禁忌魔術
オオカミは駆け抜ける。
今まで逃げる事にしか使ってこなかった脚力で。
今まで出した事のないスピードで。
ツルギは自分がなぜ近寄りたくもないトロルに向かって走っているのか分からなかった。
赤ずきんがどうなろうが、自分には関係の無い事のはずだった。
…ついさっきまでは。
幼い頃に見た二つの赤色の記憶がそうさせるのか、赤ずきんが死ぬと考えただけで居ても立っても居られなくなった。
あの凶悪な少年が死ぬ事だけは耐えられなかった。
ツルギは迷う事なく、赤ずきんを握り潰そうとするトロルの右足首の肉を食い千切った。
先程赤ずきんが付けた傷から大きく深く横に裂ける。
トロルは絶叫し、膝を突いて身悶えた。
傷口からヌメヌメとした血がダラダラと流れ出る。
捕らえられていた赤ずきんは、激痛によって開いた太い指の間から滑り落ちた。
さっきまで赤ずきんのいた右手で右足首の傷を押さえる長髪トロルに、坊主頭のトロルが駆け寄る。
「大丈夫か兄ちゃ……ぎゃあッ!?」
兄の心配をする間も無く、弟は自分の背中に熱い何かが当たるのを感じた。
驚いて振り返ると、赤ずきんが紙飛行機を飛ばすのに使用していた背の高い木が、炎を纏った葉を散らしながら赤々と燃えている。
「どうなってやがんだ!?」
赤ずきんは
トロル達は赤ずきんが木から落ちる直前、木の葉にマッチで火をつけたことに気付いていなかった。
火は木から木へと燃え移り、黒い森が赤く染まってゆく。
ツルギは目の前に広がる火の海に驚きつつ、赤ずきんに駆け寄った。
口からトロルの血を垂らすツルギを見て、赤ずきんはニンマリした。
「上出来だ、臆病オオカミ!」
ツルギは以前もこうして赤ずきんに褒められたことがあったような気がしたが、やはり上手く思い出せなかった。
貯蔵庫は燃やされた。
外から入り込んだ小さなニンゲンの子供によって。
トロル達は、さっきまでの小さな生き物を弄ぶような感覚ではなく、台所に発生した害虫と対峙した時のような感情を赤ずきんに向けていた。
いよいよ身の安全が保障できなくなったツルギは、確認のため、もう一度赤ずきんの顔を見た。
案の定、赤ずきんは凶悪な笑みを浮かべてトロル達の方を見ている。
本気の殺意に満ちたトロルを前にしても尚、赤ずきんに逃げるという考えは無いようだった。
諦めて戦う覚悟を(…ここで死ぬ覚悟も)決めたツルギに、赤ずきんが言い放った。
「おいツルギ、おれの実験に付き合え…!」
赤ずきんは戸惑うツルギの尻尾の根元を掴み、昼間覚えたばかりの呪文を唱え始めた。
「マージ イニクバガウォ ウィコニアテルフ…!!」
唱え終わると同時に、人差し指の指輪が黒い光を発し、ツルギの身体が弾け飛んだ。
憤怒の形相で迫って来ていたトロル達は、赤ずきんの手によって一瞬でぐちゃぐちゃのバラバラにされたオオカミを見てギョッとし、足を止めた。
赤ずきんは右手に残ったツルギの尻尾を掴んだまま、足元に散らばった哀れな肉塊を見つめた。
赤ずきんはこれまで数々の禁忌魔術を試してきたが、どれも失敗に終わっており、今回も失敗したように思えた。
しかし次の瞬間、返り血で赤く染まった指輪がガタガタと震え出し、ツルギの肉や骨が糸状になって赤ずきんの手元に集まって来た。
集まった糸は、まるで縫い物でもするかのように、ツルギの身体を再形成してゆく。
それは元のオオカミの形ではなく、湾曲した大きなノコギリのような形をしていた。
赤ずきんは出来上がった自分の背丈ほどもある大剣を振り回し、嬉々として声を上げた。
「上出来だツルギ!!!」
大剣になったオオカミは、意識を取り戻し、心の中で絶叫した。
《オレの身体が…剣になっちまったぁぁぁぁぁぁ!?》
「おい、じっとしてろ!」
赤ずきんの肘を、柄の尻尾がベシベシと叩く。
赤ずきんの魔術の扱いが不慣れな為か、柄の代わりになっている尻尾だけは自由に動かせるようだった。
呆気にとられていたトロル達は、赤ずきんが新たな武器を手に入れたことに気が付き、赤ずきんが動く前に捕らえようと慌てて向かって来た。
赤ずきんは暴れる尻尾を両手で押さえつけ、迫り来る二体のトロルを、出来たての生きた大剣で薙ぎ払った。
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