【愛しの君】

 翌日。

 眠れなかった恋する問題児は、空腹なオオカミを連れ、くだんの王子が迎えに来る遥か前に家を出た。

 まだ日も昇らぬ薄暗い大地を、ただ目的も無く歩いた。

 空腹以外に悩みの無いオオカミは、《今日は何を食わせてもらえるんだろう》と期待しながら、成長し始めた雑草を踏みしめた。


 赤ずきんは、自分がアリスの恐ろしい計画を止めたがっているように感じていた。

 普段なら、アリスの血も涙も無い行動に同調し、一緒に楽しむところだ。

 しかし、今回ばかりは何か違っていた。


 言い表しようの無い気持ち悪さを抱きながら、赤ずきんは無意識のうちに、森へと向かっていた。

 朝靄のかかった森の手前まで来ると、相変わらず見張り番は立っておらず、風も吹いていない森は、しんと静まり返っていた。


 白雪が森に住んでいることを思い出し、自ら迎えに行ってどうするんだと踵を返そうとした瞬間、視界の端に黒い男が映った。

 全身が血の凍るような悪寒に襲われ、冷汗が頬を伝う。

 久し振りに遭遇した白雪以外の恐怖に、思わず口角が上がる。

 赤ずきんは両の眼で、二本の木の間に立つ黒い男を捉えた。


 男は自分の足元に視線を落とし、微かに微笑みながら、手の中でサイコロを振るかのように左手を動かしている。

 何か呟くように、歌うように、何を言っているかはわからないが、声を発している。


 赤ずきんは、ゆっくりと男の方に歩み寄った。

 ツルギは、まるで金縛りにあったかのように、目を見開いたまま動かない。

 不思議の国で【始まりの逆】と呼ばれていたその不気味な男は、赤ずきんの接近に気付いているのかいないのか、顔を上げようともせず、ただ左手を振っている。


 あと数歩で男に触れられる距離まで近づいた瞬間、鈴のような音が聞こえ始めた。

 コロロ…コロロ…と、可愛らしくも不気味な音が鳴る。

 男の手の中にあるのは、鈴なのだろうか?

 …しかし、それにしては音の聞こえ方が異常だ。

 耳元で鳴る鈴の音に立ち止まった赤ずきんの指輪が、音に合わせて震えている。

 指輪の異常に気が付いた途端、男が呟いた。

「【愛しの君】の到着だ。失いたくなければ、【私】までしっかり守り通せ」


 次に男の方を見た時には、既に姿は無く、男が放った言葉の意味に首を傾げていると、森の奥からサクサクと軽やかな足音が聞こえてきた。

「…あれ?迎えに来てくれたんだ」

 朝日と共に現れたのは、心の奥底で会いたいと思いつつも、遭遇を恐れていた白雪だった。

 白雪は目を見開いて硬直する赤ずきんに「おはよう」と挨拶し、緊張が解けて駆け寄って来たツルギの顔を、両手でわしゃわしゃと撫でた。

 ツルギは男が消えた安心と白雪に会えた喜びで、鼻をクンクン鳴らしている。


 白雪はおそらく今日、アリスに殺されるだろう。

 何も知らない美しい王子に手を引かれながら、赤ずきんはただ歩いた。

 ツルギは途中までついて来たが、二人の向かう先が学校であることに気付き、離脱した。


 二人が教室に入ると、中にいたクラスメイト達が、一斉に振り返った。

 麗しの令嬢と手を繋いでいるのは、どうしようもない問題児。

 納得がいかないことで話題のカップルの登場に、クラス全体がざわめいた。

 赤ずきんは、この地獄のような状況に身を震わせた。

 やはり白雪には、死んでもらうしかなさそうにも思えた。


 白雪に引っ張られ、どよめきの中、席に向かう。

 赤ずきんを無理矢理座らせた白雪は、当然のようにその隣の席に座った。

 教室の自分の席に座ることなど、いつぶりだろうか…。

 赤ずきんは、これ以上白雪が視界に入らないよう視線を逸らし、脱出ルートを確保するため、窓を全開にした。

 あとは隙を見て逃げるだけである。


 赤ずきんが横にいるだけで満足なのか、白雪は幸せそうに鼻歌を歌っている。

 そんな白雪に、黒板付近に集まっていた女子のグループが手招きした。

 白雪が席を離れたので、逃亡しようと窓枠に手を掛け、腰を浮かすと、誰かに机を叩かれた。

「おい赤ずきん、彼女とはどういう関係だ?」

 振り向くとそこには、艶やかな黒髪を長く伸ばした、妖艶な少年が立っていた。

「彼女…?…誰のことだ」

 赤ずきんがうんざり顔で質問を返すと、少年は再び机を強く叩いた。

「白雪に決まっているだろう…!彼女とは、一体どういう関係なんだ…?」

「どういう関係でもねーよ」

 赤ずきんは、白雪が性別を偽ってここに来ていることを思い出し、眉間に皺を寄せた。

 目の前に立つ和服姿の少年は、妖しい笑みを浮かべ、赤ずきんに顔を近付ける。

「…では、なぜ彼女から特別な扱いを受けている…?どうもただの友達のようには見えんのだが…?」

 その声色からは、嫉妬以外の感情が読み取れなかった。

 赤ずきんは、白雪のせいで自分が面倒事に巻き込まれたと悟り、再び白雪を疎んだ。

 やはりあの王子は、消すべきなのかもしれない。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る