7:牛鍋のお味は涙の味?

 ゆるりとした時間を愉しみながら、御座敷に案内された二人の前には……小さく割られた木炭が綺麗に並ぶ囲炉裏の間。相対するように座布団と小さな樫の木のテーブル、そこにはお刺身やつくだ煮などの小鉢が並んでいた。

 一目で高級だとわかる品の数々に、二人は顔を見合わせる。

 そこに仲居の声掛けでそれぞれ座ると、そのまま手際良く囲炉裏にかけた浅い鍋に薄切りにされた肉を焼き、ねぎを並べ、豆腐と春菊を添えていく。


 見た事が無い二人は内心ワクワクしながらそれを見守ると、徳利のような形の割り下入れを傾けて仲居さんが鍋を煮始める。

 そのままザラメと上白糖を半々に、まんべんなく振りかけると……甘味の絡んだ醤油の香ばしい匂い、徐々に肉の脂も解けて混ざり……知らず知らずの内に蓮夜の喉が鳴った。

 

「……なんじゃこれは」

「何これ……」


 ほどなくして、仲居が小さな小鉢にキレイに鍋をよそい。

 微笑みながら、どうぞと差し出す。


「「いただきます」」


 丁寧に両手を合わせて、二人は箸を取った。

 恐る恐る口に運ぶと……甘く煮込まれた牛肉、その脂はうまみと甘みを舌に伝え……春菊と長ネギが割り下を吸ってトロトロの触感としゃきしゃきの歯触りを引き立てる。

 いつの間にか囲炉裏を挟んで胡坐をかいた二人の手元には、空になった小鉢が握られていた。


「お口に合って良かったです。蓮夜様、3月に仕入れた日本酒の新酒がありますがいかがですか? 辛口で、さっぱりしますよ」

「いただこう! これは良い鍋だ」

「ごはんお代わり!!」


 囲炉裏に下げられている浅い鍋の中では、じゅうじゅうと野菜や割り下の香りをまき散らして二人の食欲をさらに掻き立てる。

 

「はいはい、慌てずともお代わりはいっぱいありますよ。昔と違って自動車がありますから流通が良いんです」

「良い時代になったもんじゃ」

「蓮夜様たちもその一角を担っていたのですよ? 何をいまさら」


 ころころと笑い声をあげる仲居がお代わりの牛肉を取りに立ち上がった。

 行燈を片手に静かに障子を閉め、部屋には鍋のぐつぐつ煮える音と遠くで鳴くフクロウの声がしばらく木霊する。


「ありがとう、灯子。お主のおかげで何とかなった」

「気にしない、あたしもまさか行き倒れのい……老人がお金持ちだったなんて運が良かった」

「……今、何か別な生き物の名前を呼ぼうとせんかったか?」

「気のせい……豆腐貰う」

「じゃあ、儂は肉じゃ」


 ほのかに揺れるガスランプの光に照らされ箸と小鉢の当たる音に、なぜか二人は緊張し始めた。


「こんなに落ち着いてごはん食べたの久しぶりかも」


 その沈黙に耐えられず、灯子は口を開く。


「蓮夜、実は……」

「幻陽社……なんじゃろう? お主」


 被せる様に蓮夜は灯子の言葉を遮る。


「なんだ、気づいてたの」

「ここの仲居も幻陽社の者じゃからの……なんとなく歩き方でわかる。その年で遊女ではあるまいし……始末係の見習い。と言った所かの」

「……」

「安心せい、月夜連と幻陽社は協力関係じゃ……お主をどうこうするつもりは無い」

「ありがとう……実は上司が戻ってこなくて……そのまま逃げちゃった」


 幻陽社、日本各地の遊郭を束ねる民間裏組織で足抜けする遊女を始末するのが主な目的。

 表向きは旅館の経営アドバイザーとなっており、この連れ込み宿も彼らの経営下であると同時に国の要請を受けて月夜連合が優先的に使わせてもらっていた。


「なるほど……東京担当は、確か『ななし』と言う名だったか?」

「うん、まだ一月も経ってないのにいきなり合流先に行っても現れなくて……支度金だけ持ち逃げしたの」


 合流時間を二時間過ぎても現れなければその場を離れろと指示は受けている。

 しかし、その後の事を上司は何も指示してなかった。

 迷いに迷った挙句、そのまま逃げたのだ。


「そうか、まあ始末係と言っても今のご時世では足抜けする者の借金整理と言う意味合いが強いからの……放置されたか」

「そうなの?」


 つい最近までは遊女の足抜けは命がけだったが、幻陽社はそれを良しとせず無理なく借金を返せるように一時的に肩代わりしたり、別の適性がある者を真っ当な旅館で働かせたりと時代に合わせた動きを取っている。


「うむ、仁義に厚い連中でな。灯子殿も……」

「灯子」


 つい気を抜くと殿、とつけてしまう蓮夜を……こちらもつい突っ込みを入れてしまう灯子。

 ひらひらと手を振り、蓮夜の言葉の先を促す。


「……灯子も何かしらの事情があって幻陽社に入社したのであろう?」

「うん、実は……その……この国のアメリカ大使の娘」 

「大使……ダーティ・ホウとやらか?」

「ううん、その前……そこの愛人の娘が私。家族が皆死んで路頭に迷ってたら……幻陽社に保護された……」

「そうか……大変だったの」


 ぱちん、と囲炉裏の炭火が火の粉を上げた。

 恐らく相当な苦労があったのだろう、それ位は蓮夜にも想像がついたし……反対に今こうして無事であるという事実を考えると灯子は運がいい。

 それに、蓮夜はその事件に心当たりがあった。

 結果として後味は良くなかったが……その甲斐があったと、蒸し返さず灯子の言葉を待つ。


「まあ、明日以降はどうしようかな。と言ったところ……」


 ここで働くには少々灯子は居づらいだろう。

 それに、ここの仲居は客の要望で遊女としても働いていた。

 高級連れ込み宿と言うだけあって仲居としても遊女としても、幻陽社の精鋭中の精鋭がこの宿に集っている。


「ならば、しばらく儂に雇われんか? 言っておったじゃろう? その髪と目は目立つと」

「へ!?」

「少なくとも儂よりは生活力もあるじゃろうし、賃金は弾む」

「……変な事は出来ないわよ?」

「庭を作れとか家を建てろとは言わんよ……そうじゃな、むしろ教えてもらえまいか? 米の炊き方一つ分からんのだ」


 変な事、の意味すら通じない蓮夜の物言いに灯子は呆れた。

 そして同時に……それだけの時間をすべて戦いに投じてきたのだと言うのも……理解できた。できてしまう。


「……毎月40円、家政婦の平均賃金」

「衣食住は儂が出そう」

「なら30円でいい」


 打てば響く灯子の提案に、蓮夜は目を細めた。

 やはり灯子は頭が良い、生活についての知識もある。

 何より自分を変に持ち上げるような言動も無いため、付き合いやすい。


「わかった、35円じゃ。たまに囲碁か何か……趣味探しに付き合ってくれ」

「……妥当。わかった」


 そんな二人を一つ隣の障子の外で聞き耳を立てる一人の仲居。


「ふんふん、まあ蓮夜様なら安心ね」


 そうして素知らぬ顔でつぶやいた後、蓮夜と灯子にお代わりのお肉とお酒を運ぶ仲居さん。

 

「おお、灯子。肉じゃ!」

「豆腐が至高……」


 子供のようにはしゃぐ二人に新たなお肉を並べて、楽しい夜は更けていったが……。

 いい塩梅でほろ酔いとなった蓮夜の元に昼間出会った仲居が駆け込んできた。


「蓮夜様、皆様が隣の料亭でお待ちですが!?」


 その一言に、蓮夜のお酒を飲む手が止まった……。

 だらだらと冷や汗を流して、心なしか髭がプルプルと小刻みに揺れている。


「皆様って……蓮夜、誰かと会うの?」


 キョトンとした灯子の質問に、震える声で蓮夜は告白した。


「元同僚に会いに行くつもりだったのだが……もしかしたらそのまま鬼籍に入るやもしれん」

「……ねえ、今度は何したの?」

「い、生きて帰れたら説明する……のじゃ」

「蓮夜様……忘れすぎです……」

「…………大体察しがついた」


 さっきまでのほろ酔いの幸福感と牛鍋の味はどこへやら……まるで幽霊のようにふらふらと、仲居さんの案内で退場していく蓮夜。


 取り残された専属の仲居さんと灯子は顔を見合わせて苦笑するしかない。


「一緒に食べます? 流石に二人前は食べ切れない」

「では……せっかくですし、ご相伴にあずかります。私もこの牛鍋が大好きなんですよ」


 そんな平和な夜は更けていったが……。


 ――申し訳ないと思っている!! 煮るなり焼くなり好きにしてほしい!!

 ――まあまあ、悪気はなかったんですし……寒かったけど。

 ――え! 蓮夜さん好きにして良いの!? じゃあ美味しくいただきまーぶげっ!!

 ――私が……最初です。


 日付が変わるまで、それはもう隣の料亭は大騒ぎだったそうだ。


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