剣狼と母親

 竹に首を絞められ、宙吊りになった赤ずきんは、笑っていた。

 枝に貫かれた左脚から、血が次々と滴り落ち、足元には血溜まりができている。

 彼が普通の少年だったなら、絶望し、もがき苦しんでいただろう。

 しかしこの問題児は、どこかおかしかった。

 赤ずきんにとっては、死の危険を孕んだ恐怖や苦痛は、快感でしかなかった。


 絶体絶命の窮地に追いやられても尚、笑い続ける恋敵に、かぐやは戸惑った。

 さっきまで浮かべていた歪んだ笑みは、どこかに消え去った。

 此奴は何かおかしい。

 この状況でも、私に勝てる算段があるとでも言うのか…?


「何故笑う…。何故笑っていられる…」

 未だ感情の無い音で訊ねると、赤ずきんは大剣から手を離し、首を絞めている竹に手を触れた。

 オオカミの姿に戻って着地したツルギは、どういうつもりなのかと慌てて上を見上げた。


 右手で竹を掴み、赤ずきんは何かを呟いた。

 首を絞められているため、声は出せないが、口の動きで何か言っているのが分かる。

 放たれた音の無い言葉に、かぐやは心底ぞっとした。


 それは、赤ずきんが先程オオカミに対して唱えたあの呪文だった。


 次の瞬間、竹という竹が節々から赤黒い血を撒き散らして弾け飛んだ。

 残酷な爆竹は、かぐや本体をも巻き込み、繊維と肉を辺り一帯に撒き散らした。

 竹に覆われていた視界が開け、月夜が再び顔を出す。

 自由になった赤ずきんは、オロオロするツルギの上に落下した。

 バラバラになった竹とかぐやは、見る影もなく、武器化する様子も見せず、黒い砂と化して夜空に消えていった。


 竹の化け物の成れの果てを見送ると、赤ずきんはその場に崩れ落ちた。

 足からの出血が酷く、頭がくらくらする。

 左脹脛ひだりふくらはぎには銅貨サイズの穴が空き、止めどなく血が流れ出ている。

 意識が遠退く赤ずきんを、ツルギは心配そうに覗き込んだり、鼻で突いたりした。

「やべーな、コレ…。死ぬかも…」

 赤ずきんはツルギに向かって、ヘラヘラ笑った。

 しばらくツルギは頭巾を咥えて引っ張っていたが、赤ずきんが意識を失い、もう起き上がれないことを悟ると、家まで駆けて行き、玄関の扉の前で脚を止めた。


 今ここで赤ずきんの母親を起こせば、赤ずきんは助かるかもしれない。

 …しかし自分は、赤ずきんの母親に殴られるか、最悪殺されるだろう。

 赤ずきんと自分の命を天秤にかけるまでもなく、ツルギの心はすぐに決まった。


 ツルギは扉を引っ掻きながら、喉から血が出るほど激しく吠えた。

 ツルギにとって赤ずきんの死は、自分の死と同等だった。

 赤ずきんが死ねば、自分の食事と寝床を失うだけでは済まされないような気がした。

 赤ずきんの死は、この世界の死だとも思えた。


 けたたましい鳴き声で目覚めた赤ずきんの母親は、扉のすぐ向こうで騒ぐ生き物がオオカミであると判断した。

 夫を殺された彼女には、野犬とオオカミの鳴き声の判別くらいすぐにつく。

 しかし、それにしては妙だ。

 オオカミが、わざわざ人間を呼ぶようなことをするだろうか…?


 母親は玄関口がよく見える窓まで移動し、外の様子を窺った。

 扉に前脚を掛け、必死に吠える一匹の銀色のオオカミが見える。

 周囲に他のオオカミの姿は無い。

 母親は丈夫そうな麺棒を手に持ち、窓を開け、身を乗り出して怒鳴った。

「何の用だい、こんな夜中に!殴られたくなけりゃ、さっさと帰んな!」

 ツルギは母親に気が付くと、窓の下に急いで駆け寄り、吠えながら赤ずきんのいる方向を何度も振り向いた。

《頼む…!早く気付いてくれ…!》

 そう心の中で叫ぶ奇妙なオオカミを警戒しつつ、母親はオオカミが何度も見ている方向に、何かが横たわっているのを発見した。


 見慣れた赤いボロボロの布…。

「赤ずきん…!?」

 倒れている息子に気が付いた母親は、玄関の扉をぶち破る勢いで寝間着のまま外に飛び出し、血塗れの赤ずきんに駆け寄った。

 母親が息子の血が流れ出ている足を確認すると、オオカミに襲われた傷ではないことはすぐに分かった。

「まったく…、何をやったらこんな怪我するんだい…!」

 母親は急いで家に救急箱を取りに行き、ツルギの傍ら、慣れた手つきで手早く止血した。

 出血は止まったものの、外に流れ出た血の量から考えて、幼い赤ずきんが危険な状態であることに変わりはない。


「アンタ、医者を呼んで来ておくれ」

 ツルギは、突然自分に飛んで来た指示に、黄色い目を見開いた。

「あいにく、うちには電話が無いんだよ。私よりアンタの方が足が速いだろう」

 そう言って母親は、住所氏名と赤ずきんの状況を書いたメモをツルギに咥えさせた。

「医者の居場所は分かるね?」

 その問いに、決心と共に頷いたオオカミは、月明かりの下、近くの街にある小さな病院に向かって、全速力で駆けて行った。

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