第2話

 土御門は那由多を後列に載せて車道を疾走していた。

 一見何の変哲もない光景に見えるが、ここに平時の様に車が走っていたならば周囲は驚愕していたはずである。土御門は時速90kmで自転車を漕いでいた。

「ダッシュババアと戦った時を思い出さない?」

「あぁ、あれは強烈だったな。

 見た目が老婆なのに車並みの速度で走ってる姿で死にかけた、笑いすぎて」

 土御門の自転車の先にはまたしても屍鬼の大群が待ち構えていたが、彼は速度を緩めない。

 ふわりと飛び上がった那由多が、席の上に立つ。そのまま刀を振りぬき、死者の壁を地に伏せる。自転車は、速度を緩めることなく走り続けた。

「これだけ大規模な被害が出てるのに、俺みたいなへっぽこ陰陽師しか現場に向かえないのか?」

「もともとクリスマスは負の感情が集まりやすいから。

 この事態を一瞬で解決できるような高名な霊能者は出払ってるらしいわよ」

「……こんなイベント、お前は社会に含まれてませんって言うようなものじゃないか。友人も恋人もいない人間にはクリティカルだぜ」

「いやに実感の籠った発言ね」

「ききき気のせいだろ」

 自転車のハンドリングが大きく狂っていた。

 雪は更に勢いを増し、街を白く染めようとしている。

 街を行きが包むのかが先か、死が街を終わらせるのが先か、それとも陰陽師が闇を払うか。

 土御門は白い息を吐いた。

「これからどうするの?」

 那由多は土御門の広い背中に頬を重ねる。まるで心臓の音を確かめる様だった。

「魔法陣の自然成立の先例に従えば、大抵の場合単純な原理で動作していることが殆どだから、事件発生の原因となった3人の魂を消滅させるのが手っ取り早い。」

「この規模の霊障よ、きっと強いわ」

「俺の式神だろ、主人を信じろよ」

「あなたの体が怯えているから」

 土御門は答えなかった。

 吹雪と、自転車が風を切る音が二人を閉じ込める。

 人の姿をしているが、那由多は犬の式神である。

 犬の式神は、首だけを地上に出した犬を飢餓状態になるまで穴に埋め、死ぬか否かの瞬間に目の前に餌を置き、犬が餌を食べようと首を伸ばした瞬間に首を切り落とすことで完成する。

 那由多もそのように作られた犬神の一体だった。

「犬って耳がいい生き物だったか?」

「人間の四倍良い、ひょっとしたら頭も人より良いかもね。

 少なくとも生きることに最適な行動をとるわ」

「そりゃ頭じゃなくて本能に従ってんだ」

「命を投げ捨てるための頭脳ならない方がマシじゃない」

 また言い負けてしまった。

 土御門はどうもこの式神に頭が上がらない。

 土御門は陰陽師の名家の生まれながら、家に伝わる一子相伝の秘術を習得できなかった落ちこぼれである。そんな彼と唯一契約した式神が那由多だった。

「……那由多、一番近くの反応は?」

「口で勝てないからって遂に無視したわね」

「那由多」

 語気を強めた土御門に那由多は舌打ちする。

「ショッピングモールよ。広場で警察の特怪と戦闘中」

 鼻をひくひくと震わせながら、那由多はぶっきらぼうに答えた。

 血と魔力の流れをかぎ取り、遠くの状況まで把握できる優れた偵察能力を持っているのが犬神の特色である。

「なら急がないとな、特怪の人たち無茶するから」

「どの口が」

 那由多の減らず口を掻き消すように、車輪の回転数が一気に増した。


 数時間前まで死に溢れていたショッピングモールは、すっかりシンプルな構図に様変わりしていた。

 体の原型がないほど破損した屍鬼たちの上を、一台のトラックが通り過ぎて行くのみである。

 敷地内を疾走するトラックの後ろには、大口径の重機関銃が備え付けられており、白と黒に塗装された車体には「特別怪異対策班」と銘打たれている。

 悪霊が発生し、屍鬼が伝染を始めてから30分後、現場に急襲した彼らは一切の警告なしに屍鬼たちに重機関銃を叩き込んだ。

 警察内に秘密裏に設立された怪異対策係、圧倒的な殉職率を誇ることから「怪異が敵(かたき)か人格破綻者か」と揶揄される特攻部隊が彼らである。

「状況はどうなってる!」|

 トラックのハンドルを握っている中年の男、大山は怒鳴った。

「商店街とショッピングモールから出現したゾンビは抑えることに成功した様です。

 我々の包囲から抜け出した集団もいますが、一番大きい集団は善意の一般人が何とかしてくれたようですね。後は包囲網を狭めながら殲滅中です」

 助手席に乗っている、几帳面に髪を固めたメガネの男は、中西はタブレット端末を確認しながら答える。

「野良陰陽師か?まさか土御門の奴じゃないだろうな」

「彼も男子高校生ですからね、流石に今日は都心にデートにでも行ってるんじゃないですか」

「そう上手くはいかんか」

 一歩踏み外せば絶命するこの状況で、二人は至って慣れた様子で会話を交わした。

 彼らが車内で話している最中にも、トラックに積まれた機関銃からはひっきりなしに銃声が響いている。

「小谷ィ!奴はまだ諦めんのか!」

「ぜんっぜん効いてませんよぉ!」

 トラックの荷台で重機関銃を撃ち続けている小柄な男、小谷は泣きそうな顔で叫んだ。

 彼らが乗るトラックを、一人の悪霊が追いかける。

 よれよれのスーツに、妙な角度で曲がった首、砕けた顔面。

 数時間前にこの場所で自殺した男が、今は悪霊となり警察官を追いまわしていた。

「数時間前に彼がこの場所で自殺し、悪霊と化したことから、彼がこの事件の要石の一つであることは間違いないでしょう。

モラルのない連中が状況証拠をアップしてくれましたしね」

 あの決死の状況においても、承認欲求を捨てられない者たちはいたのだ。

 SNSにアップされた死者が蘇る凄惨な動画は、巧妙なCGであることを指摘する隠ぺい部隊のアカウントによって異常性を察知されないまま、SNSのガイドラインに違反したとして全動画が削除された。

「隊員の死者も少数で抑えられています、あとは大本を断つことが出来ればよいのですが」

「問題は我々ではかなわん事だな!」

 器用に障害物をすり抜け、ショッピングモールの敷地内を疾走するトラックに悪霊は中々追いつけないようであった。

 ふいに悪霊が足を止める。

 機関銃の後ろで安堵の表情を浮かべた小谷の顔は、すぐに恐怖で染まった。

 トラックの上空を影が覆う。

 次の瞬間、トラックは空中に投げ出された。悪霊が投げつけた街灯が車体を吹き飛ばしたのだ。

 横転し、ひっくり返るトラック。車内で宙づりになりながらも、2人は至って冷静である。車内からライフルを取り出し外に投げ捨てると、自分たちは外部へ這うように抜け出す。

 ライフルを構えた二人が目にしたものは、小谷が悪霊に首を掴まれてもがいている姿であった。

 息を飲む二人。

 小谷の首が何の抵抗もなく引きちぎれる。

 舞い上がった鮮血が、雪に混ざってゆっくりと舞い降りた。

 大山はライフルのフルオートを悪霊に浴びせながら、中西に叫ぶ。

「撤退しろ!ここは俺が」

 無情にも、悪霊は目にもとまらぬ動きで弾丸を潜り抜けた。

 悪霊が大山に手を伸ばす。


 全てがゆっくりと映る死の目前で、大山は悪霊が自転車に跳ね飛ばされる姿を見た。

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