王の元へ

 帽子屋と三月ウサギが地面を叩く度、散らばったカラフルな砂糖菓子が芝生の上で踊る。

 赤ずきんは笑い転げるイカれた二人をその場に放置して、宙に浮くヤマネを連れてアリスの元に戻った。


 ヤマネは茂みに身を隠していたアリスを目にすると、「よかった…」と小さく呟いた。

 アリスも、あの二人の扱いとは違い、ヤマネに対して嫌な顔はしなかった。

 アリスには、この国で信用できる人物とそうでない人物が、わかっているようだ。


「アリスくん…、そろそろ来てくれるだろうと思ってたよ」

 先刻の女中ウサギや、安堵の表情を浮かべるこのヤマネを見るに、この国のまともな住人にとってアリスは、救世主のような存在であることがわかる。

「俺がいない間、この国で何が起きたのか説明しろ」

 嫌な顔こそしないものの、アリスの態度は相変わらず冷たかった。

 そんな冷たいアリスの催促に、ヤマネはゆっくりと頷き、しっかりした声で話し始めた。


「数日前、♥︎の王様が【始まりの逆】を捕まえた。【始まりの逆】が何なのか、どこで見つけたのかはわからないけど、あの王様が捕まえたんだ」

 ♥︎の王は、女王が手当たり次第に処刑しようとする罪の無い罪人達を、裏でこっそり逃がすような、数少ない正しい心の持ち主だった。

 その王が拘束する存在だということは、それほど危険なものであるに違いなかった。

「その噂が立ってしばらくは、なんともなかったんだけど…、三日前辺りからどうも様子が変なんだ。そこら中を練り歩いてた女王様の行列が全然姿を見せなくなったし、王様にいつものように会いに行くことができなくなってて、女中のウサギが毎日毎日、何度も同じ道を行ったり来たりしてるし…」

「やはりな」とアリスは溜め息をついた。

「こりゃ三日前になんか起こったな!」と赤ずきんはヘラヘラ笑う。

 ヤマネは眠い目をこすって話を続けた。

「王様に会いに行くには、『王様に会いたくない』って強く念じながら歩くといいよ。王様は今、たぶん何かから逃げてて、自分に用がある人全てを撥ね付けてるからね」


 二人と一匹はヤマネと別れ、再びハリボテの森の中を歩き始めた。

 ヤマネの言うとおり、王に会わないよう念じながら歩くと、ヘンテコな歌が響く胡散臭い森は消え、すぐに黒い石畳の道に出た。


 松明が街灯のように立ち並び、鉛のような暗くて重たい空を照らす。

 やがて現れた檻のような大きな門の奥に、トランプの兵隊に囲まれた♥︎の王が立っているのが見えた。

 アリスを先頭に、一行が門に近づくと、二人の門番が槍で行く手を塞いだ。

「王様に何の用だ」

 ♣︎の2が凄み、♣︎の3は首を振る。

「引き返せ」


「良い。通せ」

 壁も天井も無い城の中から、消え入るような、しかしはっきりと聞こえる王の声がした。

 ♣︎の2と3は、驚いて王を振り返り、困惑して顔を見合わせた。

「通せと言っておる。其奴は私の客人だ」

 二人の兵士は、響く王の声に戸惑いつつも槍を下ろし、門を開けた。

 門を潜った二人と一匹は、椅子に座る事もしない王と対峙した。

 王の表情は暗く、絶望と諦めが伝わって来る。

「よく来た、アリスよ…。ここに辿り着いたということは、既にこの国の…この世界の異変に気が付いておるな?」

 女中ウサギやヤマネのように安堵の表情を浮かべることもなく、何かに怯える王は、低くて暗い声でアリスに語りかけた。

「この三日間で何があった。お前が捕らえた【始まりの逆】とは何だ」

 アリスは王に対しても冷たい態度を改めず、予定通りの質問を浴びせた。

 王はゆっくり息を吐き出し、今までの経緯を語り出した。


「五日前…私がいつものように、妻と連れ立って国中を巡っておる時だった。いつも見ておる石畳の道で、これまで見た事のない、深い谷のように地面がパックリ割れた場所を見つけた」

 そう言って王は、後ろを向いて足元を指差した。

「それが、ここだ」

 赤ずきん達が王の横に立ち、足元を覗くと、確かに深く地面が裂けていた。

 谷底は白く輝いていてよく見えず、冷たい風が頬を殴りつけてくる。

 落ちれば、生きて帰っては来れないだろう。

 身震いして後ずさるツルギの隣で、落ちた時の惨事を想像した赤ずきんは凶悪な笑みをこぼした。

 暗い顔で谷底を見つめたまま、王は続ける。

「ここに奴はいた」


 一瞬、全ての音が止んだような気がした。

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