第4章 忍び寄る殺意

別離と実験

 アリスから受け取った服を見て、赤ずきんは自分が服を着ていないことに初めて気が付いた。

 トロルに弾き飛ばされた際にできた傷に手当てが施され、腰には包帯が巻かれていた。


 赤ずきんはそそくさと服を着て、ベッドから降りた。

 どんな治療を受けたのかは分からないが、腰の痛みは全く無かった。

「腰の方は大丈夫そうだね。まったく…、森は子供が出入りしていい所じゃないんだってんだよ…」

 長い白髪を三つ編みにした老婆が、呆れたように溜め息を吐く。

 どうやら、この老婆が腰の治療をしたようだ。

「なにか言うことがあるんじゃないのかい?」

 老婆の言葉に、赤ずきんはそっぽを向いた。

 老婆は再び溜め息を吐き、嘆いた。

「王子はなんでこんな子を気に入ったんだかねぇ…」



 どこか急いでいるアリスに連れられ外に出ると、もう日はだいぶ傾いていた。

 急いでいるのは、日没が近いからかと思ったが、どうやらそうでもないらしい。

「気を付けてね」

 森の入り口までついて来た白雪が、寂しそうに二人と一匹に微笑む。

 ツルギは名残惜しそうに白雪に擦り寄り、クンクンと鼻を鳴らした。

「ワンちゃんもまた来てね」

 白雪が頭を撫でると、ツルギは返事の代わりに一声吠えた。


 白雪に背を向け森に入ると、アリスは冷たい声で赤ずきんに耳打ちした。

「もうアイツには関わるな」

 赤ずきんは驚き、アリスの顔を見た。

「おれがいない間に、あのババア達から何か聞いたのか?」

 赤ずきんが訊ねたが、アリスは何も言わなかった。

 赤ずきんは舌打ちをした。

「言われなくても、もう関わる気なんてねぇよ…!あんな泣き虫女装王子!」

 そう言いつつも、赤ずきんは酷く動揺していた。

 もうあの恐ろしい王子に会えないと考えるだけで、人生の楽しみを半分以上失ったかのような喪失感に襲われた。

 白雪の泣き顔が、脳裏に浮かぶ。

 この森に近寄らなければ、白雪に会うことはない。

 あの泣き顔も、見なくて済む。

 もうおれには関係ない。

 動揺する自分を抑えようと、必死に自分に言い聞かせ、赤ずきんは歩き続けた。


 名も知らぬ鳥が、頭上で奇声をあげている。

 西日を遮る木々の枝が、少年達の進む道に暗い影を落とす。

 その影の中の一つに男が立っていることに、少年達は気付かなかった。

 男は二人の少年を見送り、肉の付いていない左手薬指をさすりながら、愛おしそうに微笑んだ。






 翌日。

 赤ずきんは朝早くから家を出て、ツルギを連れて野原に向かった。

 気怠い足が小石にぶつかる度、ふらついて転びそうになる。

 昨晩は、アリスの言葉と白雪の泣き顔が脳内を巡り、ほとんど眠れなかった。


 昨日のことを思い出し、傷だけが残った腰に触れる。

 あの時白雪がいなかったら、まず間違いなく殺されていただろう。

 白雪に恩など感じていなかったが、自分の不注意と無力さには腹を立てていた。

 このところ、便利で強力なツルギに依存していたことに気が付いた赤ずきんは、ツルギ以外の生物の武器化を試みることにした。


 野原に着いた赤ずきんは、他の動物に警戒されないよう、ツルギを風下に待機させ、巣穴から離れた位置で草を食んでいるウサギを一匹捕まえた。

 暴れるウサギを殺さないよう押さえ付け、耳を掴んで呪文を唱える。

 たちまちウサギは爆ぜて肉片と化し、地に生えた雑草に血が飛び散った。

 十秒、二十秒と待てど、ウサギの体は再形成されず、肉片はピクリとも動かない。

 赤ずきんは顔をしかめ、右手に残ったウサギの耳を投げ捨てた。

 失敗だ。


 その後、ネズミや小鳥でも試したが、結果はどれも同じだった。

 野原に散らばった哀れな小動物達のバラバラ死体は、ツルギが綺麗に掃除した。


 小動物ではダメなのだろうか?

 やはりサイズの問題か。


 オオカミと同等の大きさの生物を求めて、一人と一匹は森の手前までやって来た。

 相変わらず見張り番の姿は見えなかったが、赤ずきんにとっては、そんなことはもう、どうでもよくなっていた。

 森を目にした途端、脳内を埋め尽くした恐ろしい王子を、首を振ってなんとか頭から追い出し、動物探しに集中する。


 程無くして親子で草を食むシカを発見し、ツルギと共ににじり寄る。

 シカほどのサイズとなると、殺さずに捕らえることに苦労したが、なんとか脚を折ることに成功し、自由に動けなくなった親鹿の首を両手で押さえて呪文を唱えた。

 シカは派手な音を立てて弾け飛び、赤ずきんの周囲は、シカの血と肉で赤く染まった。

 十秒…、二十秒…。

 …やはり何も起こらない。

 逃げ遅れた子鹿を食べ終えたツルギが、《これも食っていいか?》と赤ずきんを覗き込む。

 むしゃくしゃした赤ずきんは、手の中に残った分厚いシカの首の皮を、ツルギの顔に投げ付けた。


 結局のところ、赤ずきんが武器化できるのは、ツルギだけのようだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る