額に剣を持つ孤狼

 形勢逆転にも程がある。

 コケの生えた木の根元で仰向けになって涙目で震えるオオカミと、それを見下すように立つ人間の子供。


 赤ずきんがこれ以上自分に暴力を振るわないよう念を押すため、オオカミはもう一度「きゅーん…」と鳴いた。

 それと同時にオオカミの腹が鳴る。


 誰もが恐れる森のハンターの、目も当てられないような情け無い姿に思わずため息が出る。


 赤ずきんは担いでいた籠に手を突っ込み、中のドライソーセージを一本引きずり出した。

「オマエ、それでもオオカミかよ」

 そう言ってドライソーセージを悲惨なオオカミの顔に投げつけてやる。

 さっきまで殺意の塊だった恐ろしい子供の突然の優しさに面食らったオオカミは、顔にソーセージを引っ掛けたまましばらく呆然としていたが、空腹に負けてがっつき始めた。

《この人間の子供は、いったい何を考えてやがるんだ…?》

 そんなことを考えながらソーセージを食べ終え、オオカミが顔を上げると、おぞましい笑みを浮かべた赤ずきんがしゃがんでこちらを見ていた。


 オオカミはゾッとした。

《まさか、毒を盛られたのか…!?》


 ……そうだとしたら、もう遅い。


 このオオカミは以前、子豚の三姉妹によって釜茹でにされたり、母ヤギによって腹に石を詰められたりしたこともあったが、なんとかここまで生き延びてきた。

 しかし、どういうわけか今まで経験したどんな酷い仕打ちよりも、目の前でニタニタと笑うこの子供の存在の方が恐ろしく感じられた。


 赤ずきんの首元に括り付けてある動物の牙のようなものからは、悲しくて懐かしい匂いがした。


 幼き頃の凄惨な記憶が、脳の奥でチラついては消える。


《コイツ…、この赤色…、前にどこかで会った気がする》

 オオカミが記憶の真相に辿り着くより先に、赤ずきんがオオカミの額に触れた。

 恐怖で目を閉じ、硬直するオオカミの額の模様を、親指で撫でながら赤ずきんは呟いた。

「この剣みたいな模様…、オマエ…【ツルギ】か?」


【ツルギ】という名に聞き覚えはあったが、いまいちよく思い出せないオオカミは、困った表情で首を傾げた。


 赤ずきんは何か考えた後、ニッと笑って再び籠に手を突っ込んでソーセージをもう一本取り出し、幼い頃【ツルギ】と名付けたオオカミに投げつけた。

「それやるから、しばらくおれに付き合え…!」

 ここ最近まともな食事にありつけていなかった腹減りオオカミは、他に生きる道が無いようにも思えたので、しかたなく恐怖と危険の味がするソーセージを噛んだ。


 ツルギが二本目のソーセージを食べ終えたところで、赤ずきんはツルギに籠の取っ手を咥えさせて言った。

「ババアん家まで運んだら、ソーセージもう一本やる」


 大人の雄オオカミとはいえ、葡萄酒入りの瓶一本とラグビーボール大のチーズの塊、ドライソーセージ十数本の入った籠を持つのは重労働であった。

 咥えた重い籠を一度は下ろしてしまったツルギだったが、赤ずきんの表情に恐れおののき、再び咥え直して幼い暴君の後をついて行った。


 しばらく森を進んだ一人と一匹は、地面が黒ずんだ湿った場所に出た。

 今まで歩いて来たおとぎの森とは明らかに違う空気が漂うその地点から先は、別の森が広がっているようだった。

 目の前に広がる新たな黒い森に、赤ずきんは興味をそそられた。


 赤ずきんが足を踏み出そうとすると、ツルギは足元に籠を置き、赤ずきんに向かって弱々しく吠えた。

 臆病なオオカミは、振り返った赤ずきんに《これ以上先には進むな》と首を激しく横に振ったが、案の定聞き入れてもらえず、震える尻をたたかれた。

「オマエが怖がるってことは、おれにとっては面白ぇことがこの先にあるってことだな?」

 赤ずきんは楽しそうにヘラヘラ笑いながら「行くぞ」とツルギの尻を再び叩く。

 ツルギは《こんなことならソーセージなんて食べなきゃよかった》と後悔しながら震える腰を必死で持ち上げ、重たい籠を咥えて、何も知らない冒険者と共に歩き出した。


 黒い森の正体を知るオオカミの胃の中で、二本の冷たいドライソーセージが重たく溶けていった。

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