落とし穴

 二人は一度それぞれの家に帰り、おとぎの森付近で落ち合った。

 アリスは赤ずきんが連れて来た石鹸の香りがする弱々しいイヌ科の動物を見て、怪訝そうな顔をした。

「何だその犬は…。オオカミなのか…?」

「コイツがツルギだ」

 赤ずきんは自慢げにツルギの背中を叩く。

 アリスに見下すような冷たい視線を浴びせられたツルギは、居心地悪そうにもぞもぞと前脚を動かした後、しゅんと耳を垂れた。

「何で連れて来た」

 アリスの冷たい問いかけに、赤ずきんは笑って「見てろ」と言い、ツルギの尻尾を掴んだ。

 赤ずきんが唱えた呪文によって破裂し、糸状になって剣の形を紡いでいくオオカミを見たアリスは、息を呑んだ。

「禁忌魔術か…?」

 出来上がった銀狼の大剣を見せびらかしながら、赤ずきんは得意げに頷く。

「今まで禁忌魔術が成功したことなんてなかったはずだが…、…その指輪が関与しているな?」

 アリスは呪文を唱えた際に指輪が黒い光を発したのを見逃さなかった。

 怪しい指輪を警戒しているアリスは、軽率な赤ずきんに厳しい目を向けた。

「多分な」と赤ずきんは指輪を眺める。

「禁忌魔術にはそれなりの代償があるはずだ。使用した動物は死ぬのか?」

 アリスの問いに、赤ずきんは大剣を真横に放り投げて答えた。

 赤ずきんの手から離れた大剣は、みるみるうちにオオカミの姿に戻って着地した。

「この通り無傷だ」

 赤ずきんはまるで商品を紹介する商人の如く、キョトンとするツルギの頭をトントン叩く。

「おれの後をついて来る使い勝手のいい武器だ。…オオカミとしては腰抜けだけどな」

「妙だな…」

 アリスは術の代償が確認できないことにまだ納得がいっていないようだったが、とりあえず目的である森を目指すことにした。




 茂みに隠れ、森の入り口を覗くと、昨日と同じく見張り番の姿は一人も確認できなかった。

 茂みから出て辺りを見渡しても、やはりどこにも…誰一人としていない。

「ほらな?」と赤ずきんが両手を広げて見せると、アリスは眉間にしわを寄せた。

「何が起きているんだ…?」


 二人と一匹は森の入り口に立ち、中を覗き込む。

「例の男はいるか?」

 アリスよりも視力の良い赤ずきんは、昨日木の後ろで見かけた黒い男を探す。

「いないな」

 アリスが森の中に立ち入るかどうか思案していると、二人の足元をメイド服を着た白いウサギが駆け抜けていった。

 ウサギは一旦立ち止まり、アリスの顔をチラと見てから、またぴょこぴょこと駆け出し、森の奥へと消えていく。

 まるでアリスに、ついて来るよう促すように…。

 アリスは「またか…」と自分の額に手のひらを押し当て、しばらく強く眼を瞑った。

「なんだ?どうかしたのか?」

 アリスの異変に気が付いた赤ずきんが声をかけると、アリスは眼を開け、首を振った。

「なんでもない」

 アリスの予想通り、赤ずきんはウサギが通過したことに気が付いていなかった。

「中に入るぞ」

 アリスは赤ずきんと共に、ウサギが消えていった先を目指して慎重に進み始めた。


 静かで湿った森の中をしばらく進むと、周りと比べて長い草の生えた場所に出た。

 近くに生えた木々のほとんどが苔に覆われ、緑色に染まっている。

 全体が真緑に見えるその空間をアリスが見渡していると、奥まで進んだ赤ずきんが何かを発見した。

「なんだこの穴」

 長い草の中にしゃがみ込む赤ずきんの足元には、何かが這い出たような穴が空いていた。

「土の固まり具合からして、最近掘られたもののようだな…。ウサギにしては穴が大き過ぎる。それに…」

 穴を見たアリスは考察しながら、穴の縁に二つ付いている、何かの足跡のようなものを指差した。

「この跡、人間の手の形に見えないか…?」

「あ!?人間が地面から出て来た、ってのかよ!こんな森の奥で!?」

 赤ずきんがおどけて声を上げる。

「人間の形をした別の何かかもしれない…」

 アリスは懐中から鈴を取り出し、穴に投げ入れた。

 鈴は何の音も立てずに穴の奥へと消えた。

 底に着いた音も聞こえない。

「……かなり深いな…」

 二人と一匹は顔を見合わせ、再び穴を覗き込む。


「穴が気になるお年頃かな?」

 突然後ろから声がした。

 後ろを振り向く前に二人は何者かに背中を押され、穴の上につんのめった。

 まだ柔らかい穴の縁に手を突くと、地面が割れ落ち、小さかった穴が一気に広がった。

 根元が露わになった付近の木々を巻き込んで、長い草と土と二人と一匹は、深い穴へと堕ちていった。


 堕ちる寸前、アリスはこちらを見て微笑む黒い男を見た気がした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る