28:幻陽社
ぴたりと制止する銃口の先には、灯子の眉間があった。
座ったままでも幻陽社の社長が構える銃は狙いを揺らさない。
「社長殿、月夜花の中で刃傷沙汰はご法度……他でもない幻陽社の決まりでしたはず」
それをいまさら破るつもりは無い、と分かっていても蓮夜の胸がどくん、と鼓動を大きくする。
「その意思決定は私だ、例外もある」
「蓮夜、良いの」
反対に灯子は動揺しなかった。
銃口を向けられたまま、蓮夜、翁、社長にお茶と羊羹を配膳し……少し離れた所に正座した。
「……良い覚悟だ。やはりお前は頭が良い」
「両親の事、蓮夜の事、すべて悔いはありません。機会をいただきありがとうございました」
そうして、深々と頭を下げる灯子。
「社長殿!」
「黙ってろ寒天頭!!」
今にも腰を上げそうな蓮夜を翁が止める。
ナナシ? 役に立ちません。
「なるほど、報告通りか。顔を上げろ如月灯子……」
不意に、社長の口が笑みに代わり……銃の撃鉄がゆっくりと親指に支えられ戻される。
「……はい」
「まったく、逃げる機会はいくらでもあっただろうに。律儀な事だ」
「それだけの事を、しました」
「そうか……どう思った」
「こ、怖く……なりまし、た。たったあれだけで、蓮夜が……死ぬかもしれなかったって」
冷静になるにつれ、灯子は恐怖にさいなまれた。
勘違いの復讐を遂げる時、その瞬間こそやってやったと心の中で歓喜したはずなのに……海藤のあの笑みを見てしまったから……仄暗いという次元ではない、ありとあらゆる理不尽を詰め込んだ黒い瞳を覗いてしまった後は……ただただ恐怖しか記憶に残らなかった。
「……灯子」
「まあ、この寒天頭も一応人だしな」
「……翁殿、そんなに墓に入りたいかの???」
「今のは褒めたんだよ馬鹿野郎」
「む? そ、そうだったのか……すまぬ」
こそこそと話す蓮夜と翁の話……どこをどう解釈すれば褒めた事になるのだろうかと社長も秘書もナナシも灯子も……心の中で首をかしげる。
「……如月灯子。お前にこちら側は向いてない、この一件で良く分かった。研修段階で適性無しと判断する……良いな、ナナシ」
「はい、それでいいっす」
そう言って社長は拳銃をしまい、ナナシに追加のお茶と茶菓子を取りに行かせた。
ひょこひょこと足を引きずりながらも大人しく従うナナシをみんなで見送った後、社長は灯子を手招きして蓮夜の隣に座らせる。
「という訳で、お前はクビだ如月灯子。幻陽社初めての解雇だ……名前が残るな」
「良く言うぜ、そうしとけばうるせえ連中に処分は下したっつう見世物にするからだろうが」
「それは知らん、相手が勝手に判断するだけだからな……退職金も出せんが。裏を返せば今後干渉しない……好きに生きると良い」
それに、と社長は続ける。
「蓮夜殿、彼女を頼みます。着の身着のままで社会から放逐された落伍者ですが……」
「……言葉だけで判断すると私、すごくダメな人間ぽい」
「そう言う事にする、って話だ……乗っとけ嬢ちゃん。一番良い結果だ」
正直、翁はかなり厳しい結果になると思っていた。解体されたとはいえ暗部の最高峰である月夜連合に害を成したのだ……一生刑務所に入れられたりするなら優しい方、そしてさっきも灯子がもし逃げようとか見苦しい真似をしたら幻陽社の社長は撃っていただろう。
そして、おそらくだが蓮夜に監督させておけばと言う魂胆もあると考えた。
そう考えれば……まあ、脅しで済ませるのが妥当だったのかもしれない。
「うむ、元よりそうするつもりじゃった……」
何にもわかってない寒天頭が胸をなでおろしながら頷く。
そもそもナナシには灯子を身請けするつもりで、相場の足抜け料金を払うつもりだったのだが……社長の計らいで解雇となればそれを払う必要もない。
肝は冷えたが、それ以外には何も文句など蓮夜にあろうはずもなかった。
「なら、この件はこれで終わりとする……邪魔したな」
社長はそんな蓮夜を見て、口を笑みに変えた後……ひょいぱくひょいぱくと甘くて舌触りの良い羊羹を平らげる。その瞬間だけ『んふっ♪』と声が漏れるが……誰も指摘する勇気は無かった。
そのまま立ち上がり、踵を返す。
「……」
そんな社長を秘書の少女は恨めしそうに見つめながら付き従う……心なしか全身から黒い靄が見えるような気がするが……灯子と翁は見ないふりをする。
「「大人気ない……」」
そのかわり、ぼそりと誰にも聞こえない声で二人がつぶやくと奇跡的にタイミングが重なった。
「嬢ちゃん、儂の羊羹をやろう……社長、お主だけでは不公平じゃろう」
空気読みの落第者、蓮夜の鶴の一声だ!
「む……そ、そうだな。貰うとしよう」
「「……(もう一個食べようとした)」」
「ありがとう……」
明らかに雰囲気が明るくなった秘書の少女が蓮夜から差し出された羊羹を受け取り、黒文字で綺麗に切り分けて大切そうに口に運ぶ。
なんとなくその光景にその場全員の視線が集まるのだが……食べ終わって、ふうと笑顔を浮かべた少女がそれに気づくと……顔を真っ赤にしてトテトテと出て行ってしまう。
「さて、俺も行くぜ……久々に大仕事が来たもんでな」
「大仕事?」
「おう、どこぞの鬼が暴れたせいでアメリカの大使館が無くなっちまったもんでよ。建て替えだ……腕が鳴るってもんだぜ、じゃあな嬢ちゃん、寒天頭」
その後を追う様に翁は社長の脇を通り抜け、のっしのっしと去っていく。
「翁殿! 今度酒でも飲もう」
「おう、達者でな!」
かっかっか、と翁は勝手知ったる旅館を闊歩していく……途中でお茶と羊羹を持ったまま、どうしたらいいのかと立ち尽くすナナシにそのまま持って行ってやれと声を掛け、玄関から抜けると……門と玄関のちょうど真ん中あたりにおかっぱ頭の少女が立っている。
「よう、元気そうじゃねぇか」
「じいじこそ、
「なに、偶には曾孫の声も聴きてぇなと思ってよ……あいつは元気か?」
「ばあばは多分……北海道にでも居るんじゃないかと、手紙と木彫りの熊が届きました」
「そっか、なら良い……ありがとな。あの嬢ちゃんの事」
「灯子の処遇でしたら、ばあばに直接言ってください。もともとばあばが彼女を拾ってきたので……本人がどうしても前アメリカ大使の件を調べると言ってきかないものでしたから、月夜連合の窓口でもあるナナシに預けたのです」
そうすれば、いずれ知ることになる。
その間に何か他の生き方ができる道も開けるだろうと……。
「あいつらしいっちゃ、あいつらしいな」
「偶には会いに行っては? 最近つまらなそうでしたよ?」
「建て替えが終わったらな」
「そう言っていつもじいじは後回しにするんですから。まあ良いです、久しぶりに月夜花の羊羹も食べれましたし」
ほほに手を当ててニコニコと笑う少女は蓮夜に感謝しながらくるくると回る。
そんな様子を音で判断して、翁はキセルに煙草の葉を詰めた。
「お待たせしました、
かつ、かつ……と規則正しい足音で二人に近寄る幻陽社の社長……の影武者。
「おう、おめぇもご苦労だったな。社長姿が板について来たんじゃねぇのかい?」
「ご冗談を、翁様……社長。午後から政府との暗部再編会議です……一度本社に戻られて」
「このまま行きます。
そう、実はこけしみたいな少女の方が社長であった。
「まあ、確かに……」
「それより……奏、私の分の羊羹が無いの……知ってて食べたわね」
「うっ! だ、だって……その。おいしそうで」
「私も好物なのに!!」
「私だって好物です!! なかなかここの羊羹食べれないんですよ!?」
「知ってるもん!!」
「お前ら……今度差し入れてやるからしゃんとしろ……ナナシが見たら卒倒するぞ? ああ、そうだ。DT・ホウはどうなった?」
翁がアメリカ大使館に押し行った時にはすでにDT・ホウの姿はどこにもなかった。
捕まっていた人の話では女将が頭を鎖でぶん殴って気絶させ、牢屋に閉じ込めたという事らしいのだが……。
「それが……行方知らずで。検問も成果なし……もしかしたらもう日本には居ないのかもしれません」
「そっか、誘拐に……犯罪者とは言え女を囲って好き放題してたんだって?」
「ああ、それなんですが……その……ええと」
「あん?」
「その、捕まえた女に自分を痛めつけさせてた……だけらしいです」
捕まってた人からの証言では、鞭で自分を打たせたり、罵倒させて……悦んでいたらしい。
聞けば聞くほど奏では頭痛がしてきて……結局最後の一人に至るまで肉体的には何もされて無いのが確認できた。
代わりに精神的にちょっとその道に目覚める者もいたみたいだが……。
「何だそりゃ……じゃあ」
「まあ、闇狩りの暴走を最後には政府に密告してくるぐらいですから単なる子悪党。と言うのが見解ですね……捜索にあまり力を入れる気もなさそうです」
日本から逃げても、どうせアメリカで捕まるだろうし……と。
「わかった。じゃあ、俺は行くぜ……ナナシの野郎も来るから。そろそろ、な」
社長と秘書の表向きの顔に戻れ、と言外に添えて翁はキセルをふかす。
その背に深く一礼をして、奏と社長はいつも通りに顔を引き締めた。しばらくすると翁の言う通り……重い足を引きずりながらナナシが出てくる。
「しゃ、社長……待ってください」
「だらしがないぞナナシ、怪我の程度で言えば蓮夜殿の方がよほど重症なのに」
「勘弁してくださいよ!? 年がら年中稽古と実戦繰り返している訳じゃないんですよ!! それに俺だって三か所も撃たれてるんですよ!?」
「……そう言えばそうだったな。ほら、運転だ……午後は国会議事堂で会議がある、早めに行って美味い蕎麦でも食べてから行こう」
「へい……」
まだまだナナシはこの仕事を辞められなさそうだった。
かくん、と肩を落としてとぼとぼと歩く彼をおかっぱ頭の少女がげしげしと蹴りつける。どうやらまだ着替えを見たことを怒っているらしい。
されるがままのナナシの背中は……煤けていた。
「ではな、蓮夜殿……良き老後を」
奏は一度、蓮夜がいるであろう方角に向けて一礼をして表に停めてある車へ向かう。
こうして……蓮夜と灯子を取り巻く今回の一件は終わりを迎えた。
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