悍ましい竹林

 その日、アリスは結局現れなかった。

 かぐやによる学校案内の後、なんの異変も起きないまま残りの授業を受け、白雪は無事に帰路に着いた。


 アリスに何かあったのだろうか…、とも思ったが、白雪のお蔭で今日はやたらと疲れていたので、赤ずきんは早々に(…と言っても、【赤ずきんにとっては】だが)寝ることにした。


 ベッドの上でくつろいでいるツルギを押し退け、布団に潜る。

 目を閉じたそばから、毒りんごを持ったアリスと、幸せそうに微笑む白雪と、気取った敵意を向けてくるかぐやが、脳内を巡る。

 三人が何周かした後に、秘密部屋に現れた黒い男の姿が頭に浮かんだ。

 アイツの事も、アリスに伝えなければ……。


 静かな闇の中、微睡む赤ずきんの耳に、遠くから木の枝を揺するような音が聞こえてきた。

 家の周辺には、確かに木の生えているところがあるが、こんなにも広範囲で生えていただろうか?

 サラサラガサガサと、葉と枝を擦り合わせるような音は、だんだんと近づいて来ていた。

 ……妙だ。

 これは木を揺らす音ではない…!

 木が移動している音だ…!


 赤ずきんが起き上がると、ツルギは既に窓の外に視線を向けて、近づいて来る【何か】を警戒していた。

 赤ずきんも、埃の溜まった窓から外を覗くと、背の高い枝の束を背負った【何か】が、ふらふらとした足取りで、こちらに近づいて来ているのが見えた。

「何だ…?アレ…」

 赤ずきんの顔に、笑みが浮かぶ。

 正体不明の恐怖に嬉々としながら、ふらふらガサガサと近づいて来る【何か】を観察した。

 薄雲に埋もれた月の、弱々しい光に照らされたそれは、背に何本もの竹が突き刺さったかぐやだった。

 身体から竹を生やしたかぐやは、血走った目で赤ずきんを凝視していた。

 この世のものとは思えない形相で、窓から覗く赤ずきんを睨みつけていた。


 赤ずきんには、状況が理解出来なかった。

 しかし、かぐやが尋常ではない殺意を持って、自分に近づいて来ていることは明らかだった。


 赤ずきんは、腰の抜けたツルギを連れて窓から外に出た。

 赤ずきんが接近すると、おぞましい小さな竹林は足を止めた。

「なんだそのファッション。流行ってんのか?」

 赤ずきんはかぐやの殺意を鼻で笑い、背に生えた竹を指差した。

 かぐやは血走った目で赤ずきんを睨み、低く唸っている。

 よく見ると竹には血管のようなものが何本も浮き出ており、節の一部がトランプのダイヤを連ねたような模様になっていた。


 どこかで見た模様だ…と、赤ずきんが首を捻っていると、かぐやが口を開いた。

「貴様は、この世に不必要な存在だ…。在ってはならない存在だ…」

 鬼のような形相とは裏腹に、その声には感情が無く、声というよりは音のようだった。

「それ故に…、私が消すのだ…」

 かぐやの背から生えた竹が、風も無いのにざわめき始めた。

 黒々とした竹の束がミシミシと音を立て、上へ上へと伸びていく。

 不意に数本の竹が大きくしなり、赤ずきんめがけて勢いよく伸びて来た。

 赤ずきんは間一髪で後ろに跳び下がり、竹は地面に突き刺さった。

 かぐやは竹を、手足の如く自在に動かせるようだった。


 竹を地面から引き抜いたかぐやは、表情一つ変えず、しならせた竹の束を左右に伸ばし、自分と赤ずきんを囲った。

 横に伸びた竹の壁は空をも覆い、赤ずきんの逃げ場は完全に失われた。


 暗闇の中、憎悪に満ちた血走った目は、常に赤ずきんを捕らえている。

 赤ずきんは冷めた目でそれを見返しながら、後ろで縮こまるツルギを引き寄せた。

 ツルギは相変わらず震えていたが、赤ずきんの顔を見て、諦めのような安心感を得た。

 ツルギの尾を掴み、赤ずきんは呪文を唱えた。

 音を立てて爆ぜ、大剣と化すオオカミを見ても、かぐやは何の反応も示さず、ただ静かに殺意を垂れ流していた。


 赤ずきんは大剣を振るい、側にある竹の壁を吹き飛ばした。

 かぐやの身体から切り離された竹の束が崩れ落ち、視界が開けた。

 しかし、すぐに切断面から新たに竹が生え、再び赤ずきんを包み込んだ。

 …これではキリがない。

 やはりまずは、本体から片付けなければならないようだ。


 赤ずきんが向き直ると、かぐやは顔を歪めて笑った。

「もう逃げられまい…」

 赤ずきんも笑った。

「おまえも、な…!」

 そう言ってかぐやに向かって大剣を振るうと、節から伸びた枝が急成長し、かぐやの盾となった。

 枝は吹き飛んだものの、かぐやには届かない。

 舌打ちする赤ずきんに向かって、竹の壁から何本もの尖った枝が、素早く伸びてくる。

 避け損ねた枝が、脹脛ふくらはぎを貫いた。

 激しい痛みも、滴る血の温かさも感じる。

 …これは悪夢などではない。


 激痛に呻く恋敵の首を、冷たい竹が締め上げる。

「貴様の負けだ…」

 竹の化け物は、感情の無い声で笑った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る