不自由な問題児

 痩せた雄のオオカミは、ごちゃごちゃしたベッドの上で伏せていた。

 いつもは閉じられている部屋の扉は、全開である。

 普段出入りしている窓も開け放たれ、汚い部屋の中を、爽やかな初夏の風が通過する。

 埃っぽい部屋の空気は入れ換えられ、床に落ちているガラクタは、全て棚かベッドの上に上げられた。


 やがて箒を持った赤ずきんの母親がやって来て、忙しなく部屋全体を掃き始めた。

 砂や埃が舞い上がり、オオカミがくしゃみをする。

 掃き掃除を終えると、母親は棚の上のガラクタを、元の通り床にぶち撒けた。

 オオカミもそれにならって、ベッドの上のガラクタを床に落とした。


 埃だけが取り除かれ、元通りになった足の踏み場の無い部屋を見渡し、母親は大きな溜め息を吐いた。

「アンタ、いつからここに居るんだい?どうりで、貯蔵してある肉の減りが早いわけだよ…」

 そう言って母親は、塵取りの上の埃の山を見た。

 砂や埃に、大量のオオカミの抜け毛が混じっている。

 抜け毛の親玉は耳を垂れ、申し訳なさそうに座り直した。


 赤ずきんの母親が近寄り、手を伸ばすと、殴られると思ったオオカミはビクつき、目を強く閉じた。

 母親は殴ることはせず、オオカミの額の模様を撫でた。

「この十字模様…、アンタ、【ツルギ】だろう?」

 オオカミは、母親が自分に付けられた名を知っていることに驚いた。

「あんな事があったってのに…。アンタ達は本当に懲りないねぇ…」

 オオカミを見つめるその瞳には、愛情と深い悲しみが入り混じっていた。

 この母親も、オオカミが忘れてしまっている過去について、何か知っているようだった。






 空に日が高く登る頃。

 母親は居候オオカミを家に残し、手のかかるひとり息子を引き取るため、病院へと向かった。


 大量出血の後生還した息子は、非常に不機嫌で、命を救ってもらった感謝の言葉も無く、誰に対してもそっぽを向いていた。

 母親は看護婦にお礼と詫びを入れ、逃走しようとする息子の首根っこを掴み、引きずって帰った。



「ツルギにお礼言っときな」

 家に着くなり母親にそう言われ、扉の開け放たれた自室を見た赤ずきんは、目と耳を疑った。

《今…なんて言った…?》

 母親から丸見えの位置に座っていたオオカミが、パタパタと尻尾を振り、赤ずきんに駆け寄って来る。

 目を見開いた赤ずきんは、自分の匂いを嗅ぐオオカミを無視して振り返り、母親の反応を見た。

 母親はオオカミを見て驚くどころか、どこか満足そうに頷いて言った。

「アンタが今生きてんのは、その子がアタシを呼んでくれたおかげなんだよ」


 赤ずきんはオオカミに向き直り、ツルギは少年を見上げた。

 詳しいことは分からないが、これからは、母親からツルギを隠す必要が無くなったようだ。

 ……そう思った矢先、母親は言い放った。

「ただし、飼うのは反対だよ。前にも言っただろう。人間とオオカミは、住む世界が違うんだ。一緒にいることは、お互いにとって良くないことなんだよ」

 赤ずきんはツルギと共に、母親の顔を見た。

 母親は、妙な絆で結ばれた一人と一匹を引き離すため、必死で睨み返した。

「森に返して来な。何か大事になる前に」

 赤ずきんは嫌らしく笑い、ツルギの額をトントンと叩いた。

「コイツはオオカミじゃねーよ」

 心無い黒カビの生えた木の扉が、親子の会話を締め括る。


 銀色のオオカミを連れて、散らかった部屋へと消える息子の背中を見送り、母親は溜め息を吐いた。

《また悲劇が起きなければ良いけれど…》

 夫の亡骸を拾い上げたあの日に想いを馳せていると、玄関からノックの音が響いた。





 靴を履いたままベッドの上に寝そべり、天井を睨みながら問題児は考える。

 退院したとはいえ、まだ完治はしていない。

 傷は塞がってはいるが、動き回ればすぐに開いてしまうだろう。

 痛みは大したことないが、血が流れ続けるのは困る。

 誰かが血痕を辿って、自分達が森に出入りしていることがバレてしまうかもしれない。

 しばらくは大人しくしている他無いように思えて、赤ずきんは苛立っていた。


 不意にツルギが立ち上がり、扉に向かって尻尾を振った。

 扉の向こうから、母親と誰かが話す声が聞こえる。

「良いんだよ、気なんか遣わなくって」

「だって、心配だったから…」

 母親の逞しい声に返答する、小鳥のような可愛らしい声。

 赤ずきんは、ゾッとして起き上がった。


 白雪だ…!!!


 窓から逃げようとした瞬間、扉が開かれ、花の香りと共に部屋に白雪が入って来た。

「あ!りんごほっぺくん!ダメだよ、じっとしてなきゃ…!」

 窓枠に足を掛けたまま、全身が凍り付く。

「おっ…、おまえ、何しに来た…!」

 うわずる声で抵抗するも、強張り火照った身体は言うことを聞かず、美しい女装王子によって、易々とベッドに戻されてしまった。

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