もう一つの消失

 赤ずきんは参っていた。

 白雪に会ってからというもの、母親の自分に対する態度がどうもおかしい。


 普段ならしかめっ面で怒鳴ってくるようなことをしても、終始ニヤニヤとした表情と猫撫で声でたしなめてくるようになった。

 説教か仕事を押し付ける時ぐらいしか息子と会話をしなかった母親が、積極的に話しかけてくるようになった。

 そして会話内容は、白雪についての質問ばかりだった。

 赤ずきんは全ての質問に対し、「うるせぇ」と突き放し、まともに答えようとしなかったが、その度に母親はさらにニヤついた。


 あの日。

 帰って来た息子の完治した脹脛ふくらはぎを見た母親は、ますます白雪を気に入った。

 悪行ばかりして怪我の絶えない馬鹿息子を、優しくコントロールし、治療までできてしまう美しい娘。

 理想的にも程がある白雪を息子の嫁にもらえたら…と考えるだけで、未来が明るくなるように思えた。



 アリスが目を覚ました次の日の朝。

 白雪は当然のように、赤ずきんを家まで迎えに来た。

 玄関の扉を開けた先に立つ息子の嫁候補を見た途端、母親は舞い上がった。

「おはよう、白雪ちゃん!昨日はありがとうねぇ…!お陰ですっかり治っちまったよ!」

「おはようございます。でも、僕は家に連れて行っただけで、何もしてませんよ…?」

 女装王子は少し困った様子で、赤ずきんの母親に笑いかけた。

 流石に昨日起きた不思議な出来事をありのまま伝えて、大事な友達の母親を混乱させるわけにはいかない。


 母親が何か言う前に、家の中から銀色の毛むくじゃらが猛スピードで出て来た。

「おはよう、ワンちゃん」

 嬉しそうに鼻をクンクン鳴らして擦り寄ってきたオオカミを、白雪は優しく撫でた。

 振り回されている幸せ尻尾が、母親のスカートをパシパシと叩く。

 オオカミの威厳などかけらも無いツルギに呆れながら、母親はまだ寝ているであろう息子を叩き起こしに家の中へと引っ込んだ。


 赤ずきんは起きていた。

 ベッドで仰向けになって天井を眺めながら、自分が次に取るべき行動について考えていた。

 白雪が来たことがわかった時点で、窓から逃げようかとも思ったが、このまま白雪と仲の良い振りをして、今まで邪魔にしかならなかった母親を利用するのもいいかもしれない。

 タイムリミットは、母親が自室の扉を開くまで。

 一度目を閉じ、決断する。


 母親が扉を開いた瞬間、赤ずきんは窓から外へと降り立った。

 はためいた赤い頭巾のボロボロな裾が窓枠から見えなくなると、母親は驚いて玄関の方へと目を遣った。

 しばらくすると、開け放たれた玄関の扉の向こうで、ツルギを撫でていた白雪の腕を乱暴に引っ掴み、強引に出発する息子の姿が見えた。

 驚いた白雪は慌てて家の中にいる赤ずきんの母親に向かって、出発の挨拶をした。

 白雪に腹を見せてくつろいでいたツルギも、キョトンとして遠ざかる二人の背中を目で追う。


 息子が照れていると解釈した母親は、首を傾げるオオカミの頭上で、くっくと笑った。



 家を出た二人の少年は、草原を越え、真っ直ぐに学校へと向かっていた。

 赤ずきんが寄り道をせずに登校するのは、初めてのことだった。

「ねぇ、りんごほっぺくん。何かあったの?」

 いつもなら自分を避けるような素振りを見せる赤ずきんが、なぜか今日は積極的であることを、白雪は不思議に思った。

 考えごとをしていた問題児は、白雪に間近で話しかけられ、ようやく自分が女装王子の腕を掴んだままであることに気が付き、急いで振り解いた。

 舌打ちしてそっぽを向いてしまった赤ずきんを不思議そうに見つめた後、白雪は優しく微笑んだ。



 学校に到着し、教室に入った途端、クラス中の視線が二人に集まった。

「みんな、おはよう…!」

 白雪は全員に微笑み返し、その可愛らしい声で挨拶をし、注目していた全員が口々に挨拶を返す。

 赤ずきんは、こちらを見ようともしないただ一人の少年の存在を確認すると、周りの視線を無視して大人しく自分の席へと向かい、乱暴に着席した後、窓を勢いよく開け、指先で机をトントントン…と三回叩いた。

《昼休み・隠し部屋に行くぞ》

 こちらに背を向けたまま本を読んでいる金髪の少年が、返事をするように椅子に座り直す。

《わかった》

 赤ずきんが二人にしか伝わらない方法でアリスと連絡を取り合っていると、クラスメイト達と話していた白雪が、不安そうな表情で近づいて来た。

「りんごほっぺくん…、なんか変だよ…」


「みんな…、かぐやくんのこと、忘れちゃってるみたい…」

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