第1話『これからの「異世界」の話をしよう #1』
少年は飛んだ。
高く、高く、どこまでも高く。
翼を手入れられたことが何よりも嬉しかった。
夢中で飛び続け、やがて地上の人は見えなくなった。
少年は神様になった気分だった。
気が付くとまばゆい光が辺りを包み込んでいた。
少年は思った。
太陽に近づき過ぎたのだと。
▽▲▽▲▽▲▽
袖から舞台上を覗くと、翼を背中に生やした男の子がステージを駆け回っているのが見えた。
少し視線を動かすと、体育館に集まった観客がそれを静観しているのも見える。
突如肩をぽんぽんと叩かれたので振り返ると、そこには顔の前で両手を合わせている同学年の少女が居た。
「急に代役お願いしてごめんね。けど本当に助かった!」
「変に思われなかったかな? 演技はあまり得意じゃないんだ」
「そんなことないよ! このまま演劇部に入って欲しいくらい!」
「大袈裟だよ」
「ねぇ、カノア君。本当に演技部に入ってみない?」
「ごめん、俺は生徒会に入っているから」
「やっぱそうだよね……。んー、残念!」
「それじゃあ俺はこれで」
「え? 最後まで残っていかないの? せっかくならこの後一緒に――」
「俺の出番は終わったからね。それに、実はこの後も頼まれごとがあってさ」
「そ、そうなんだ。相変わらず大変そうだね」
「一人ぐらい途中で居なくなっても誰も気が付かないさ。じゃあまたね」
目を少し細め、頬と口角を上げ、落ち着いた口調で手を振る。
極めて自然に。
「今度お礼させてね!」
もう一度微笑むと、俺は何も言わずに踵を返す。
(さて、次は……)
体育館のステージ横の舞台袖。
演劇部員の女の子に背を向けて、俺は一歩ずつ階段を下りる。
「一緒にカーテンコール出たかったんだけどなぁ……」
舞台はまだ序盤。カーテンコールにはまだ早い。
背中越しに聞こえてきたその言葉は、歓声の渦に消えて行った。
◆◇◆◇◆◇◆
「さて、何処から探すか……」
周囲を見渡すと、仮装をした生徒や看板を持った着ぐるみが客引きをしている。
喫茶店。お化け屋敷。謎解き脱出ゲームは少し興味を惹かれるな。
「――っと。大丈夫ですか?」
後ろから衝撃を感じたので慌てて振り返ると、白いうさぎの仮装をした二人の少女が立っていた。
白いうさぎのフード付きパーカーに白いうさぎのチョーカー。
少し幼く見えるその風貌から学園外の子供であることを理解する。
「ねぇ、お兄さん。お腹が減ったんだけど」
そう言われましても、と言いたいところだが邪険に扱うのも忍びないので自分のクラスのサービス券を渡す。
「もし良かったらこれをどうぞ。カノアから貰った、と言えば多分何かサービスしてくれるよ」
女の子たちはそれを受け取ると、さっさとその場を後にしてしまった。
その判断力の速さは見習いたいところだと感心した矢先、目的の方からこちらを尋ねて来た。
「
その声はわざとらしい程低く発せられた。恐らく担任の先生の真似だろう。
「ミナト」
背中越しに聞こえた声に振り向くと、そこには目的であった玉木ミナトが立っていた。
「相変わらずお前の演技には驚かされるよ」
「有難いお言葉で」
「ち・な・み・に、舞台の話じゃなくて、演劇部の子の誘いを断っていたことだぞ? 本当はさっきので今日の仕事は終わりなんだろ?」
「どこで聞いていたんだよ……。あれは建前だ。無下に断るのも失礼だろ?」
「お前のは建前じゃなくて、ただ本音で人と関わっていないだけだろ」
二面性という言葉がある。人にも世界にも、それは存在する。
自分を取り繕い、望まれた姿を演じて、誰かの期待を満たすために笑顔を浮かべる。
「人聞きの悪いことを言わないでくれ。本音で話すのが得意じゃないだけだ」
「その不愛想な本性をいつまで隠し通せるやら」
俺はこの世界が嫌いだ。嘘で塗り固められたこの世界が。
そして、そんな世界で『望まれた自分』というものを演じて生き続けている自分自身が、この世界よりも嫌いだ。
「ちなみに、この後用事があるのは本当だぞ?」
「そうなのか?」
「ビラ配りサボって観劇していた何処かの馬鹿を捕まえて、打ち上げ用の買い出しに向かわせてくれってクラスの奴から頼まれている」
「うげっ、バレてたのか」
「付き合ってやるからさっさと行くぞ」
そう言うと俺たちは学園の外へと向かった。
◆◇◆◇◆◇◆
「神は死んだか」
「……は?」
カノアは思案の世界から意識を戻す。そして突然の嘆きを口にしたミナトに、可哀そうなものを見る視線を送った。
それはカノアに出来る精一杯の優しさだった。
「そんな目で見るな。あれだよ、あれ」
日も落ちかけた夕暮れ時。間もなく世界に夜が訪れることを空は告げており、カノアたちは学園からニ十分ほど歩いたところにある駅前に居た。
ミナトが示した先には、大型ビルの壁面に設置された街頭ビジョンがあった。
「世の中便利になるのは良いけど、便利過ぎるのもどうかと思ってね」
世界は革新的な技術に溢れ、日々その姿を変え続けている。
街頭ビジョンでは夕方のワイドショーが流されており、有名なIT企業のCEOのコメントで番組は盛り上がっていた。
「楽しそうなのは結構だが、他にもっと大事にしないといけないものがあるんじゃねぇのかって思うよ、俺は」
ミナトは何処かのコメンテーターのような不満を口にする。
目を閉じ、口を噤み、耳を塞ぐ。そんな大人たちが作った世界が、どうして子供に希望を持たせられるのだろうか。
ワイドショーで笑顔を振りまいているこの人物も、成功したからこそ笑顔でいられる。
「嘘だらけの世界だ。本心だけで生きている人間なんて、何処にも居ないさ」
画面に映る人物に向かってか、それとも自らに対してなのか、カノアは吐き捨てるように毒づいた。
「きゃー!!」
突如女性の悲鳴が夕暮れの空にこだまする。
「おいおい、冗談じゃないぞ!」
ミナトは端正な顔を歪ませ、阿鼻叫喚が飛び交う惨劇に目を向けていた。
騒乱の中心に目を向けると、異形とも呼べる全長三メートルほどの人間のようなものの姿が飛び込んでくる。
そして、その周囲には先ほどまで健在だったことを証明するかのように鮮血を流す人々の姿があった。
「何だよあれ!? ヤバイって! 俺たちも早く逃げないと!」
その惨劇を吸い込まれるように見つめていたカノアの腕をミナトが掴む。
もし世界に神がいるとしたら、もし神がこの瞬間を見ているのだとしたら、この状況を静観している神に対して誰もが失望することだろう。
自身の周囲から獲物が離れていくのを認識した異形なるものは、やがて自身を見つめていた一人の少年に目を向ける。
「こっちに来るぞ!」
ミナトのその言葉で、カノアは異形なるものが自分たちに向かって来ていることを理解する。
慌ててその場を離れようとしたカノアの目の前に大きな影が立ち塞がる。
「ウガアアア!!!」
その咆哮と共に、異形なるものは腕をしなるように振り上げ、鉄槌を打ち下ろそうとする。
「ボーっとするな!!」
その言葉は、振り上げられた鉄槌よりも早くカノアをその場から弾き飛ばした。
その直後に大きな衝撃音が響き渡る。弾かれたカノアは慌てて体制を立て直し、自身を弾いたものが何なのかを確認する。
「……ミナト?」
そこには血だまりの海に身を沈める友人の姿があった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます