第5章 黒く染まりゆく夢

病院で

 枯れ葉の敷き詰められた、茶色くカサカサした絨毯の上を、小さな足で駆け回る。

 前を行く銀色の小さなオオカミを、ブカブカの赤い頭巾を被った幼い少年が追いかける。

 大きな木の根に行く手を阻まれた子供のオオカミを、短い両腕で捕まえた赤い頭巾の少年は、そのままその場に転がった。

 一人と一匹は一緒に空を見上げ、しばらく呼吸を整える。


 いつからこうして遊んでいるのだろう。

 一人と一匹は、互いの家族も知らない秘密の友達だった。

 いつもこうして、誰も入って来ない森の中、密かに会って遊んでいた。


 ……互いの親に見つかるまでは。





 幼い頃の記憶が、鉄の味のする赤色に染まって、赤ずきんは目を覚ました。

 薄暗い白い天井が、生還した少年を愛想なく出迎えた。


 ここが自分の部屋ではないことが分かると、赤ずきんは上半身を起こし、辺りを見回した。

 白くてシンプルな家具が置かれているだけの、冷たいその部屋には、薄っすらと薬品の匂いが漂っている。

 ここは、危険な行動をして怪我の絶えない赤ずきんが、よく世話になっている病院だった。

 周りに誰かいる様子はなく、病室内は静まり返っていた。

 小さな窓からは、どんよりとした空が見える。

 太陽が見えないせいで、今何時なのかは分からなかった。


 あれから、どれだけ時間が経っただろう。

 竹の化け物と化したかぐやと戦い、意識を失ったことは、はっきりと覚えていた。

 自分のものではない白いズボンを捲り上げ、左足を見ると、丁寧に包帯が巻かれていた。

 今は少し頭がぼうっとするだけで、痛みも出血も無い。


 裸足のままベッドから降り、部屋の出口へと向かった。

 古びた長い廊下は薄暗く、人の気配は無い。

 窓から見える景色は、手入れされていない雑草まみれの庭と、重たく分厚い雲ばかりで、やはり人がいる様子は無い。

 この病院には何度も入院させられていたが、この病棟に来るのは初めてだった。

 冷たい床を素足でペタペタと鳴らしながらしばらく進むと、別の部屋に突き当たった。

 赤ずきんの目的地は、この建物の出口だったが、なぜかその突き当たりの部屋には妙に惹かれた。

 ドアノブに手を掛けると、扉は簡単に開いた。


 中に入って最初に目に飛び込んで来たのは、白いカーテンだった。

 カーテンを捲ると、その奥にあるベッドの上で、誰かが寝ているのが見えた。

 部屋の中は、廊下よりも薄暗かったが、視力の良い赤ずきんには、それが誰なのかすぐに分かった。


 赤ずきんはベッドに近付き、怪訝な顔で、寝ている人物の顔を覗き込んだ。

「……アリス?」

 眼鏡を外し、堅く目を閉じたアリスは、幽かに寝息を立てている。

「おまえ、なんでこんなとこで寝てんだよ…」

 訳が分からず、赤ずきんは呆れた表情で、アリスの肩を掴んで揺らした。

 ……しかし、アリスが起きる気配は無い。


「見つけた…!」

 不意に背後の白いカーテンがサッと開き、伸びて来た腕が、赤ずきんを掴んだ。

「何してるの、こんなところで…!勝手に動き回っちゃダメでしょう…!」

 振り向くとそこには、怖い顔をした顔馴染みの看護婦が立っていた。

「傷口も開いちゃってるし…!痛み止めが切れたら、痛くて歩けなくなるわよ…!?」

 看護婦に小声で叱りつけられ、足元を見ると、いつの間にか包帯が朱に染まっており、気付かないうちに血の足跡を付けていたようだ。


「コイツ、なんで入院してんだよ?」

 赤ずきんがアリスを指差して訊ねた。

「昨日の朝から目を覚まさないんですって。疲れが溜まっていたのかしらね…、しばらく寝たら良くなると思うわ」

 看護婦は少し表情を曇らせ、赤ずきんを部屋の外へと引っ張りながら答えた。

「……さ、大人しくあなたはあなたの怪我を治しなさい。今回の怪我が、今までで一番酷いんだから…!」

 看護婦がカーテンを引き、病室の扉を閉め、眠ったままのアリスは見えなくなった。


 ……どうりで、学校で姿を見なかったわけだ。

 アリスの身に、何があったのだろうか…?


 謎を抱えたまま、赤ずきんは元いた部屋に戻され、再び止血され、痛みが戻りつつある左足には、新しい包帯が巻かれた。

「退屈でしょうけど、じっとしてなきゃ治らないわよ。諦めて大人しくしてなさいね…!」

 そう言って看護婦は、赤ずきんを一人残し、廊下に付いた血の足跡を消すため、病室から出て行った。


 再び静かになった部屋に、小さな窓から太陽の光が差し込み始めた。

 どうやら、まだ日も昇らぬ早朝に起き出してしまったらしい。

 徐々に院内に、人の気配と音が出現し始める。


 赤ずきんは早々にじっとしていられなくなり、窓を開けてそこから外に出ようと思ったが、赤ずきんの性格をよく知る病院側の作戦だろう、身体が通らないほど窓枠が小さく、窓からの脱走は諦めるしかなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る