水路を抜けて

 全身が痺れるような鈍い衝撃と共に、耳が詰まるような感覚がした。

 眼を瞑っているわけでもないのに、辺りは真っ暗で何も見えない。

 冷たい何かが、身体全体を圧迫しては、後ろに流れていく。

 どこかでゴボゴボと、ぼやけた音がする。


 これは…………水だ。


 だんだんと暗闇に目が慣れてきた赤ずきんは、掴んだ毛の束の本体が前進しているのを確認すると、水の抵抗を減らす為、腕の中で震えるウサギを腹で押し潰し、猫の背に身体を伏せた。

 たちまち速度を上げた巨大な猫の潜水艦は、大きな土管のような水路から石畳の広間に出た。


 広間の中央には、灯りの消えた大きな蝋燭があり、その奥に枠しか存在しない三つの扉があった。

 チェシャが尻尾で持った鍵の束を蝋燭に近づけると、どういう仕組みなのか、水中であるというのに蝋燭に火が灯った。

 広間全体が暖かい光に照らされると、徐々に水位が下がっていき、呼吸ができるようになった。

 赤ずきんの腕の中で必死に息を止めていた白ウサギは、激しく咳き込み、肩で息をした。


 搭乗者の無事を確認したチェシャは、迷わず左の扉をくぐって奥へと進んだ。

 明るい広間から再び暗い道に出たので、白ウサギはその寒さと不安で身震いした。

 チェシャの背に揺られ、浅く水の張った通路をしばらく進むと、大きな檻が見えてきた。

 大量の錠の付いたその檻は、間違いなくアリスが幽閉されている檻だった。


 檻の前まで来た所で、赤ずきんはチェシャの背から飛び降り、浅い水の上にバシャリと着地した。

 チェシャが腰を下ろしたので、背の上に残っていた白ウサギはバランスを崩し、悲鳴を上げながら背から尻尾を伝って滑り落ちた。

 白ウサギが背から降りると、チェシャはパチンと音を立てて爆ぜ、普通の猫のサイズになって、赤ずきんの頭に着地した。


「…で、どうすんだ?さっき手に入れた鍵で、この錠前全部外すのか?」

 赤ずきんは檻を見上げ、頭の上のチェシャに訊ねた。

 相変わらず檻の中は暗く、中の様子は分からないが、奥の方から微かな呼吸音が聴こえる。

「この鍵束はね、檻の鍵じゃないのよん…!」

 鍵のついた輪に通した尻尾を器用にシャラシャラ回しながら、チェシャは答えた。

「じゃあ、どうやって…」

「はい!コレ食べて☆」

 赤ずきんが言い終わらないうちに、チェシャはどこからか取り出したキノコを、赤ずきんの口に突っ込んだ。

 ビスケットのような味のキノコを噛んだ途端、赤ずきんの身は縮み、檻の鉄格子を通り抜けられるサイズになった。

 そういえばアリスと共にこの檻の中に落ちた時も、妙な薬品で身体のサイズを変えて脱出したのだった。


 もとより身体の小さな二匹と共に、赤ずきんは暗い檻の中へと入った。

「次はコレを食べて☆」

 中へ入るや否や、チェシャはさっきとは別のキノコを、赤ずきんの口に放り込んだ。

 今度はチョコレートのような味がする。

 たちまち赤ずきんの身体は元のサイズに戻り、再びチェシャが頭の上に飛び乗って来た。

 白ウサギは、はぐれないよう、赤ずきんのズボンの裾を握っている。


 だんだんと暗闇に慣れてきた眼で牢の中を見渡すと、磔のような形で壁に繋がれたアリスが見えた。

 アリスを縛っているのは、以前二人で見つけた朽ちた枷だった。


「嗚呼、アリス様…!」

 白ウサギが悲痛な声を上げ、アリスに駆け寄った。

 アリスはうなだれ、ただ弱い呼吸を繰り返している。

 アリスが眠っているのを見て、赤ずきんは病院で見た眠ったままのアリスを思い出し、《どうりで、現実世界のアリスが眼を覚まさないはずだ》と、妙に納得した。

 返事をしないアリスの前でオロオロする白ウサギをよそに、チェシャは尻尾に持った銀色の鍵の束を、アリスの頭にかざした。

 すると、鍵の束は散り散りになってアリスの手足へと移動し、拘束を解いた。

 自由になったアリスは床に倒れ込み、小さな白ウサギはそれを抱き留めようと必死で両前足を広げたが、案の定、押し潰されてしまった。

 役目を終えた鍵達は、再びチェシャの尻尾に掛けられた輪へと戻った。


 赤ずきんが服を引っ掴み、乱暴にアリスの身体を起こすも、目覚める様子はなく、静かに寝息を立てている。

「やっぱり妙ね…。アリスきゅんがこっちの世界で寝ていることなんて、今まであったかしら…」

 チェシャは険しい表情で、アリスの寝顔を観察した。

「アタシ…、いつもはアリスきゅんがこっちに来るとすぐにわかるのに、今回は気付けなかった。…正直、今ここにいるのが、本当にアリスきゅんなのか、自信がないくらいよ」

「なんでコイツは寝てんだ?どうやったら起こせる?」

 赤ずきんの問いに、チェシャ猫は首を振った。

「眠ってる理由は分かんないわ。…けど、起こす方法ならあるわよん☆」

 そう言って、チェシャはメイドの方を向き、ウィンクした。

「あとは任せたわよ、メイドさんっ!」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る