次元の境界
アリスと王が目で追うより速く、赤ずきんは地面の割れ目へと消えた。
「なんと馬鹿な…!」
王は
赤ずきんを心配したツルギが谷に向かって吠えた。
しかしその声は、鋭い風に掻き消されてしまった。
風に全身を斬りつけられながら、谷に挟まった鈴目掛けて急降下する赤ずきんを、突然現れた巨大な猫の顔面が弾き返した。
赤ずきんは「ギャッ」と叫んで、驚いて身を引く王とアリスの足元に転がった。
「ここには入っちゃダ〜メっ!」
妖艶で意地悪な声が谷に響いた。
見ると、
「あれは…公爵夫人の猫ではないか…!」
王は目を丸くして言った。
「チェシャ…、お前は何をどこまで知っている…?」
アリスは眉をひそめ、顔だけのチェシャ猫に問いかける。
チェシャ猫は、意味ありげに眼をそらしてクスクスと笑い、楽しそうに宙を舞った。
「これは【次元の境界】だよ〜ん☆入ったら別の世界に飛ばされちゃうんだから!」
「だったら、おれ等の世界にも繋がってるんじゃねーのか?」
不満そうに起き上がった赤ずきんも、チェシャに問う。
「キミ達の世界とこの不思議の国は、おんなじ次元よん☆この境界が繋がってるのは、もっと別の世界…!」
チェシャは大きな顔を、ぐっと赤ずきんに近付けた。
「【創造主】と【観賞者】の住まう世界…!」
赤ずきんは意味が分からず、アリスの方を見た。
アリスも初めて聞く存在の名に、眉をひそめた。
「この谷から現れた【始まりの逆】は、その【創造主】と【観賞者】のどちらかだと言うのか…?」
「さあね〜?どっちでもないんじゃな〜い?」
チェシャは曖昧な返事をして再び谷に潜り、口に鈴を咥えて戻って来た。
チェシャの口元で、大きな鈴がコロコロ鳴いた。
「はい☆これが欲しかったんでしょお?もう谷に入っちゃダメよ!」
チェシャは鈴を赤ずきんにペッと投げ付け、クスクス笑った。
自分の膝丈ほどもある鈴に押し潰された赤ずきんは、悪態をついて腹の上の大きな鈴を押し退けようとしたが、重くて動かせない。
「なぜお前は俺達を谷から遠ざける。俺達が谷に入るとどうなる?」
もがく赤ずきんを無視して、アリスはチェシャに問い続ける。
チェシャは笑うのを止め、真剣な眼差しをアリスに向けた。
「別次元に辿り着けずに、存在が消える…。キミ達は【創造主】と【観賞者】の世界に行くことはできない」
その瞬間、赤ずきんを押し潰している鈴が金色の光を放ち、その光はあたり一帯を飲み込んだ。
激しい光に包まれ、赤ずきん達は堪らず目を瞑った。
目を開けると、苔むした森の中だった。
二人と一匹は、大きな窪みの中で寝そべっていた。
赤ずきんが起き上がると、腹の上に乗っていた小さな鈴が、コロリと音を立てて落ちた。
アリスが懐中時計を確認すると、針が止まっていた。
どうやら元の世界に戻って来たらしい。
二人は顔を見合わせ、状況を確認し合った。
二人が同じ夢を見ていたとするならば、気絶する前に穴に投げ入れた鈴が、赤ずきんの腹の上にあったことへの説明が付かない。
赤ずきん達が落ちたはずの深くて大きな穴は、どこにも見当たらなかったが、アリスの懐には、女中ウサギの家で入手したクッキーが収まっていた。
さらに、空腹だったはずのツルギの腹は満たされ、口の周りには不思議の国で食べた鳥達の血がこびり付いて残っており、赤ずきんの身体は、【次元の境界】の風でズタズタにされたままだった。
確かに二人と一匹は気絶していたが、その身で不思議の国へ行ったのも確かだった。
辺りに二人を穴に突き落とした犯人の気配は無かった。
陽が傾き、森の中は薄暗いオレンジ色に染まっている。
赤ずきんとアリスは、数々の謎を抱えたまま、それぞれの家に帰宅することにした。
森の見張り達は相変わらず見当たらなかったので、何事も無く森から出ることができた。
「見慣れない人物を見かけたらすぐに報告しろ」
別れ際、アリスは既に背中を向けて歩き出している赤ずきんに言った。
「こっちに向こうの住民が紛れ込んでる可能性がある」
「あいよ」
赤ずきんは適当に返事をして、ツルギと共に宵闇に消えていった。
アリスは黒く染まりつつある森を一度だけ振り返り、足早に家へと向かった。
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