女中ウサギ
ずぶ濡れの赤ずきんとアリスは、白ウサギの家に招き入れられ、空腹なオオカミは外に締め出された。
木の香り漂う、日当たりの良いリビング。
部屋は隅々まで丁寧に掃除され、至る所ににドライフラワーが飾られている。
白ウサギは二人に手触りの良いタオルを手渡し、淹れたての紅茶と手作りクッキーでもてなした。
いまいち状況が飲み込めない赤ずきんは、タオルで髪の水気をとりつつ、目の前に置かれた可愛らしい花柄のティーカップを、怪訝そうに覗き込んだ。
アリスは側にある棚の引き出しから勝手に紙袋を取り出し、出されたクッキーを、赤ずきんの前に置かれたものも含め全てその中に回収し、懐に仕舞った。
赤ずきんはアリスの不可解な行動に目を見張ったが、別段ウサギの作ったクッキーに未練も無かったため、ただ黙ってそれを見ていた。
「アリス様のご来訪を、ずっとお待ちしておりました」
アリスの向かいに座った白ウサギが、紅茶の入ったティーカップで前脚を温めながら、おずおずと切り出した。
「三日ほど前から、私は仕事に行くことができておりません。家を出て女王様の元へ走っても、いつの間にか家の前に戻されてしまうのです。今日もこうして身なりを整え、職場へ向かおうとしていたのですが、やはりダメでした。このままでは、私は首を
白ウサギは両前脚で顔を覆い、シュンと、立っていた長い耳を下げた。
「ああ、アリス様。何かとお詳しいアリス様なら、今この国で何が起こっているのか、ご存知ではありませんか?」
白ウサギの潤んだ大きな瞳に映ったアリスは、いつもの冷たい表情のまま、首を横に振った。
「俺達はまだここに来たばかりだ。今のところは何も分からん」
アリスの言葉に肩を落とした白ウサギは、ふと赤ずきんの右手の赤黒い指輪を見て凍りついた。
「アリス様…そちらの方は…?」
急に自分を見て震え出したウサギに、赤ずきんはニヤついた。
「連れだ。同じ場所で同時に気絶したらしい」
白ウサギは表情を強張らせ、赤ずきんの指輪を見つめたまま、震える声で呟いた。
「始まりの逆…」
「何…?」
聞き覚えのある単語に、アリスは眉を潜めた。
「牢番の兵士も同じ事を言っていたな…。お前は地下にある檻について、何か知っているのか?」
「いいえ」とウサギは激しく首を振る。
「詳しい事は存じ上げません。ただ…、王様が【始まりの逆】をお捕らえになったと、噂を耳にしただけなのです…。お連れ様のその指輪を見て、直感的にそう感じただけなのです。…ああ!とにかくその指輪は、とても嫌な感じがいたします!」
「おそらく…その【始まりの逆】は逃走した。穴を掘って、俺達の世界へ。俺達は、その穴からここに来た。俺達が見た限り、檻の中には何もいなかった」
震えるウサギは、黙ってアリスの話を聞いた。
「牢番が俺達を見て【始まりの逆】と判断した理由が、この指輪の存在だとしたら…」
「おれが拾ったコイツは、【始まりの逆】と関係あるってことか?」
赤ずきんが指輪の外れなくなった右手をプラプラさせて、アリスと顔を見合わせ、ニヤリとした。
「とにかく、今は【始まりの逆】の正体が分からない。一度王に会って、詳しい話を聞くべきだ」
アリスは白ウサギの不安げな表情を見て、付け加えた。
「…王に会うことができれば、だが」
赤ずきんとアリスは、白ウサギの家を出た。
白ウサギも同行したがったが、ツルギがいることもあり、アリスは解決するまで家にいるよう押し留めた。
白ウサギはまるで恋人を見送るかのような表情で、アリスの姿が見えなくなるまで玄関前に立ち続けた。
問題のツルギは付近に見当たらず、赤ずきんが辺りを捜索していると、丘の上から悲鳴が聞こえた。
見ると、巨大な花の周りを走り回っていたおかしな鳥達が、飢えたオオカミに追いかけられていた。
散り散りになって逃げれば良いものを、なぜかその場でそのまま、花の周りをぐるぐると逃げ回っている。
辺りには色とりどりの羽が散らばり、血が飛び散っていた。
どうやら既に一羽ほど食べてしまったようだ。
「急げ!急げ!急げ急げ急げ!」
ツルギが絶叫するドードー鳥を押し倒し、息の根を止めたところで、赤ずきん達が丘の上に到着した。
初めて食べる絶滅種の味に、ツルギは夢中になって貪っている。
「よォ、臆病オオカミ。腹は満たされたかよ?」
赤ずきんに声をかけられたツルギは、満足そうに血塗れの顔を上げ、嬉しそうに吠えた。
アリスは目の前の惨状に表情一つ変えず、ただ「行くぞ」とだけ言って歩き出した。
辿り着けるかどうかも分からない、♥︎の王のいる場所を目指して…。
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