地の底で

 アリスは元より表情の乏しい子供だった。

 そんな彼が唯一笑顔を見せるのは、恐怖に満ちた謎に出くわした時だけだった。


 アリスのおぞましい笑みを久しぶりに見た赤ずきんは、つられてニヤリとしたが、すぐに真顔に戻り、アリスに詰め寄った。

「おれ等は牢屋の中に落とされたってことかよ」

「そうなるな」

 アリスも真顔に戻り、内ポケットから懐中時計を取り出し、耳に当てた。

 暗くて針がよく見えず、時間は分からなかったが、確かにカチコチと音を立てて時計は動いていた。


 この壊れた懐中時計はアリスが今より幼い頃に拾ったもので、不思議の国でしか針を進めない特殊なものだった。

 自分達がまだ夢の中にいることを確認したアリスは、大きく穴の空いた天井を見上げた。

 天井は高く、落ちて来た穴から元の場所へ戻ることはできそうもない。


 地上の穴の縁にあった手のような形、穴の内側に付いていた無数の歯の跡…、身体に人間のような部分を持った、どこか人間ではない【何か】がここに厳重に隔離されていたと考えられる。

 そしてその【何か】は、歯で掘った穴を通り、不思議の国から現実世界へと解き放たれた。


 この場所は不思議の国の、どの辺りなのだろうか。

 不思議の国を幾度か出入りしていたアリスも、この場所には来たことがなかった。


 遠くでポタポタと水の落ちる音がする。

 どこかで水が流れているのだろうか。


 牢の中をよく見ると、引き千切られた……いや、腐敗して落ちたような鎖が、壁から何本も伸びていた。

 幽閉されていた人間のような【何か】は、身体を繋がれていたようだ。


「おれ等を突き落としたのは、おれが森で見た黒い男だ。声が同じだった。間違いねぇ」

 天井の大穴を睨みながら、赤ずきんはどこか楽しそうにニヤついた。

「落ちる直前、一瞬だが俺も奴の顔を見た。確かに黒い布を纏った薄気味悪い男だった」

 アリスは、この牢から這い出た【何か】の正体がその男ではないかと、落とされた直後から感じていたが、大した理由は無く、確証もなかった。


 とにかくこの檻から出なければ、話は進まない。

「…で?どうする?この檻。ツルギでぶった斬るか?」

 赤ずきんは鉄格子に巻かれた鎖に片足を掛けて揺らし、アリスに訊ねた。

「…いや、この檻は残す。後で使うことになるかもしれん」

 そう言ってアリスは、内ポケットから液体の入った小瓶を二本取り出し、一本を赤ずきんに投げ渡した。

「半分ツルギに飲ませて、残りはお前が飲め」

「うっげ!出やがったな、怪しい薬品…!」

 小瓶を受け取った赤ずきんは、顔をしかめつつもコルクを抜いた。

 首を傾げて見上げるツルギの口を無理矢理こじ開け、小瓶の中の液体を半分だけ流し込む。

 初めて口にする、ミントのような爽快感のある柑橘系の味に、ツルギは眼をしばたかせた。

 赤ずきんが残りの半分を飲み終えるのを見届けると、アリスも自分の口に小瓶の液体を流し込んだ。


 次の瞬間、景色が揺らぎ、たちまち二人と一匹の背は縮み、親指ほどの大きさになった。

 ツルギは状況が飲み込めず、錆び付いた巨大な鎖を見て狼狽うろたえ、大きくなった石畳の溝に足を引っ掛けて転んだ。


 この液体は、アリスが初めて不思議の国に訪れた際に飲んだものであり、それを研究して自作した、身体を縮めるドリンク薬である。



 二人と一匹は鉄格子と鎖の間を潜り抜け、檻の外に出た。

 牢屋の中と変わらず暗く、石畳が続いていたが、道の先に弱々しい灯りが見えた。

 赤ずきんは移動に時間がかかるなどの理由で、すぐに元の大きさに戻りたがったが、アリスは「このサイズの方が都合が良い」と言って聞かなかった。


 しばらく大きな石畳の上を歩いて行くと、しきりに匂いを嗅いでいたツルギが足を止め、遠慮がちに吠えた。

 ツルギが吠えた先を見ると、小さくなった赤ずきん達と同サイズの何かが、弱い光を放ちながら広い道の真ん中に立っていた。

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