第5話『異世界は幻想を奏でる』

 人生においてデジャヴというのはしばしば経験があるものだ。だがそれはいつどこで起きたことか思い出せないことがほとんどだろう。いや、ほとんどではなく全てだ。思い出せたらその時点でデジャヴでは無くなるのだから。

 だからこそ今の状況がデジャヴではなく、間違いなく自分の記憶にある情報と一致していることをカノアは認識していた。


「急にぶつかってごめんなさい。けど、こんなところで何をしてたの?」


 銀髪の少女が怪訝そうな顔でこちらを見ている。確かにこんな暗い森の中で明かりも持たずにうろうろしている人間に出くわしたら警戒しない方がおかしい。

 カノアは、先ほど少女が魔物に追われていると言っていたことを思い出し、まるで他人事のように返事をする。

 

「えっと、まだ魔物が追ってきている、とか?」


「あなたも追われてたのね! だったら一緒に逃げましょ!」


 先ほどまで一緒に逃げていたはずなのに何故このような言い方をするのだろうか、とカノアは違和感を覚える。

 ふと少女の腕に目が留まると、腕を伝っている血が怪我のことを思い出させてくれた。


「その腕。大した傷じゃないって言っていたけど、やっぱりちゃんと止血したほうがいいんじゃないか?」


 血が腕を伝っている時点でやはり傷口は浅いものではないはずだ。カノアはポケットからハンカチを取り出し傷口を抑える。


「え? あ、ありがとう」


「自分では大丈夫と思っていても、痛みと言うのは後から来るんだ。まずはちゃんと止血して黴菌ばいきんが入らないように……」


 カノアは小言を言いながら自分の手の中にあるハンカチを眺める。先ほど少女の言葉に覚えた違和感が更に大きくなるのを感じた。


「えっと、私、腕を怪我してる何て話したっけ? へ、変なこと聞いてたらごめんなさい! 大した傷じゃないって、そんなこと言ったかなって、気になって」


 少女の疑問はもっともだ。


「……すまない、変なことついでにもう一つ聞いても良いか? 俺、さっきこのハンカチ、君に渡さなかったか?」


「本当に変なこと聞くのね。渡されてないし、それに、君に会ったのも初めて、だよね?」


 二人の間に少しの沈黙が訪れる。


「き、きっと魔物に追われる途中で気を失って怖い夢でも見たのね! 寝てるときに襲われなかっただけでも運が良かったと考えましょ!」


 明らかに変な気の遣い方をされていることには気が付いたが、かといって釈明できるだけの言い訳も見つからず、ただただ少女の言葉を受け入れる。


「さて、お話もここまで。そろそろ逃げないと本当にまずいことになるわ。木々のざわめきが少しずつ大きくなってきてる」


 少女の言う魔物とやらが迫ってきているということだろう。カノアは未だ理解が追い付いていないが、ひとまず少女の言葉に従う。


「そういえば君は何のソフィアを持ってるの? 私は風のソフィアを持ってるから逃げるだけなら魔物よりも早く動けるわ」


 夢の中でも同じようなことを聞かれた気がした。いや、今となっては夢だったのかどうかも定かでは無いが、聞き覚えのある言葉をまた聞かされるとやはり夢ではなかったのではという気持ちが大きくなる。


「その、ソフィアというものは持っていないんだ」


「うそ! あなたソフィアを持たずにこの森に入ったの!? それで生きてられたのは奇跡よ!」


「すまないが、そのソフィアというのが何か教えてもらってもいいだろうか? えっと、その。……まだ頭が混乱していて上手く思い出せないんだ」


 多分また変なことを聞いているのだろう。少女は困惑した表情を浮かべながら言葉を探しているようだった。


「えっと、ね。魔法は分かる、よね? ソフィアっていうのはその魔法を使うための道具で……」


 たどたどしく説明をしている少女を見ていると申し訳ない気持ちになってくる。だが少女の言っている言葉自体は理解出来ても、それが指し示す言葉の意味までは理解出来ないのだ。


「ごめん、先にこの場を離れた方が良さそう。思ったよりやつらが近づいてくるのが早い。続きはもう少し落ち着いてからにしましょ?」


 少女がブレスレットのような装飾具を触ると淡く光る。暗がりの森の中で細身の腕がほのかに照らし出された。


「さぁ、手を出して。一人くらいだったら風の恩恵を受けられるから」


 やはり少女の言っている言葉には不可解な部分が多い。

 少女の言う通り、出会ったのは本当に初めてなのだろうか。何が夢で何が現実なのか。

 カノアの疑問は増すばかりだった。

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