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 その日。

 赤ずきんはいつもの時間に起き出し、怪しまれないよう、わざと母親に見えるように家を出た。

 農場の建物で身を隠しながらUターンし、窓からそっと自室に戻って布団に身を隠す。


 ベッドの上で布団にくるまりながら、赤ずきんは考えた。

 白雪のせいで、自分達が思うように行動できないことは確かだった。

 しかし、悔しいが正直なところ、あの最高に恐ろしい王子に会えないことは、非常に残念にも思えた。

 赤ずきんは、自分が白雪に再会できたことを、心のどこかで喜んでいたことに気付いた。


 アリスは白雪を、どうするつもりなのだろう。

 一粒の小さな雫が水面を揺らすように、赤ずきんの心の中で不安の波が広がった。

 赤ずきんは、自分が何を不安がっているのか、わからなかった。


 いつもとは違う赤ずきんの行動に、ツルギは首を傾げた。

《なんだ…?体調でも悪いのか?》

 などと考えながら、布団を頭までかぶってじっとしている主人を、ただ静かに見守るしかなかった。






 どのくらい時間が経っただろうか。

 赤ずきんは真上から聞こえる、自分を呼ぶ声で目を覚ました。

 ツルギの嬉しそうな息遣いも聞こえる。

 布団から顔を出し、しょぼつく目をしばたかせ、眩しい声のする方に目を遣ると、窓から白雪が覗いていた。

 赤ずきんは驚いた拍子にベッドから転げ落ち、布団に絡まったまま、もう会わないつもりでいた王子を見上げた。

「なんでここがわかった…!」

 ひっくり返る声で赤ずきんが叫ぶと、開けっ放しの窓から白雪は微笑んだ。

「桃ちゃん達に訊いたんだよ。……で、今日はなんで学校来なかったの?具合悪いの?」

 赤ずきんは、返事の代わりに舌打ちをして、体に巻き付いた布団を取って、ベッドに投げつけた。

「ねぇ、明日からは一緒に学校行こうよ。僕が迎えに来てあげるから…!」

「はあッ!?」

 白雪の誘いに、赤ずきんは再び叫んだ。

 いくら家に篭っていても、このままでは毎日白雪に会うことになってしまう。

「来るな!」

「もう、照れなくていいのに」

「照れてねぇッ!」

 問題児の顔は、真っ赤だった。

 美しい王子はクスクス笑い、大事な友達に手を振った。

「じゃあ、明日の朝迎えに行くから、ちゃんと準備しててよね!」

 そう言って白雪は、夕焼けと共に去っていった。


 赤ずきんは窓を見たまま呆然とし、この状況を喜んでいる自分がいる事実に腹を立てた。

 状況は悪化する一方だ。

 アリスは一体何をやっている?

 赤ずきんは窓から家を飛び出し、アリスの家へと向かった。






 アリスの家に着いた赤ずきんは、付近に誰もいないことを確認してから庭に侵入し、いつものように外壁をよじ登り、アリスの部屋の窓をノックした。

 白いレースのカーテンが開き、冷めた顔の秀才が覗くと、赤ずきんは小声で怒鳴った。

「アイツが家に来た!何やってんだ、オマエは!」

 アリスは黙って窓を開け、赤ずきんを部屋に入れた。


 恋する問題児が口を開く前に、アリスはいつもの落ち着いた調子で訊ねた。

「ヤツの好物は何だ」

 わけがわからないまま、赤ずきんは今までの白雪とのやり取りを思い出し、答えた。

「……りんご…?」

 アリスは少し何か考え、赤ずきんをその場に残し、部屋を出て階下へ降りて行った。

 しばらくして戻って来たアリスの手の中には、赤くて綺麗なりんごがあった。

 赤ずきんが怪訝そうに見守る中、アリスは机の引き出しから例の小瓶を取り出し、どこで入手したかもわからない注射器で、小瓶の中身をりんごに注入した。


 こうして邪魔な王子を消すための毒りんごは完成した。

 果梗かこうの根元から注入したため、目に見える位置に穴は無く、側から見れば、ただの美味しそうなりんごである。

 赤ずきんは、息を呑んだ。

「…毒か?」

「そうだ」とアリスは、表情一つ変えずに頷く。

「それを食ったら死ぬのか…?」

 赤ずきんのその言葉からは、動揺が感じられた。

 アリスは質問には答えず、赤ずきんがこの毒りんごを白雪に食べさせる役目を果たせないと判断し、残酷な秘密兵器を鞄にしまった。


「お前はなるべくアイツに会わないように行動しろ。アイツが家に来るなら、外に出ろ。心配するな、あとは俺がやる」

 そう言ってアリスは、赤ずきんを外に追い出し、窓とカーテンを閉めた。

 ゆっくりと壁を伝い、地面に降りた赤ずきんは、しばらく白い煉瓦れんがの壁にもたれ、薄黒い雲のかかった月を見上げた。


 自分は一体どうしたいのだろう。

 どこへ踏み出しても、ぬかるみに足を取られて上手く進めないような感覚を抱きながら、悩める少年は帰路についた。


 辛うじて闇を照らしていた月が、重たくまとわりつく雲に飲み込まれた。

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