アリスの憂慮
半径二.五メートルほどの円を描くように立ち並ぶ、本の棚。
見上げると、壁一面の本棚は高くて見えない天井へと飲み込まれていくようだ。
天井からは常に一定の光が差し込んでおり、狭い円状の部屋全体を照らしている。
積まれた大きな本で出来た椅子に腰を下ろし、アリスは険しい顔で市松模様の床を睨みつけていた。
ここは図書館内にある、アリスと赤ずきんのみが知る秘密部屋。
アリスにとっては、誰にも邪魔されずに考え事のできる唯一の場所だった。
本棚に収められた大小様々な本達に囲まれ、アリスは考える。
《どうすれば二人を引き離せるか》
便利な探索機である赤ずきんを狂わせる忌ま忌ましい女装王子が、学校に転入して来た。
赤ずきんをあの家付近に近づかせなければ、問題無いと思っていたのに….。
赤ずきんがおかしくなったのは、女装王子による毒か術だと予想していたが、あの日二人の会話を聞いていたアリスは確信した。
赤ずきんが、あの妙な少年に恋愛感情を抱いている、と。
幸い、赤ずきん本人はそれを否定していたが、もしそれを受け入れてしまった場合、二人を引き離すには困難を極めるだろう。
…つまり、今引き離さなければ、今後赤ずきんが使い物にならなくなるということだ。
赤ずきんは重宝していた。
身近に、あれ程までに恐怖に屈する事なく、いつでもどこへでも派遣できる人材はいなかった。
替えが利かない存在だった。
そんな赤ずきんを故障させる、白雪という存在は、アリスにとって邪魔でしかなかった。
さらに白雪は、アリスの計画をめちゃくちゃにする存在でもあった。
初めて教室に入るなりアリスに駆け寄り、赤ずきんはどこにいるのかと訊いてきた。
周囲には赤ずきんとの関係を【赤の他人】と偽ってきたが、二人が行動を共にしていたことを、白雪は知っている。
教室では白を切って誤魔化したが、白雪の言動によって、アリスと赤ずきんが裏で関わっていることが明るみに出るのも、時間の問題だった。
赤ずきんの妖しい指輪。
消える森の見張り番。
不安定になっている現実と不思議の国の境界。
【始まりの逆】…。
ただでさえ謎を纏った問題が重複しているというのに、その全ての解決を阻止するかの如く、新たな問題として白雪は現れた。
アリスは、どうにかして邪魔な白雪を消し去りたかった。
ふと顔を上げると、正面にある本棚の列から少し飛び出ている赤紫色と青紫色が入り混じった毒々しい背表紙が目に入った。
下から二番目までの棚にある本には全て目を通していたはずだが、その本を見たのは初めてだった。
アリスは眉をひそめ、ゆっくりと立ち上がり、その本に近づいた。
背表紙に書かれているタイトルは、掠れていてよく見えない。
手に取って表紙を見てみると、毒々しい背景に酸化した血のような色で骸骨が描かれ、その上に黒文字でこう書かれていた。
【毒大全〜あらゆる毒の使い方〜】
ハッとしてアリスは、誰もいない部屋を見回した。
その物騒な本は、誰かによって、意図的に置かれたもののように感じた。
次期国王を殺せとでも言うかのようなこの状況に、アリスは息を呑んだ。
アリスが本と睨み合っていると、上から赤ずきんが降って来た。
騒々しく着地した赤ずきんは、アリスの姿を確認すると、急いで駆け寄った。
「なんで白雪が学校にいるんだ!」
赤ずきんは白雪に出会ったショックで、アリスに伝えるつもりだった実験結果のことなど、すっかり忘れている。
「知らん。とにかくアイツには関わるな。何か話しかけられても無視しろ」
アリスは毒図鑑を脇に抱え、冷たく答えた。
「無視できたら苦労しねーよ!」
右腕に先程密着された感触を思い出し、赤ずきんは身震いした。
赤ずきんの混乱っぷりを見たアリスは、これ以上赤ずきんに白雪を近づけるのは危険だと判断した。
「……わかった。俺がなんとかする」
赤ずきんを見据える冷たいその眼は、諦めと重たい決意に満ちていた。
「お前はしばらく学校に近寄るな。森にも入るな。アイツに遭遇しそうな場所には行くな。家から出るな」
基本じっとはしていられない赤ずきんが返事に迷っていると、アリスは赤ずきんに顔を近づけ、低い声で凄んだ。
「分かったな」
赤ずきんは顔をしかめ、渋々頷いた。
その夜。
アリスは自室に鍵をかけ、密かに調達した薬品や植物を机上に並べた。
それらを本の通りに混ぜ合わせ、加熱し、よく冷ました後、小瓶に移す。
あらかじめ捕まえておいたネズミに、小瓶の液体を垂らしたチーズを与えて様子を見た。
ネズミはチーズの匂いを嗅ぎ、警戒することなく齧り付いた。
程なくしてネズミはのたうち、次第に動かなくなった。
即効性の毒薬は完成した。
あとはこれを白雪にどう摂取させるか、だ…。
アリスは毒瓶を机の引き出しの奥にしまい、眠りに就いた。
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