肉の文字

 カーテンの付いていない円型の窓から、西に傾き始めた陽が射し込む。

 しかめっ面の問題児は平静を保つため、ベッドの横に座る美少年を視界に入れないよう、仰向けのまま必死に天井を睨んでいた。


 白雪が母親と知り合ってしまった。

 おそらく母親は、訪ねて来た美しい女装王子を、息子のガールフレンドだと勘違いしたのだろう。

 時折数センチだけ扉を開けて、ニヤニヤした目で部屋の中を覗き込んでくる。

 確かに、誰の言うことも聞こうとしない問題児を簡単に抑制できる白雪は、異例の存在だった。


 ツルギは白雪の隣に座り、幸せそうな尻尾はメトロノームと化している。

「朝迎えに来たらいなくて、訊けば『入院した』って言うから、僕心配したんだからね」

 甘えるオオカミを撫でながら、白雪は語った。

「アリスくんも昨日から休んでるし…、何かあったの?」

「別に何でもねーよ」

 赤ずきんは窓の方に顔を逸らし、応えた。

 アリスに何があったのかは、赤ずきんも知りたい事だった。

 白雪はさらに訊ねる。

「りんごほっぺくんは、どうして怪我をしたの?」

「なんだっていいだろ」

 何も答えてくれない大事な友達の、表情の見えない横顔を見ながら、白雪は何か自分に出来ることはないかと考えた。


「足の傷を見せて」

 そう言って白雪は、そっと赤ずきんの左足に触れた。

 赤ずきんの返事を待たずして、包帯を解いた白雪は、痛々しい穴の空いた脹脛ふくらはぎをまじまじと観察した。

「これなら…、すぐに治せるかも」

 白雪は頷き、赤ずきんの顔を覗き込んだ。

「りんごほっぺくん、僕の家に来て…!」



 赤ずきんの母親に事情を説明し、白雪は怪我をした問題児の手を取り、自分の隠れ家のある森に向かって歩き出した。

 側から見れば仲睦まじい幼い二人の背中を見送りながら、母親はくっくと笑った。




 王子に支えられながら歩く、不自由な問題児は考える。

 外に出られたのは良いが、白雪と一緒では意味がない。

 しかも、再び白雪の家に連れて行かれそうになっている。

 真意は分からないが、アリスは「もう関わるな」と言った。

 これ以上、白雪と関わるのはまずい。

 しかし身体が言うことを聞かず、白雪を視界に入れないように目を泳がすので精一杯だった。


 白雪が最近学校であったことなどを話すのを聞き流しているうちに、森の入り口に着いた。

 相変わらず出入り自由となっている森は、静かに二人と一匹を迎え入れた。

 白雪の家に向かっていることが嬉しくて仕方ないツルギは、前を行く二人を追い抜いたり二人の周りを回転したりした。

 オオカミにとって重要なのは、今日御馳走してもらえる肉の量だけだった。


 白雪は赤ずきんの傷が開かぬよう、なるべく平らな道を選んで進んだ。

 それでも傷は開いてしまったが、幸い酷い出血にはならなかった。



 白雪が赤ずきんの手を引いて例の小さな家に入ると、小さな七人の老婆達が驚いた顔で出迎えた。

「あら、いらっしゃい」

 髪に花飾りを付けた老婆が優しく微笑む。

 他の老婆達も、赤ずきんの顔を見るなりキャッキャしていたが、少数の老婆は、まだ赤ずきんを警戒していた。

「今日は何の用で来たんだい?」

 長い白髪を頭のてっぺんで結んだ老婆が、赤ずきんとツルギを睨んだ。

「足を怪我しているの」

 白雪は、包帯から血の滲んだ赤ずきんの左足を見せて、老婆達に説明した。

 二人の仲を応援している老婆達は、「あらまあ…!」と口々に心配そうな声を上げ、一斉に別の部屋へと何かを取りに走った。

 白雪も側に椅子を置いて赤ずきんに座るよう勧め、他の老婆達を手伝いに向かった。


 残った二人の反対派は、招かれざる訪問者の包帯を外して傷をまじまじと見つめた。

「こいつはただの怪我じゃないね…」

 椅子に座らされた赤ずきんの顔を見上げ、すきっ歯の老婆は眉をひそめた。

「お前さん、何か妙なもんに遭ったろう」

「まあな」

 赤ずきんは自慢げに笑い、ズキズキと痛む左足をぷらぷらと揺らした。

 すきっ歯の老婆は、揺れる足を骨張った小さな手で押さえ、血の滲み出る傷口を爪で引っ掻いた。

「おい!悪化させてどーする」

 患者は出血が余計酷くなった左足を、老婆から遠ざけた。

 老婆は削り取った肉を指の腹で擦って伸ばし、しばらくそれを観察してから、横にいる同志と顔を見合わせ頷き合った。

「どうやらお前さんは、この世の外の存在と関係を持っちまったみたいだねぇ…」

 そう言って老婆は、指にこびり付いた赤ずきんの足の肉を見せた。

 薄く伸ばされた肉に混じった黒い粒が、列を成して文字となり、老婆の細い指に浮かび上がっていた。


【眠れ】


 老婆の指には、こちらの世界には存在しない文字でそう書かれていた。


 その文字を見た途端、赤ずきんは卒倒した。

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