19:らしくない

「体が重いのう」


 撃たれた脇腹に手を当てながら、蓮夜は愚痴をこぼす。

 すぐにでも灯子の救出と誤解を解くために向かおうと宿を出たは良いが、どこに向かうのかを考えていなかったのでとりあえず買った家に寄って行こうと走ってみたものの……


「せめて飯だけでも食べておけばよかったか」


 二日間絶食、失血は鍛え上げた蓮夜でも……と言うか常人であれば絶対安静の重傷なのだ。

 そんな状態でも走れてしまう蓮夜がおかしいのだが、悲しいかなその点に突っ込みを入れられる者は誰もいない。


「灯子なら、何と言うかのう」


 きっと、呆れながら『人外……』と苦笑しているか。

 そう、想像できる程度には灯子を知れているはずと……不思議と蓮夜に笑みがこぼれる。


「そうじゃのう、鬼が日向にいては……悪目立ちするからのう。大人しく事が終われば引っ込むか」


 例え自嘲気味でも笑みは笑み、どことなくその表情は寂しげだった。

 先日まではのんびりと歩いていた大通りを眼下に見下ろして、屋根から屋根へ飛び移る。その理由は簡単で先ほどナナシから聞いた少しでも蓮夜と関わりのあった者を闇狩りが攫っているからだ。

 もう誰も巻き込みたくはない、闇に身を置いていた時の……月夜連合には掟がある。


「『日向に手を伸ばしてはならぬ、人を闇に引いてはならぬ、我ら民を護る異端の日陰者なり』か……骨身に染みたわい」


 最古参の蓮夜はその掟に準じていた訳では無く、ただただ『そうあるべき』と言われて素直に、疑問も持たず従っていた。しかし、いざ日向に出たらたった十日も経たず闇が日向に顔を覗かせる。

 この段になってようやく蓮夜はその掟がとてつもなく重い物だという事を、初めて理解した。


「儂ら月夜連は役目を終えた……しかし……なんじゃったっけ? 立つ……犬じゃったか? 猫じゃったか? 後を……綺麗にじゃなく……ううむ。灯子ならわかるじゃろうか? まあなんだ、掃除くらいはせねばな」


 その上で、蓮夜は決意する。

 どうなってもいい、後でどんなお咎めや罰を受けようとも……


「闇狩り……お主らは儂を、怒らせた。仕置きで済むと思うな」


 とんっ、と長屋の屋根を蹴り虚空に身を躍らせた蓮夜の着地点には買ったばかりの家が……玄関の引き戸を開けたまま待っていた。

 すとんと身軽に着地するものの、蓮夜の顔に戸惑いが浮かぶ。


「……不用心、じゃな? 家主が言う言葉ではないが」


 闇狩りが押し入った後、そのままの状態にされたのだろうか?

 特に待ち伏せなどもなさそうなのでそろり、そろりと抜き足差し足で家に入る……すると。


「ようやく戻ったか。待ちくたびれたぞ」


 しゃがれた男の声が居間から飛んでくる。

 一瞬、肩を引きつらせ蓮夜の足が止まるが……すぐに目をまん丸くして口を開いた。


「その声……もしや翁殿か」

「その足音と声は粗忽者の爺か。随分道に迷ったようだな……犬の癖に家を忘れるとは本当にお前は粗忽者だ」


 かっかっか、と笑い声が続く。

 途端に蓮夜の顔が憮然とした表情に変わる……しかし、どことなく張り詰めた緊張がゆるんだ。

 その声の発信元へ力強く足を進める蓮夜が見たのは、居間のど真ん中に胡坐をかいてキセルで煙草を吸う一人の老人だった。


「相変わらずじゃの、翁殿……まだ生きておられたとは思わなんだ」

「かっかっか、お前と今生の別れをしたはずなのにこうして声を聴けるとは俺も思ってなかったよ。まさか俺の暇つぶしの家を買うとは……目の付け所だけは褒めてやるぜ爺」

「翁殿こそ儂より数十年長く生きておる爺じゃろうに、十と七年ぶりですかの」


 蓮夜より数十年、つまり九十歳を超えているにも拘らず翁の声の張りは蓮夜よりもよほどハキハキとしている。声だけ聴けばその見た目とはなかなか結び付かない。

 見たまんま大工、ねじり鉢巻きに法被を羽織るどこにでも良そうな頑固職人だった。

 一点だけ違うのは両目を隠すように巻かれた真っ黒な帯が垂れている所だけである。


「そうだな、俺が月夜連を引退してからそれだけ経った。まあ座れ、白湯でも水でもいいから飲み物を持ってこい……どうせ茶も煎れられんだろう?」

「茶ぐらい煎れられるが……今はそれどころじゃなくのう」

「座れ、腰に何も差してない癖に殴り込みもクソもねぇだろう……だからお前は粗忽者なのだ」

「……眼も見えないのに良く分かりますのう」

「お前と出来がちげぇのさ。さっさともってこい粗忽者」


 ……十七年ぶりに会った早々、酷い言われ様である。

 しかし、気落ちしている蓮夜にとってはありがたかった。慰めてくれる者は数多くいたがこうして真っ向から……対等に話してくれる存在は年月が経つにつれ減っていったから。

 

「うんと熱い湯で十分だな、まさかこんな上品な家を拵える様になるとは丸くなりましたな!」

「今の流行を知らねぇのか? これだから斬るしか能のねぇ奴は駄目なんだ」


 かっかっか、と快活に笑いながら蓮夜が台所に向かう様にキセルを振って追い立てる。

 仕方なく蓮夜はとぼとぼと台所に向かい、湯飲みを二つ手に取って水道の蛇口をひねり水を注いだ。


「女将から長身痩躯、真っ白な髪でおさげの刀を持った爺が即金で買ったって聞いた時は笑ったぜ。てっきり死んだと思ってた」

「こちらこそ、まさか月夜連合の創設者の一人にして装備開発の頭領がまともな家を建てるとは思ってませんでしたのう」

「言うじゃねぇか、歳食って口は良く回るようになったな。早くしろ、のどが渇いてんだ」

「はいはい……」


 そう言えば、昔もこんな感じだったなぁ。と懐かしみながらもこめかみに血管が浮き出るのを必死で我慢する蓮夜。ここで抗弁しても絶対に勝てないので普段の蓮夜なら絶対に言わないような罵倒を片方の湯飲みに注いだ水と共に胃に流し込む。


「ちったあ熱が戻ったか?」

「はい?」

「大分やられた様だ、足に来てる様だからよ」

「………………いよいよ隠居時ですかのう」

「だらしねぇこと言うんじゃねぇよ。俺の方がよっぽど墓に足突っ込んでるってぇのに」


 翁は気づいていた。蓮夜の足取りがほんの少し……極僅かにおぼついていない事に、そして声を聴いて確信する。こいつ落ち込んでやがる、と。


「やっと大手を振って日向を歩くときだってのに真っ暗な面して……何やらかした?」


 蓮夜が翁に分かるように、胡坐をかく目の前に音を立てて湯飲みを置く……そうして対面にドカリと座り、深いため息を吐く。


「民を巻き込みました。掃除をしようかと」

「そうか、大失態だな。馬鹿だな阿呆だな」

「はい」

「と、ちょっと前なら俺はお前に言うんだろうが」

「は、い?」

「今回ばかりはお前の味方をしてやる。あの闇狩りとかいう小僧ども、分別をまるで知らん……ガキに刃物持たせて放置しやがったアメリカだっけか? でけぇ国の大使様はやる事もおおざっぱでいけねぇ」


 蓮夜の視線が……今まで自然と下を向いていた顔が、キセルをふかす翁の目線まで上がる。

 その口は苦虫をかみつぶしたかのように震えていた。

 

「翁殿?」

「お前、掟を覚えてるか?」

「『日向に手を伸ばしてはならぬ、人を闇に引いてはならぬ、我ら民を護る異端の日陰者なり』」

「そうだ、俺たち日陰者は日常にあこがれてはならない……己の役割に疑問を持つからだ。そしてどんなに適性があれどその人材を月夜連に勧誘はしてはならない、自ら選ぶべき事にこそ意味があるからだ。だから俺達は手を血に染め、どんな事態にも揺るがない」

「はい」

「でもな、アイツらは酔ってやがる」


 お国の為、大義の為と、闇狩りは高々に声を上げ民を連れ去った。

 それは例え月夜連から身を退いたとは言え、翁は許せない。そんな連中が月夜連の後釜だなんて死んでも認めたくないのである。


「酔いは醒まさねぇとなぁ? そう思わねぇか? 爺」

「儂は……その」

「……そうだな、お前はそう言う事には疎いから聞いた俺が馬鹿だった。しかし、話は単純明快だ」


 かつん、とキセルの中の灰を土間に落とし。水を煽って翁は吠えた。


「アイツら気に食わねぇ」

「そうですな」

「どうせお前の事だ、脳みその代わりに寒天が詰まってる頭であーだこーだ考えちまって訳わかんねぇんじゃねぇのか?」

「うぐ」


 非常に珍しい事に、蓮夜が呻く……しばらく顔を合わせてないはずなのに的確過ぎる翁の言い分がザクザクと胸に刺さるのだ。


「ま、俺もそうだったからよ。だから家を建てた、手を動かした」

「翁殿の頭も寒天が詰まって?」


 ――ガツンッ!!


「あいたぁ!? あっつぅぅ!!」

「てめえと一緒にすんな寒天頭!! 寒天と同じような真っ白い頭しやがって!!」

「十七年どころか三十年前から一本も残ってない頭の癖に良く言いやがる糞爺!!」

「なんでぇ、久々に口が開いたじゃねぇか。かっかっか、それでいい……暴れて来いよ。あの嬢ちゃんたちはアメリカの大使館に連れてかれた。俺は目が見えねぇからって闇狩りあのクソガキどもお前に伝えろって置いていきやがった」

「くうう、乗せられた……まったく。翁殿を連れて行けばよかったのにあの小僧ども」

「ああ楽しい、じゃあ……こいつをくれてやる。お前さぁ、自分の私物は持っていけって言われただろうに……困り果てた弟子共が俺ん所に持ってきやがった」

「私物? 何か忘れてましたかの?」

「お前の後ろの押し入れに押し込んである、使え」


 そう言ってキセルで翁は蓮夜を促す。額を赤く腫らした蓮夜が翁を睨みながらも素直に背後のふすまを開き押し入れの中を改めると……。


「これ、儂の私物ですかの?」

「てめえ以外、だれがそんなもん扱えんだよ……不覚にも笑っちまったぜ」


 呆れたような翁の声を背に、風呂敷に包まれたそれを持ち上げる蓮夜。

 その包みの中からは……。


 がちゃりと鈍い音が……蓮夜が慣れ親しんで頼りにしていたを発していた。


「ちょうど、ここから走れば夜には着くだろう? 蹴散らしてこい」

「……これ、後で儂怒られませんかのう?」

「しらねぇよ、そんときゃそん時だ。一緒に頭下げるぐれぇはしてやるよ寒天頭の粗忽者、そんなこまけぇ事に悩むなんて……お前

「……はあ、相変わらずですな」


 そう言いつつも、蓮夜の顔には笑みが浮かぶ。


「しかし、そうじゃな……いつも通りと言えばいつも通りかの」

「おう、土足で月夜に踏み込んだガキどもを懲らしめてこい。月夜の斬鬼」

「……承知。後始末は……いつも通り頼みますぞ?」

「言ったろ、頭下げてやるってよ。誰の心配してやがる」


 かっかっか、と笑う翁を見て……先ほどまでのモヤモヤした頭が晴れていく蓮夜。


「でしたな……」


 その瞳がすぅ、と細められて窓の外……遠くにあるはずのアメリカ大使館を射抜く……。


「おい寒天頭。アメリカ大使館の方向は真逆だ」


 そっちはいつもお世話になっていた月夜連の本部の方向であった。

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