27:後始末
「蓮夜様……わかっておりますね?」
月夜連御用達のいつもの宿で蓮夜は生死の分水嶺に立っていた。
綺麗に整えられた客室にはうららかな春の木漏れ日が差し、鳥のさえずりが届くのどかな日和であるにも関わらず……蓮夜自身は布団の上で正座をしながら冷や汗をだらだら流して視線があちらこちらに泳ぐ。
それを座布団に座り、目を細めたまま白衣の老人が咎める様に声を掛ける。
彼は先日も蓮夜が撃たれた際に徹夜で蓮夜の治療にあたり、折角塞いだキズがアメリカ大使館でまた開いた時も……ため息をつきながら手術を執刀した医者だった。
「はい……」
いつもの和服に青いコートはもはや修繕のしようもなかったので、近所の呉服店に急遽同じものを作ってもらって壁際に準備されていた。まあ、平たく言えば蓮夜さん真っ白な死に装束を着ています。
「全部捨てたと思ってたら一つだけ洗いに出していたのが残ってて良かったです。一番きれいな服ですから」
「そ、そうじゃな」
「同じ傷をたった二日でバックりと開いて緊急手術、失血量は洒落になりません。感謝してくださいね? 蓮夜様の輸血員が貧血ぎりぎりまで提供してくれなければ……死んでてもおかしくなかったのです」
「は、反省しておる」
「……いっそ、注射で大人しくさせますか?」
びっくぅ! とわかりやすく蓮夜の肩が跳ねる。
プルプルと震えてそれだけはと目で訴えた。
「この注射は痛いですよ。蓮夜様は薬が効きにくいので針も太くしています」
「注射だけは勘弁を!! 二度と無茶はせん!! 後生じゃあぁぁ!!」
お医者さんが懐からとりだした注射器、その針の先からぴゅうぅっと液体が噴き出すのを見て。
蓮夜はみっともないのを承知で布団を頭からかぶり嫌々をする……。
「……ならもう。私が術後の検査をするまでは抜け出さないでくださいね。その傷も出撃用にそれなりの処置をすれば開かなくて済んだかもしれませんし、蓮夜様が行くと言ったら聞かない事くらい我ら月夜花の従業員は承知しております。止めはしません……」
そんな蓮夜の姿を見て、医者は盛大なため息をついた後……これなら大丈夫か。と注射器を引っ込めて冗談です、と蓮夜に声を掛けた。
それでも蓮夜は布団から頭だけを出して警戒を崩さない。どれだけ怖いんだ。
「す、すまぬ」
「では、これで処置は終わりです。家に戻られて結構ですよ……私もそろそろ隠居時、偶には蓮夜様と茶でも飲みながら碁でも打つのに誘おうかと思っておりました。今度は叱らなくて済むよう、ご自愛してくださいね」
「本当に頭が上がらぬ。碁の打ち方……予習しておく、良い茶と茶菓子も」
「はっはっは、それは楽しみですね。では、私はこれで……お大事に」
そう言って目尻を下げた医者は革のかばんを持って、客間を出ていく。
その外にはフードを被った少女、フードの中から覗く金髪と丸メガネが印象の灯子が立っていた。
「安心してください。しばらくは見えない速さで動くなと釘を刺してあげれば良いだけですから」
「……ありがとう、ございました」
ぺこりと頭を下げる灯子、何せ一番深くて酷い傷が自分が撃った銃創だっただけに内心気が気では無かったから……こうして蓮夜が無事に治って軽いやり取りをするのを聞いて心の底から安心する。
「ではまた……ああ、蓮夜様に言っても忘れてしまうので貴女に。来週同じ時間にご自宅へ経過を見に参ります。よろしくお願いしますね」
「わかった……ちゃんと待ってるようにする」
「はい」
しっかりとした足取りで医者は廊下を曲がり、去っていく。
それを見届けて、灯子は客間に入る……そこには胡坐をかいて心底安堵する蓮夜が髭を撫でていた。
「そんなに注射……苦手なの?」
「痛いではないか……」
……銃や刀で斬られた方がよほど痛いのでは? と灯子は思う。
「まあ、そうね」
でも、きっと……それは普段の蓮夜は。という事なのだろう。
「じゃろう? さて、着替えるか……すまぬが閉めてもらえるか?」
「わかった……」
ふすまを閉めて、再び廊下に出る灯子の目に……中庭に面した廊下をのっしのっしと我が物顔で歩く両目を隠した大工姿の老人。翁が向かってくるのが映る。
「……速い」
黒い布で両目を隠しているにも拘らず、頭領の足取りは早い。まるで見えていると言われても疑えないほどに……挙句の果てにふすまが閉じた部屋の中にいる仲居にまで声を掛けている様で……驚いた声がどんどん近くなってきた。
「おう、嬢ちゃん! 元気か!」
かっかっかと豪快に笑いながら、翁が灯子を補足する。
「うん……どうしてわかるの?」
「あ? 匂いと音だ。見えねぇからよ」
「……道は?」
「俺が作った建物だぞ。道ぐれぇわかんねぇ訳ねぇだろ」
「…………さすが月夜連合」
聞いたけど訳が分からない灯子に、頓着する事もなく翁は綺麗な包みを「ほれ」と灯子に放り投げた。その大きさはちょうど灯子の眼鏡ほどの大きさで……慌ててキャッチした灯子が首をかしげる。
「開けてみろ」
「うん」
さらさらとした手触りの布に包まれていたのは……二つの丸いレンズが付いた視力補正器具。
「眼鏡???」
「おう、何時までもそんなひび割れてゆがんだ眼鏡じゃ不便だろう。ついでに作ってやったぜ……掛けてみろ」
「へ?」
言われるがまま、灯子は真新しい眼鏡をかけてみると……視界のゆがみもなく綺麗な視界が戻ってきた。度数もあっているし駆け心地も……何なら壊れる前の眼鏡よりも掛けやすい。
「どうだ?」
懐からキセルを取り出した翁が灯子に眼鏡の具合を聞く。
「……良い」
「そうか、そりゃ何よりだ。なんかあったら俺んとこにこい、すぐ直してやる……で、あの寒天頭は着替え中か?」
「え、あ……うん。眼鏡ありがとうございます」
「良いって事よ。悪いが寝てる間にレンズの厚みと枠の大きさは測らせてもらったぜ」
「……寝てる時って、一昨日?」
「おう」
一昨日、蓮夜と共にアメリカ大使館から直でこの宿に着いた後……客室の椅子でうとうとしていた時の事だろうか? わざわざここにきて、測っていったらしい。
「翁殿、良いですぞ」
たった一日二日で眼鏡を作る翁の腕に呆れている灯子をしり目に、客間の中にいる蓮夜が翁に声を掛けた。遠くからでもよく響く翁の濁声で気づいていたらしい。
「おう、邪魔するぜ」
数度……ペタペタとふすまを触り。引き開けた先にはいつもの青いコートを羽織り髪をおさげにした蓮夜が立っていた。
すでに布団も畳んだようで翁がふすまを開けた後、客間のちゃぶ台へと歩く。
「翁殿、茶で良いか?」
「おう、すまねぇ嬢ちゃん。下の仲居に言って茶と羊羹持って来いって伝えてくれや」
「うん」
素直にとてとてと向かう灯子の背に、翁が付け加える。
「嬢ちゃんの分もだから三つづつだ!」
「はーい」
明らかに声が弾んだ灯子の返事、甘いものは好きなのだ。
「良い娘じゃねぇか」
「ええ、素直で聡明ですのう」
「てめぇの真逆だな。寒天頭」
「どこぞの偏屈爺よりマシかと」
「へっ、言いやがる……」
お互いにふかふかの座布団に座り、笑いながら悪態を交わす蓮夜と翁。
「さて、嬢ちゃんが戻る前に言っておくぞ。海藤が死んだ」
「ほう?」
「海藤は自害、隠し持ってた銃でこめかみを撃ったらしい」
「……では、真相は闇の中ですかの」
「いや、あの野郎……洗いざらいぶちまけてから死にやがった。前大使の件も今回の件もな」
流石にあれだけ暴れれば日本の軍部も動いた。行方不明のDT・ホウの代わりに職員たちと協力して闇狩りの捕縛と攫われた人たちの開放を済ませた後……取り調べで海藤は信じられない位に素直に応じたのだ……まるで憑き物でも落ちたかのように。
「意外ですのう」
「だな……まあ、昨日お前から聞いた通りだった。これからアメリカに確認を取るらしいが、加藤の話じゃしらばっくれるだろうって話だ。ま、おめぇは良くも悪くも触るべからずのお触れが出ている……大人しくしていればお咎めは無しだとさ」
蓮夜としては釈然としないが……それは自分自身の問題であって、月夜連合の頃にも自分には理解できないような結果が出る事なんてざらにあったのだ。今更そこを突っ込むつもりは無い。
そんな事より。
「灯子はどうなりますか?」
「お咎めなし、そもそも前大使の襲撃は生存者無しだ……戸籍も死亡になってたしな。俺達と幻陽社が黙ってればわかりゃしねぇ。このままにしておけ……どうせ関東の震災で戸籍不明なんて珍しくもねぇ世の中だ。必要になったらつくりゃいい」
「……ふう」
「何安心してんだ寒天頭。国は良しでも……あの嬢ちゃん。幻陽社だろう? そっちは黙っちゃいねぇって可能性もある」
「うむ……そうなんじゃ」
すでにナナシは幻陽社に灯子と蓮夜のいきさつを報告しただろう。
ナナシはあれでも優秀だ……公平を維持する幻陽社がどう動くかは検討されていると見て間違いなかった。しかし、それは灯子が一番良く分かっているだろう。逃げるそぶりもなく、ただその時を受け入れるつもりでこの数日は蓮夜の世話を甲斐甲斐しくしていた。
「とりあえず俺もその場に……っておい。やけにはえぇじゃねぇか」
唐突に翁が外を振り返る。
蓮夜はなんとなくその言葉と仕草で察しがついた……
「来ましたかの」
「ちっ……相変わらず連中はせっかちでいけねぇ」
「翁殿も変わらぬかと思うがの……」
「黙れ寒天頭……」
明らかに旅館の中に緊張感と規則正しい足音がはしる。
その足音は三つ、大きさから男一人と女二人と蓮夜と翁は判断した……そのまま一分もしない内に、その足音は蓮夜の客間の前で止まる。
「邪魔する」
低い女性の声がふすま越しでも通った。
「構わぬよ、単なる雑談じゃ……社長殿」
蓮夜も穏やかな声とは裏腹に、一度呼吸を整える。
――からり……
ふすまが開かれた先には……藍色のコートを羽織り、ぴっちりとした上下のスーツに身を包む褐色の肌の美女が現れた。
鈍色の瞳で蓮夜を見下ろし、濃茶の……光加減によっては赤毛にも見える長い髪を手で払う。
その隣には黒髪おかっぱの……まあ、何と言うか東北の土産物。こけしみたいな可愛らしい少女が付き従っていた。
「なんだ、お前もいたのか」
背を向けて座っている翁も視界に収め、美女はつまらなそうにつぶやく。
「居ちゃ悪いのかよ?」
「いや……構わん。ナナシ」
そして……少し後に居たのだろう。ナナシが呼ばれ蓮夜の前に姿を現すと……蓮夜は困惑の声を上げる。
「お主……」
「聞くな」
ナナシの姿は……その、まあ。
全身あざだらけ、鼻には血が滲むティッシュを詰めて……立っているのがやっとの満身創痍の姿だった。それなのに着ているのは幻陽社の表の顔、旅館のアドバイザーとしての黒いスーツ……正直言って闇狩りの方が上等そうなスーツだなと……蓮夜は思った。
「コレは気にするな。座っても?」
……気にするなって言っても、気になる。そんな正直な思いを言葉にはできずに、蓮夜は三人分の座布団を用意して勧めるが、ナナシだけは立ったままだった。
「さて……と、まずは蓮夜殿。感謝する。闇狩りの件だ」
綺麗な正座で少女と並んで座った社長と呼ばれた美女、彼女こそが幻陽社と対を成す暗部、幻陽社の現当主だ。
「いや、礼には及ばぬ……むしろ後始末を押し付けた形になってしまったのう」
当たり障りのないやり取りだが、どこかピン、とした張り詰めた空気。
「もともと政府と連携して退場させる方法を協議していたが、手間が省けた。これくらい安い物だよ……怪我の方は?」
「見た通りじゃ、元気にしておる」
「ふふ、そうか。まさか戦車まで持ち出すとは思ってなかったが……さすが蓮夜殿。まだまだ現役と言った所か」
「そうもいかんよ、ナナシの助力もあった。だから、その……お手柔らかにしてはやれんか?」
「爺さん……ぐすっ」
蓮夜の言葉に鼻をすすりながら涙ぐむナナシ、本当にどんな目にあわされたのやら……蓮夜が少し引く。
「……何か勘違いしているようだが。コレは私の秘書の着替えている所を覗いたせいで……女性社員からリンチにされただけだ。蓮夜殿」
「……ナナシ、前に儂をからかった報いじゃったか」
「……自業自得かよ。監理官のくせして」
「急いでたんだよ!! それにそのちんちくりんのを覗いただけでなんでこんな目に!!」
「黙れナナシ、私の秘書だから上司だぞお前の……今度は私が参加しても良いが?」
「申し訳ありませんでしたっ!! 次からはノックをいたしますっ!!」
せっかく緊張感のある空気が台無しになる中……。
「蓮夜、翁さ……あ」
お盆に乗せた羊羹と、湯気の立つお茶を持ってきた灯子が固まる。
「……久しぶりだな。如月灯子、お前の件で来た」
そう言って、幻陽社の社長は……腰から銃を引き抜き。
安全装置を外したのだった。
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