第1話『廻り始めた歯車と訪れる異変』


 空は青く、何処までも広がっていた。

 カノアは国境の大峡谷を離れた後、眼前に広がる荒野の地平線を追いかけるようにスノーラリアの背中で揺られていた。


「この早さならティアたちにももうすぐ追い付けるか」


 カノアがそう呟くと、背中越しにアイラの声が聞こえて来た。


「あんまり遅いから魔物にでも食われちまったかと思ったぞ」


 カノアはチラリと視線を後ろに向け、同じスノーラリアに跨っているアイラとアイリの姿を確認する。

 

「すまない、風の魔法を使って追いつこうとしたんだが、何故だか魔法が上手く使えなくてな」


「ソフィアが壊れたのか?」


「いや、ソフィアは……」


(そういえば俺がソフィア無しに魔法が使えることをティア以外には教えていなかったか)


「急に黙ってどうした?」


「……いや、何でもない」


 そう言うとカノアは再び視線を前に向ける。

 少し沈黙が訪れると、アイラがその空気を感じ取って話題を変えた。


「しかし、このスノーラリア随分とカノアに懐いているな」


「そうなのか?」


「スノーラリアは自分たちの縄張りをここまで離れることはないからな。それに大峡谷でもお前のことを助けに来たんだ。何か懐かれるようなことでもしたんじゃないか?」


「特に何かしたわけじゃ――」


 カノアは記憶を辿る様に過去を振り返ろうとしたが、いくつかのネガティブな記憶も掘り起こしかけたので、振り払うように思考を止めた。


「てか、何て名前なんだ?」


「名前?」


「付けてやってないのか? 此処まで着いて来てるんだ。これから暫く一緒に居るだろうし、名前があった方が良いだろ」


「クエーー!」


 アイラのその言葉を理解したのか、スノーラリアは嬉しそうな声を上げた。


「ほら、こいつも名前を付けろって言ってるぞ」


 アイラからの突然の提案にカノアは少し言葉を詰まらせる。

 だが、前を向いていて見えないはずのスノーラリアの目が、期待の眼差しを自分に向けているような気がしたので、カノアは改めて口を開いた。


「……じゃあ、そうだな。これからお前はフラッフィーだ」


「クエーー!!!」


 カノアの言葉に反応するようにフラッフィーは声を弾ませた。

 その様子を見て、アイラはカノアに言葉を掛ける。


「どういう意味なんだ?」


「意味は気にするな」


「ちぇー。教えてくれても良いじゃんかぁ」


 カノアの素っ気ない返事に、アイラは唇を尖らせて愚痴を零す。


「ま、なんかふわふわっとしてて、もふもふっとした感じはこいつに合ってるかもな」


「意味、分かってないんだよな?」


「ん?」


「いや、何でもない……」


 カノアは肩の力を抜くように少し長めの溜息を吐いた。

 そして、目線を上げて遠くの地平線を視界に入れると、先ほど思い出しかけた過去の記憶と再び向き合う。


(日付だけで言えば俺がこの世界に来てから一週間も経っていないが、もう何年も過ごしたような気がするな)


 そしてカノアは、最後に戦ったアマデウスと呼ばれていた少女の顔を思い出す。


(黒いローブを着た連中は、ティアを利用してアマデウスと呼ばれる少女を作っていた。そしてその少女は自身を鍵であると言っていた。それにカリオスは日本のことを知っていた。一体この世界は……)


 そこまで思い出したところで、カノア一度思考を止めてアイラに話し掛ける。


「そういえばアイラはティアに会いたがっていたが、どうしてなんだ?」


「それは――」


 突然話を振られたアイラは、何かを思い出しているかのように少し黙った。

 背中越しで顔は見えていないが、何処となく気まずそうな顔をしているのだろうと感じ取れた。

 アイラは少し間を開けてから口を開くと、昔話をするようにポツリポツリと話し始める。


「あたしはさ、禁戒の民なんだ。そして、間違いなくティアも同じ国の生まれだ」


 アイラの口調は何処か寂し気で、何処か儚い。


「カノアはさ、禁戒の民について何処まで知ってるんだ?」


 アイラはカノアの背中に向かって、憂いを帯びた声で問いかける。

 だが押し黙る様にしてカノアは口を開かなかった。いや、というのが正しい。


「おいおい、大事な話してんだから返事くらい――」


 アイラはカノアの肩に手を掛けると、その肩が小刻みに震え、呼吸が乱れていることが分かった。


「お、おいどうしたんだよ! 具合が悪いなら少し休憩するか?」


 アイラの声に返事をすることなく、カノアは次第に呼吸だけを大きく乱し始める。

 そして、異常な発汗と時々零れる呻き声が明らかに危険な状態であることを告げていた。


「止まって」


 二人の様子をアイラの背中越しからじっと見守っていたアイリが声を上げる。

 アイリの声に即座に反応するように、フラッフィーが足を止めた。

 急に止まったのもあるが、それ以上に最早フラッフィーの背中を握る力も残っていないとばかりに、カノアはバランスを崩して地面に落ちた。


「おい、カノア! 一体どうしたってんだ!?」


 アイラも慌ててフラッフィーの背中から降りると、地面に倒れているカノアを抱きかかえた。

 

「いきなり何だってんだよ……。くそっ! あたしが治癒魔法さえ使えれば。――あの時だって」


 アイラは自分を責めるような言葉を思わず零し泣きそうな顔を浮かべる。

 だがそこへ一人の少女が風のように颯爽と現れた。


「ティア?」


 アイラが顔を上げると、そこにはティアの姿があった。


「あんまり遅いから何かあったのかなって私だけ戻って来たんだけど、一体何があったの!?」


 ティアは泣きそうな顔をしているアイラと、その腕の中で苦悶の表情を浮かべているカノアを交互に見て緊急事態であることを悟る。


「近くにエリュトロン王国って小さな国があったはずだから、ひとまずそこに連れて行きましょ!」


「エルネストたちは良いのか?」


 アイラの言葉にティアは凛とした表情で答える。


「今はカノアのことが優先!」


「そう、だな」


 その言葉に、アイラは自身の頬をパシっと叩き気持ちを切り替えた。


「弱音ばっか吐いてちゃダメだよな」

 

 アイラはカノアをフラッフィーの背中へ乗せると自身も跨り、落ちないようにカノアごとフラッフィーの背中をしっかりと掴む。

 そしてアイリもサッと背中に跨ると、ティアに向けて親指を立てる。

 ティアはその合図を見てニコっと微笑むと、風の魔法を唱えてから進路へと目を向ける。


「さ、私に着いて来て!」


 ティアがその場を駆けだすと、その背中を追うようにフラッフィーは再び荒野を走り始めた。

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