森の少女

 いつの間にか指輪の熱は引き、震えも治まっていた。

 黄金色をしていたのは木の葉ではなく、その向こう側にある黄色い花畑だった。

 縁がフリルのようになっている、鐘のような形の黄色い花が、地面いっぱいに咲き乱れ、太陽の日を浴びて輝いていた。

 さっきまで暗い森を歩き回っていた赤ずきんは、その眩しさに思わずたじろいだ。

 花畑の横には畑があり、その奥には可愛らしい小さな家が、一軒建っているのが見えた。


 何か恐ろしいものとの遭遇を期待していた赤ずきんは、目の前の心安らぐような光景に心底がっかりした。

 先程の指輪の異常な反応は何だったのかと、苛立ちながら花畑に侵入し、何の罪も無い花達をめちゃくちゃに蹴散らした。

 千切れた黄色い花弁が、暖かい風に乗って舞い踊る。

 不意に猛烈な眠気が襲い、赤ずきんはぐちゃぐちゃになった花畑の中に倒れ込んだ。


 意識が遠退く中、必死で吠えるツルギの声を聞いたような気がした。







 どれくらいの時間が経っただろうか。

 遠くで楽しそうに吠えるオオカミの声と、近くで笑う少女のような声が聞こえる。

「ワンちゃん、それ!その花取って!…そう、その白い花!」

 オオカミの弾む息が近づいて来る。

「ありがと。これをここにさして……、はい、完成」

 顔の周りに何かがあたる感触がした。

「ほら、可愛い…!」

 くすくすと笑う少女の声が、真上から降ってくる。

 赤ずきんは薄っすらと目を開けた。

 ぼんやりとした視界の中に、見上げるような角度で、オオカミと黒い髪の少女が見えた。

「あ、気が付いた?」

 逆さになった少女が、顔を覗き込む。

 頭の下で何かが少し動くような感じがして、頭の上に柔らかいものがあたる…。

 赤ずきんはハッと目を見開いた。

 赤ずきんが枕にしているものは、少女の膝だった。

 慌てて起き上がり、距離を取ると、頭巾の中から色とりどりの花が、はらはらと落ちた。

「ごめんね。全然起きないから、ちょっと遊んじゃった」

 少女は落ちた花を拾いつつ、ころころ笑った。

 頭巾の中に大量の花を詰め込まれた赤ずきんは、カラフルなたてがみを持つライオンのようだった。

 頭巾の中の花を振り落とし、正体不明の少女を睨み、立ち上がろうとしたが、痺れた足がふらついて、上手く立つことができない。

「あっ!まだ立っちゃダメ!」

 倒れそうになる赤ずきんを、少女が駆け寄って支えた。

 艶やかな長い黒髪が、さらりと赤ずきんの頬を撫でる。

 至近距離で少女の容姿を見た赤ずきんは、細い腕の中で凍り付いた。


 新雪のような白い肌。

 星空を閉じ込めたような、深い青色をした瞳。

 長い睫毛。

 小さくて紅い唇…。

 異性に全く興味の無い赤ずきんでも、思わず息を呑むほどに、その少女は美しかった。

 赤ずきんには、普通ではないその美しさが恐ろしく感じられた。


「君、あの黄色い花畑をめちゃくちゃにしたでしょ。あの花は、睡眠薬の原料になる花なんだよ」

 赤ずきんを両腕で支えたまま、少女は赤ずきんの顔を、悲惨な状態の花畑に向ける。

「君はなんとか助かったけど、普通だったら吸い過ぎると死んじゃうくらい強力なんだから」

 少女は、むっと頬を膨らませて、可愛い目で赤ずきんを睨んだ。


 さっきからおかしい。

 皮膚の真下が焼けるようだ。

 心臓は下から蹴り上げられ続けている。

 目の前のムカつく女に何か言ってやりたいのに、上手く話すことができない。

 ああ、もう!

 心臓が口から出そうだ!

 寝ている間に毒でも盛られたか?

 それとも何かの術をかけられたのか?

 おかしい。

 臆病なツルギが、この女には心を許し切っている。

 おかしい。

 こんな森の中に女の…、しかも子供がいるはずがない。

 異様な容姿に黒いドレス……、コイツは魔女に違いない…!


 いつも楽しんでいる恐怖とは、また違う恐ろしさに、凶悪な問題児は戸惑った。

 赤ずきんは少女の腕を振り解き、よたよたとその場から離れようとしたが、やはり上手く歩けず、再び魔女に捕まってしまった。

「もう、なんで逃げるの!怒ってないから、もう少しここにいてよ」

 横から抱きつくような形で、魔女は顔を覗き込んでくる。

 顔がさらに熱くなるのを感じ、魔女から目を背けると、不思議そうに見上げるツルギと目が合った。

「ね、お昼まだでしょ?良かったら食べていかない?ちょっと作り過ぎちゃって…、困ってたんだよね」

 魔女は有無を言わせず、体が言うことを聞かない赤ずきんを、奥にある小さな家へと連れ込んだ。

 尻尾を振り振り、ツルギも後へと続く。


 その場に残された色とりどりの花達は、赤ずきんを嘲笑うかのように風に揺れた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る