権力を持たぬ王
道の真ん中に立っているそれは、王様のような格好をしていて、二人と一匹が出て来た檻の方を、焦点の定まらない眼で見ていた。
手に持った蝋燭に照らされて、恐怖に強張った顔だけが浮かび上がっているように見える。
「おい、なんだアイツ」
赤ずきんが蝋燭を持った王様を顎でしゃくってアリスに訊ねた。
「初めて見るが…、おそらくトランプ兵の♣︎のKだ…」
アリスの言う通り、王様の胸元には♣︎のマークが付いていた。
「
腑に落ちない赤ずきんに、アリスが解説する。
「ここでは♥︎のカードしか権力を持たない。王だろうが妃だろうが、♥︎以外は全て
トランプ兵が立っている…となるとここは、♥︎の女王の支配下か…。
しかし…、あんなイカれた奴らが、何かを厳重に隔離できるとは思えない。
アリスが思案していると、♣︎のKが不意に口を開いた。
「そこにおりますでしょうか。そこにおられますでしょうか。始まりの逆の方。そこにおりますでしょうか。そこにおられますでしょうか…」
赤ずきんはアリスに向かって首を傾げた。
「何言ってんだ、アイツ…」
「さあな」
基本、不思議の国の住人達の相手をまともにしないアリスは、♣︎のKを無視して歩き出そうとした。
すると、権力を持たない王は横を通過しようとする二人と一匹に気付いて眼を見開き、金切り声を上げた。
「ああ、始まりの逆の方!始まりの逆の方!お戻り下さい!お戻り下さい!あー!あー!あー!あー!」
めんどくさそうな顔で二人が絶叫する♣︎のKを見ていると、ゴボゴボと水の湧き出る音を聞いたツルギが、前方に向かって激しく吠えたてた。
二人が視線を前に戻した瞬間、進行方向から大量の水が勢いよく流れ込んで来た。
水は二人と一匹を飲み込み、一気に檻の中へと連れ戻した。
♣︎のKは水に流されることなく、強張った表情で蝋燭を持ったまま、その場に立ち尽くした。
水かさはどんどん増して天井へと到達し、穴の中を逆流し、クジラの潮吹きの如く二人と一匹を地上へと噴射した。
赤ずきん達が降り立ったその場所は、元いたおとぎの森の中ではなく、所々にタイルや瓦が敷かれた丘の上だった。
アリスの懐中時計は、止まることなく針を進めている。
丘のてっぺんには大きな木のような花が咲いており、その周りをぐるぐると鳥達が走り回っていた。
「急げ!急げ!急いで乾かせ!」
ドードー鳥のマヌケな掛け声に合わせて、タカやオウムやインコ達が、よたよたバタバタと翼と脚を忙しなく動かしている。
「おい、なんだアイツらは!」
赤ずきんがおかしな鳥達を指差して訊ねるも、アリスは「構うな」とだけ言って先に進み始めた。
服と毛皮はぐっしょりと濡れて、かなり重たく、身体も冷えてきた。
赤ずきんとアリスは、この状況を楽しむ余裕があったが、ツルギは絶え間なく続く理解の追い付かない展開に、相当参っていた。
今朝食べたソーセージも、とうの昔に腹の底に溶けて消えていた。
先程飲んだ怪しい薬品も、腹を満たすには少な過ぎた。
巨大な花の周りをぐるぐる回る美味しそうな鳥達を横目に見ながら、よろよろと進む。
《ああ…、何でもいいから腹一杯食いたい…》
朦朧とするツルギの視界の端に、メイド服を着た白いウサギが映った。
白ウサギは丘の側に建つ小さな家の前を、うろうろと歩き回っている。
空腹に耐えかねたツルギは、白ウサギに飛びかかり、前脚の爪にメイド服のフリルを引っ掛けて地面に押さえつけた。
突然オオカミに押し倒されたウサギは「きゃあ」と悲鳴を上げ、か弱い力でバタバタと暴れた。
「ああ、どうか…!どうかお助けくださいませ!」
泣きべそをかきながら必死で命乞いをする白ウサギに向かって大口を開けるツルギを、アリスが横から殴り飛ばした。
「コイツは食うな」
ツルギは地面に転がったままの姿勢で、アリスの顔をまじまじと見つめた。
自由になった白ウサギは、素早く起き上がり、アリスの足にひしと抱き付いた。
「ああ、アリス様…!必ず来てくださると信じておりました…!」
しゃがんで白ウサギの涙を指で拭うアリスを、赤ずきんとツルギは幽霊でも見たような表情で、呆然と見ていた。
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