいや。


 手に持ったパンを口の中に押し込んだ。パンの中にジャムは、ほとんど残っていなかった。



「仏蘭西菊洋装店です。よろしくお願いします」

 目の前に、ピンクのワンピースを着たウサギが二本足で立って、チラシを差し出している。


 わたしはパンが喉に詰まって咳き込んだ。


「だいじょうぶですか」

 ウサギがあわてて言った。いや、ウサギじゃない。女の子だ、高校生くらいの美少女。

 女の子は腕に下げた白樺のかごから、ペットボトルを出した。

「お水です。未開封ですから、どうぞ」


「あ、ありがとう」

 受け取ってフタを開けて飲んだ。水がすぅーと喉に落ちて行く。パンの塊はどうにか胃に治まった。一息ついてペットボトルを返そうとしたら、女の子は首を横に振った。それはそうだ。飲みかけだもの。


「差し上げます。仏蘭西菊洋装店のチラシもどうぞ。今日は特別セールをやっています。このチラシを持ってご来店くだされば、記念の粗品を差し上げますよ。この近くですから、ぜひいらしてくださいね」

 白樺のカゴの中で、スマホの着信音がした。女の子はわたしに背を向けて電話に出た。

「はい。リコです。ああ、スモモコちゃん…… うん、今、渡した」

 リコという名の女の子はスマホで話しながら、チラッとわたしを見た。

「…… ううん、でもね、スモモコちゃん。それがね」


 電話の盗み聞きをしていると思われたくはない。わたしは女の子に軽く会釈して歩き始めた。リコは話し続けている。


「うん。確かに瞳は同じなのよ、ミックの黒橡くろつるばみ色の瞳と。…… スモモコちゃんも、そう思うでしょ? ところがね、瞳以外は疑わしいのよ。怪しいのよ。頭の上にクエッションマークが、ズラッーと並ぶのよ、ズラッーとね。…… うーん、予想していたのとは、ずいぶんというか、まるで正反対な彼女なわけ。だって、そうでしょ? あのミックのペアなのよ! 中身はともかく、外見は優雅で完璧な美女を想像するじゃない? ところがね、ぜんぜん違うのよ、ぜんぜん!…… うん。なんか頼りないというか、あんまりパッとしないというか、みすぼらしいというか、完璧に残念な感じ。…… 仕草とかも全然優雅でも上品でもないのよ。オタオタしてるっていうか、オロオロしてるっていうか、どんくさいの。…… 信じられないって、それはわたしが言うことよ! それなのにね、瞳は同じなの、ミックと! ……だからぁ、一番信じられないのは、わたしだってば!」


 その場を離れながら、リコがスモモコに話しているのは、わたしのことのような気がした。そうだとしたら、ひどい言われようだ。 まあ、ひどく言われるのには慣れてはいるけれど。でも、ミックって誰だろう。そんな人、知らないし。やっぱり、わたしのことではないのだろう。

 ああ、いやだ。どうして、こんなに自意識過剰なんだろう。

 パトカーと救急車がサイレンを鳴らして、公園の前で止まった。何があったんだろう。


 わたしは暗澹あんたんたる気分で足早に地下鉄の出入り口に向かった。


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