恐怖
うねる獣道を、太い根や蔓が覆っている。
魔女の家の裏から森へ出た赤ずきんは、来た道とは反対側から帰ることになった。
赤ずきんの頭の中は混乱していた。
なぜ自分達は解放されたのか。
魔女は自分達を家の中に閉じ込めて、肥え太らせて食べるものだと思っていた。
これでは、ただ食事で持て成されただけである。
…いや、食事に何か入っていたのは間違いないだろう。
家を出てからずっと、魔女の顔や声が、脳内を巡り続けている。
あるいは気絶している間に、既に何かされていたのかもしれない。
『また、会いに来てくれる…?』
最後に聞いた魔女の言葉が、何度も脳内に鳴り響く。
相変わらず顔は熱い。鼓動も速い。
普段の行いの所為もあるが、今まで赤ずきんが人に優しく接してもらえたことなど、ほとんどなかった。
あの魔女の優しさが、赤ずきんには理解し難く、とてつもなく恐ろしく感じられた。
ツルギは赤ずきんが木にぶつかりそうになったり、小川に落ちそうになったりする度に、頭巾の
赤ずきん達が自宅に辿り着いたのは、午後九時頃だった。
赤ずきんが門限を守らないのはいつもの事だったが、玄関から堂々と帰宅するのは珍しかった。
普段赤ずきんの部屋の窓から出入りしているツルギは、玄関に向かう赤ずきんを見て、慌てて家の裏側に回った。
赤ずきんの母親に見つかれば、オオカミはただでは済まされない。
いつもの事とはいえ、遅くに帰宅した息子を見た母親は激怒した。
しかし息子の様子は、明らかにいつもと違っていた。
いつもなら、説教に対する返事の代わりに舌打ちをして、部屋に直行するのだが、今日は虚ろな眼で黙って頷き、説教が終わってもそのまま呆然と立ち尽くしていた。
心配になった母親は、赤ずきんの火照った額に手を当てて熱を測り、今日はもう寝るよう促した。
赤ずきんがふらふらと自室に入ると、先に窓から入ったツルギが待っていた。
赤ずきんが部屋に入ったっきり、ぼーっとして扉を閉めようとしないので、仕方なくツルギが鼻で押して閉めた。
赤ずきんの脳内では、魔女が微笑み続けていた。
自分が魔女に操られているような気がして、魔女のことを考えないようにしようとしたが、魔女は頭の中で増殖する一方だった。
《なんなんだ、アイツは…?》
赤ずきんは自分の両手を見た。
魔女に握られた感触が、まだ残っている。
《アイツは、おれに何をしやがったんだ…?》
狭い散らかった室内をうろうろと動き回る赤ずきんを、ツルギは心配そうに眼で追った。
立っていても座っていても落ち着かず、布団に入っても余計に自分の鼓動をうるさく感じるだけだった。
どうしようもなくなった少年は、布団を蹴り上げ、裸足のまま窓から外に飛び出した。
床でうとうとしていたツルギも、物音に飛び起き、慌てて少年の後を追う。
今の赤ずきんは、いつも以上に何をするかわからない。
日はとうの昔に完全に落ち、辺りは真っ暗だった。
もうすぐ夏が来るというのに、夜の風はまだ冷たい。
寝間着(…といっても、頭巾と靴を脱いだだけの姿なのだが)のまま飛び出したおかげで、頭巾を羽織って来なかったことをすぐに後悔した。
しかし、今はそれどころではない。
火照った頬を、冷たい夜風が撫でる。
少年は森へ向かおうとする自分を必死に押さえつけながら、無理矢理方向を変えた。
午前一時。
アリスは窓を叩く音で目が覚めた。
天井に近い位置にあるベッドから滑り降り、眼鏡をかけて窓を見ると、頭巾をかぶっていない赤ずきんが、血走った眼をして張り付いていた。
…ここは三階である。
壁をよじ登ってここまで来たらしい。
アリスは迷惑そうな顔をして、窓を開けた。
「何の用だ」
「魔女に…、会った…!」
赤ずきんは肩で息をしながら、声を絞り出した。
詳しい状況は分からなかったが、普段ヘラヘラしている赤ずきんが、何かに怯えて興奮していることだけは、明らかだった。
アリスは背後のドアに視線を向けて、今の音で家族が起きたりしていないか確かめ、赤ずきんを窓から部屋に入れた。
赤ずきんは震える声で、森で見た謎の行列と魔女について、アリスに伝えた。
アリスは話を聞き終えると、赤ずきんを冷たい目で睨み、赤ずきんが予想した通り、魔女の手料理を食べたことを強く責め立てた。
しかし、起きてしまったことは、もうどうしようもない。
自分にとって便利な道具である赤ずきんが、使い物にならない状態にあるのは非常に困る。
アリスは仕方なく、赤ずきんを連れて再び魔女の元へ赴き、詳しい原因を探ることにした。
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