変わらない雪の中で

母に捧げる


変わらない雪の中で

         森川 めだか


グレービーソース


 沖縄ではお盆の時期に子供たちが家々を回って歩くのを「いからびる」という。

その日も僕はいつものように泣いていた。家族で子供たちと合流するために歩いている道で、何が嫌だったのか一人になるのが嫌だったのか、サヨギと会うのが嫌だったのか、泣きながら家族の後を歩いていた。

母は時折、振り返り、父は笑って前を行き、兄も笑って僕を見ていた。

路端でアイスミルク屋が座っていた。沖縄では屋台みたいな物を引いて回り売りするのが基本だ。

僕は水色のにした。

それから、「いってらっしゃい」

僕だけ、小さな子供たちだけでオジー、オバーを練り歩くんだ。サヨギは親類の女の子。

僕のことイジめるから嫌いだ。サヨギは僕のこと、カズって呼ぶ。カズ、カズって。

オジー、オバーは縁側で待っていて、子供たちが来ると喜ぶんだ。

何かくれるっていう訳じゃない、子供は福だからいからびるがあるんだけど、そんなこと小さな子供には分からない。

柔らかな中間色の中をいくつかの小さなグループに分かれて訪ね歩く。僕はサヨギと一緒で、サヨギは僕よりちょっと背が高い。

僕は泣いたばかりだから石けりしながら行ったよ。空には点ほどの小さい月があった。

サヨギは僕のことからかって泣かせることを趣味としている。女の子って意地悪だね。

その日も僕は分かってたからあんまり話さないようにしてたんだ。

でもサヨギは僕の横にいて「あんた泣いたでしょ」とか色々、工夫してた。

オジー、オバーの家につくとサヨギはいい子になるんだ。ズルいよね。

オジーは三線を持ってて月に歌う。しわくちゃになったオバーは縁側に座っていて子供たちが来ると手を合わせて拝むんだ。

古い人は「いきがえる」って言う。いきがえるがいからびる、沖縄人の言葉は本土の人には珍しいだろう。

この日のことや世間話なんかして、何でお盆なのか分からないけど、一通り挨拶が済んだらまた次のオジー、オバーの家に向かう。

サヨギはいい子から離れてまた僕を泣かせにかかる。泣かせやすいんだ。

「・・んだ」

「何て言った? カズ」

僕はそれっきり黙ってしまう。口じゃ勝てっこない。

黄昏は優しい色してるから暑さも落ち着いて夕風が涼しい。

不思議といからびる子供たちの他には道に人はいない。サヨギは大人の前ではいい子だから待っていたとばかりに僕をイビるんだ。

普段は親戚の集まりとか、学年も違うし、泣いてる僕と歩きたいのかなっていうと違うんだ、泣いてる僕をオジー、オバーに見せたいんだ。

自分は知らんぷりする。泣いてる子供を見るとオジーやオバーなんかは喜ぶからね。僕は一度泣いたらなかなか泣きやまないんだ。

僕はサヨギに泣かされたとも言えないよ。泣きじゃくってお母さんにだけは言えることはあるけど。

でもこの日はいからびるだからずっと我慢してた。僕の石けりの石がどっかに見えなくなっちゃってサヨギは僕の足を踏んだ。

一番年長の男の子が先頭を行くんだけど知らない人だから僕、下を向いて新しい石を探してた。

サヨギは時々、違う女の子とも話すんだけど、僕は話す相手がいなかった。いからびるが嫌だったのは「カズ、友達いないんだ」って言われるからだ。

「・・だ」

「もう泣きそうなんだ」サヨギは舌を出して僕の腿のあたりを軽く蹴った。

オジー、オバーの家でも僕は黙ってて、それが余計可愛いらしい。恥ずかしがってるから。

縁側の向こうでは豪勢な料理が置かれててこの日がいかに大切かは分かるんだ。

オバーはきちんとした着物を着てて座している。オジーはかりゆしなんだけど頭に変な物被ってるんだ。

「よく来たね」

年長の男の子が手に持ってる何かを鳴らして頭を下げると、みんな真似して頭を下げて、三線に乗せて踊り出す子もいる。

僕は踊りが下手だからそのことでもサヨギにからかわれる。サヨギも踊ってた。一番背の小さい僕にも踊ってほしくてオバーは僕を見て「ほい」とか言うと手で踊り出す。

僕はオジー、オバーは好きだから何となく踊る。「いきがえる」って言う。

「カズ、島人じゃないね、あんな踊り見た事ないもん」

「僕、島人だよ」

「じゃ、うちなーぐち話してごらん」

そんなことできる訳ない。教えてもらってないもん。

「サヨギは話せるの?」

サヨギは何も言わずもう一回、今度は強く僕の足を踏んだ。

僕は逃げてしまいたかった。

背中を見せて知らんぷりしてるのがひどくて無視だったり悪口言いに来たり僕はよく大人が言う男が女に振り回されてるんだなーって思ってた。

「泣いたらみんなに言い触らすから」

「それはやめてよー」

「ゴミ箱におしっこしたことももう言っちゃった」

「何でだよう」

あれは寝ぼけてたから。言わないでってあんなにお願いしたのに。でもそれはお兄ちゃんしか知らない事だ。

お兄ちゃんが言ったんだ。

「アー」

「ワー、泣いた泣いた」

「早く帰りたいよー」

泣きすぎて息が上がった僕はオジー、オバーの家に連れてかれた。

「おやおや、何が悲しいの?」

「いきがえるねー」

みんな踊ってた。サヨギは僕が泣いたら知らんぷりで「鹿が泳ぐの見た事ある?」って話してた。

ようやくいからびるから解放されて、僕は一人で帰るのも怖かったけど早くお母さんに会いたかった。

「島豆腐の角に頭ぶつけて死んじまえ!」

「愉快、愉快」それでもサヨギは笑ってた。このことも言い触らされるんだろうな。

回り売りのアイスミルク屋さんがまだいた。

僕はこんなことになる前のことを思い出していた。

僕は泣きながら、「ソーダ味にする」

「何かける?」

「グレービーソース」

「ハッチポッチステーション見るんだ」僕はふんづけられたサンダルで小さい心をけって歩いてた。


僕は夢の中でも泣いていた。


ラクトアイス


「見つけました」

「よし送れ」

僕は土冷だ。ジェラートとミロとオットーはサビエンスだ。

ハピエンスのために場所を探している。

ジェラートはまだハピエンスを見たことがない。

明晰夢を見ていた。自分が夢だと分かる夢。

サビエンスはめいめい携帯電話を持たされる。それからこの堕獄に電波の通じるいい所だけ探してハピエンスに渡す。それが土冷の仕事だ。

いつから土冷になったのかなんて分かりっこない。生まれてからこの仕事だ。

ジェラートが見つけたのはシダが生い茂るいい所だった。ここは暖かい。

堕獄は寒い。コンバットジャケットを着ていなければ凍える。サビエンスは皆、似たり寄ったりのコンバットジャケットを着ているから逃げられもしない。

ジェラートはシダの原に顔をすり寄せしばしその匂いを嗅いだ。

「アー」

何ていい所だ。土冷は七ノ砦に集められる。

今日一日終わったら、また明日一日。その繰り返しだ。

どうして七ノ砦って呼ばれてるか、七つの門があるからだ。その先にハピエンスが住んでいるのか、もっとひどい世界があるのか分からない。

とにかく、土冷は堕獄に最も近い七ノ砦に集められて今日一日終わったら携帯電話を回収されて眠りにつく。

ジェラートとミロとオットーはまだ小さい頃、土冷になりたての頃、同じグループで回ったので今でも付き合いがある。しかし、そのグループのリーダーが気がふれて別行動になったのでそれから会う事も少ない。

ハピエンスに渡すシダは折ってもいけない。いつからハピエンスとサビエンスに分かれたのかなんて考えてもいけない。

七ノ砦に返された携帯電話には履歴は残されていない。昨日、見つけたいい所はもう消去されていてそこの所の地図だけ表示されない。

携帯電話で時間を見てここから帰る時間を逆算して七ノ砦に帰る。その日はちょうど横隊の何人かにミロの姿を見つけた。

収納ケースに集められた携帯電話は泥だらけでハピエンスではないサビエンスの中でもいい所に住んでるリーダーたちがボディチェックをする。

ミロは胸の所を掴まれても黙っていた。

「ご苦労」僕たちは今日の夕飯のザザムシを渡されて帰るんだ。

「ミロ」僕が声をかけるとミロは振り返った。

「ああ」

「疲れてるみたいだね」

「今日はどこも見つからなかったの」

「どこまで行った?」

「さあ、西の方へ歩いていったけどどこも鉄だった」

「僕はシダを見つけたよ」

「そんな所がまだあったんだ」

「ほら」僕はシダが生えていたその根元の土を一握り持って来ていた。

「柔らかい。本当にいい匂いがする」ミロはうっとりとしていた。

「オットーはどうしてる?」

「この頃、会えてないわ」

「ザザムシでも持って行ってやろうかな」

「寒い。もうそろそろ霜が降りるわね」ミロはコンバットジャケットの前を合わせた。

その翌日は氷雪が吹きすさぶ荒天だった。サビエンスの土地では珍しくない。

昨日、誰かが持っていた携帯電話で電波を見ながら歩いていると一本が二本になった。

「近いな」

ジェラートは探り足で歩いていった。そこにはもう誰かいた。

今、電話をかけようとしている。

「よお」

「ここは俺が見つけたんだ」

「そう言うなよ」ジェラートはその男の遺体をその土地に埋めた。

「見つけました」

ホープレス。ホープレスだ。こんな世界にしたのは僕なのか。

成績を上げたらもう少しだけいい所に住める。そしたらリーダーにもなれる。そう信じてた。

携帯電話に電話がかかってきた。折り返しかなと思って通話にするとオットーだった。

「兄さん?」サビエンス同士の通話は禁止されてるはずだ。

「もう切るよ」

「その声はジェラートか。良かった。いい所を見つけたんだ。ここに住まないか」

「何、言ってるの。兄さん、気が変なの?」

「ああ、俺はおかしくなったみたいだよ。でも、不思議だな。気分がいいんだ」

「もう・・」

「昨日、何食った」

「ザザムシだよ」

「それだけか? 俺は芋虫を食った」

「早く知らせて、そこを離れないと罰せられるよ」

「ミロともここで暮らせたらな」

「兄さん、今日行くから、それまで待ってて」

電話は切れた。

七ノ砦に行くと門の前でミロが待っていた。

「どうしたの? 入らないの」

「さっき、オットーに会ったわ」

「良かった。帰って来たんだ」

ミロは少し怪訝な顔をして、「様子がおかしかった」と言った。

ザザムシをもらって帰るとオットーを探して歩いた。

サビエンスの住まいは連帯感が生まれないようにコロコロ変わる。

ジェラートはミロの言っていた西の鉄の所まで来た。そこには三角の屋根のビニールシートが張られていた。

芋虫が焼かれている。

「兄さん」ジェラートが声をかけると「ウー」という声が聞こえた。

「入ってもいい?」ジェラートが入口を上げるとオットーが生のまま芋虫を食べていた。

「兄さん!」気がふれたんだ。こんな顔、前にも見た事ある。あのリーダーがそうだった。

ジェラートは黙って見ていた。涙が浮かんできた。

オットーは食べ終わると、ジェラートのザザムシも剝ぎ取って生きたまま食べ始めた。

ジェラートは下を向いて泣き始めた。

「兄さん、ほら、この匂いだよ」

オットーの目の前まで手を持っていってあのシダの匂いを嗅がせた。

オットーは横になった。

「本当に、こんな所に住めたらいいね。兄さんの言う通りだよ、ミロと三人でハピエンスでもサビエンスでもない生活ができたらね。誰か来たら殺してやる。そうだ、そうしようよ。僕はもう一人、殺してるんだ」

「お前、人を殺したのか」オットーが口を開いた。

「芋虫、焼けてるよ。殺したよ。リーダーになりたくて、そうしたら兄さんもミロももう土冷じゃなくなるんだよ」

オットーは笑った。体を折り曲げて笑った。

「ハピエンスなんてほんとはいないんだ」オットーは横を向いたままで言った。

「俺たち、騙されてるんだよ。俺は前、行ったいい所に行ってみたことがある。そこ、こことおんなじになってた。目的は分からん。それが堕獄だ」

「じゃあ、七ノ砦は?」

「サビエンスだけの世界を作る基地みたいなものさ」

ジェラートはオットーの親指が出ている靴に触ってみた。

足の指は冷たくてここから気が狂ってきたのかなと思った。

「僕、シダの所へ行ってみるよ。明日、確かめに行く。兄さんの言う通りだったら・・」

「やめたほうがいい」

「言う通りだったら・・」

ジェラートは立ち上がった。出ると焼いた芋虫をひっくり返してしまった。

携帯電話を持って歩いていた。覚えがある所まで来ても電波は通じないし、暖かくなかった。

シダはどこへ行った。あの原は。

重たい鉄で覆い隠されている。兄さんの言う通りだった。

誰が何のために。

僕は芋虫のように氷雪を這い進んだ。

氷雪が降ったのは昨日のことだから見つけたその日の内に埋め立てちまったらしい。

さようなら、ハピエンス。僕のいい所。

僕はホープレスの中でいつも未来を見ていた。

ゲートボールくらいの小さな太陽が生まれて消えた。

七ノ砦はどの門から見ても七ノ砦なんだろう。

連帯感が生まれないようにバラバラにされて、そのグループのリーダーが気が狂って、気が付いた人から気がふれて・・。

今度、いい所を見つけたら電話してみよう。誰かにつながるかも知れない。

僕の体から蝶が出てきた。僕も気がふれたんだ。兄さんの言う通りだったから。

ああ、空は冷たくてむかごのようだ。ザザムシと一緒にむかごも食べれたなら兄さんも芋虫を食べることはなかっただろう。

居並ぶ電波。誰が予想しただろう。

僕はコンバットジャケットを脱いだ。紋黄蝶が腹の中で踊っている。僕も芋虫を食べたんだ。

蝶の夢がまだ覚めない。


変わらない雪の中で


 パーフェクナールと比べて眠るだけで片輪になる。

ヤエカはパーフェクナールのホロヴィッツと結婚した。二人の間にはナリーという女の子が生まれた。

パーフェクナールのホロヴィッツが片輪のヤエカと結婚したのは常識的な家庭に育ったからだろう。

パーフェクナールは心臓が弱い。

「お気をつけて」

ヤエカはいつもそう見送る。ヤエカとナリーは同じ緑色の目で、段々、ホロヴィッツに似てくるようだ。

ホロヴィッツは機械工学をやっている。パーフェクナールは何でも、その昔、ハピエンスに渡された所に住んでるそうだ。

地球は今、パラサイトされている。サージェントボックスという精神異様体が取り付いているのだ。パーフェクナールは愛国者だからその仕事でホロヴィッツはいつも遅くなる。

「ママ、フレンチトースト作って」

「ナリーはフレンチトースト好きね」

「うん。好き。だから作って」

卵にひたして牛乳をかけると人工フレーバーで味付けをする。

「ほら、焼き上がりましたよ」

ナリーは迷い子だ。ヤエカが見たところ、片輪でもパーフェクナールでもない。眠らないし、パーフェクナールのように機械のようでもない。

ホロヴィッツはヤエカのことを「のろま」と酷評する。ナイトウェアに身を包んで愛し合ったのはあの時だけだった。

娘にはかわいそうなことをした。ヤエカはまだ椅子に座ると床に足が付かないナリーを見ていた。確かに泣かない。生まれた時を除けばパーフェクナールは泣かない。泣くのも片輪の証拠になる。

ヤエカには手約束をした男の子がいた。あれはメモリーデイ。片輪には片輪の子が似合うんだろうか。

ホロヴィッツは「サージェントボックスには僕は関わってない」と言う。進化の極北にいることは片輪もパーフェクナールも分かっている。

だけどパーフェクナールはサージェントボックスと何をやっているのだろう。片輪には詮索することも許されない。パーフェクナールの土地に住んでいるだけでヤエカは片輪のグループからも外れていることになる。

食べ終わったナリーがきちんとお皿をキッチンに戻しに来た。自分でも気付かない内にヤエカはキッチンに立ち尽くしてボーッとナリーを見ていたのだ。

ヤエカと比べてもナリーは顔が小さい。自分のママを見てもだんだん顔が小さくなるようだ。洗われていくのだろうか。

未来の人類には顔がないのではないだろうか。

ナリーは行き先も告げずに出て行った。「どこに行くの」と言えば「遊びに行く」と言うのだろう。「片輪に気をつけて」と言いそうになって「気を・・」と言っている内にドアは閉められた。

「ハッチポッチステーション見るんだ」と言ってクムルは埋め立て地から出てきた。向こうからパーフェクナールの女の子が歩いて来る。片輪のクムルには見ただけでパーフェクナールと分かる。

リンネルの服を着てる。クムルは鼻を拭いてあっちを向いた。寒くねえのかよ。

女の子が走って来て前で止まった。

「あんた、知らんぷりしたでしょ」

クムルはナリーの緑色の目を見ていた。

「片輪のくせに」

「そう」クムルはナリーの横を通り過ぎた。

「やーい、泣いてみろ」後ろでそう聞こえたかと思えば咳が聞こえた。

ちょっと振り向いてみると女の子が蹲っている。

「どうしたの?」

「心臓が痛い」女の子は涙ぐんでいる。

クムルは背中を叩いてやった。

「寒くないの?」

「部屋、暖かいから」女の子はようやく起き上がって忘れたように膝を払った。

「私、ナリーよ。ママは片輪なの」

「もう走らない方がいいよ」クムルは立ち去ろうとした。

「のろま」ナリーはそう言ってまた走って行った。

ヤエカは眠っていた。ホロヴィッツの前ではそうそう眠れない。リビングで寝ることは一時の娯楽だった。

「ママ、フレンチトースト作って」気付かない内にナリーが帰って来ていたらしい。

「さっき食べたばかりじゃない」

「半分こして作って」

「誰かと食べるの?」

ナリーは肯いた。

人工フレーバーをかけ過ぎた。卵と牛乳を明日、買って来ないといけない。

切れ目を入れてお皿に取り分けた。

「これじゃないの」

「お皿じゃないの?」

「お外で食べたい」

「お行儀の悪い子ね」ヤエカはワックスペーパーで包んで持たせた。

「ママ、さっき寝てたよね」いつしかホロヴィッツに目の付け所まで似てきた。

「寝てないよ。でもパパには内緒にしてね」

「うん。行ってくる」

ナリーは片輪の住む場所までやって来てゲホゲホと咳をしながら歩いた。ガレキみたいな物を屋根にして暮らしている。

あの子の履いていたサンダルが置いてあった。一際大きく咳をしてみた。ガレキの中から笑い声がした。

ガレキを蹴ったらアンテナまで落ちて来た。ナリーは隠れた。

「何だよ、映らなくなっちまったじゃねえか」あの子が出てきたところで顔を見せた。

「君、何かした?」

ナリーはフレンチトーストを口に挟んだ。

泣きそうな目で見ている。

「欲しいの?」

あの子は肯いた。

「名前教えてくれたら半分こしてあげる」

「クムル」

「変な名前」ナリーは後ろに隠していた半分をクムルに渡した。

ナリーは知らんぷりして歩き出した。クムルはついて来る。

家の前まで来ると、「ここまでじゃなきゃだめ」と振り向いたが、クムルはまだフレンチトーストに一口も口を付けていなかった。

大きなドアを閉めると、鍵を開けて、エレベーターを待った。

クムルは初めてフレンチトーストに口を付けて、ナリーが帰って行った張り子のように大きな建物を見上げた。

ここに僕のママが住んでいるのか。自分でも分からない何かが、多分、本来備わっているだろう本能みたいな物がナリーじゃなくて僕のママがと告げていた。パーフェクナールはもう失っているのか。

「あなた、帰って来てたの」

夜、ヤエカはベッドで寝ていた。気付かない内にホロヴィッツが横で座っていた。

「眠る女だな」ホロヴィッツは膝の上で指を組んでいる。

「何かあったの?」ヤエカも起き上がって、寝ぐせそのままであくびをした。

「あくびなんかするな!」ヤエカは結婚して以来、初めてホロヴィッツの怒号に接した。

「びっくりした。ナリーが騒ぐわ」

「悪かった」ババシャツだけになったホロヴィッツの背中は頼りなく見えた。

「愛しているよ。それは本当なんだ。でも愛し方が分からない」

パーフェクナールも弱い人間なんだ。

ホロヴィッツはまたベッド室から出て行った。

泣けない分、サビエンスだ。

蒼明とでもいうんだろうか精神異様体にパラサイトされた地球の夜明けが緑色の目に映っていた。

振り返ったホロヴィッツはだんだん顔が小さくなっていくみたいだ。

「ママいないの? いらないの?」

クムルは家の前まで遊びに来ていた。

クムルはボール遊びをしながらナリーを見比べていた。

片輪の間では実しやかに囁かれている事がある。

「君のパパはパーフェクナール?」

「そうよ」ナリーはボールを蹴ってよこした。

パーフェクナールにはパーフェクナールの子供を。

今の時代では片輪がパーフェクナールと結婚することは珍しいことではない。

わざと取り違えるのだ。生まれた時、パーフェクナールの間に片輪の子が生まれたらその時から振り分ける。

パーフェクナールかどうかは生体反応ですぐ分かる。片輪の間では「俺は実は・・」と言う奴が多いがそのほとんどは嘘だ。この噂だって話半分だ。

「私のママはね、私と同じ目が緑色なの」

「やっぱり寝るんだろ?」

「寝ないわ。我慢してうちにはベッドもないのよ」

クムルはボールを拾ってナリーに投げた。体に当たった。

ムッとしてナリーは家に入っていった。

このボールは誰のものだ。クムルはそっと自転車置き場に放った。

「かたわの子ママいらないんだって」

「どこで聞いたの?」

「とっととカビンソンに帰ればいいのに」

カビンソンとは海の向こうにあるという大陸である。サビエンスに用意された地という意味のお話である。

「今度泊まりに来てもいい?」

「お友達?」

「いからびるの日にする」

「ちょっと待って。お友達って・・」

ナリーはトイレに入ってしまった。

今日はホロヴィッツが早めに帰って来てくれたから三人で夕食を取ることができた。

「パパ、一緒にお風呂入ろう」

「ん? ああ」

「どうですか、サージェントボックスは」

ホロヴィッツは口を拭いた。

「思わしくない」

グレービーソースをナプキンに残してホロヴィッツは席を立った。

ナリーが椅子をガタガタ揺らしてヤエカの耳元まで来た。

「ねえ、ママ、ラクトアイス用意して」

「そんな物が食べたいの? あれは良くないわ」

「でもかたわの子にはラクトアイスでしょ?」

「ま、ナ・・」

ホロヴィッツが帰って来ると二人ともすまして食べ続けた。

ナイトウェアに着替えてベッド室で髪をすいているとお風呂から二人の声が聞こえてきた。ナリーが笑って何か言っている。

まだ子供だ。ヤエカもそっと笑った。

「ママ、おやすみ」

「ちゃんと体拭かないと風邪ひくわよ」

「おやすみ」はヤエカへだけの言葉だ。

ホロヴィッツがベッド室に入って来た。

「何か?」

「今までありがとう」

鍵を持っているのでどこかに行くのかと思って「お気をつけて」と言った。

「おやすみ」

「帰りにラクトアイス買って来て」

「ラクト?」

「私が食べたいの」

朝起きるとラクトアイスがそのままテーブルに置いてあった。いくら冬でも溶けてしまうだろう。もう一度凍らせた。

ナリーがトイレから出て来た。もうナイトウェアから着替えて法被を着ている。

「走っては駄目よ」

ナリーは冷凍庫を覗いている。

「この味しかなかった?」

「水色のしかなかったって、パパが」

「どれも同じに見えたんじゃない?」

「走っては駄目よ」ともう一回言って、ナリーに靴を履かせた。

「サンダルがいいー」

ナリーを送り出すと遅い朝食を取った。

今日の夢はどんなだっただろう。パーフェクナールは夢を見たことがない。それがどんな物か想像もできないだろう。

法被を着ているのはパーフェクナールの子で、着てないのは片輪の子だ。

この日だけはみんなうちなーんちゅに帰る。

ナリーはクムルの横を歩いた。

「帰り、私のうちに寄ってね」

「何で?」

「何でも」

クムルは適当な石をけって歩いた。いからびるは片輪の街には寄らない。

オジー、オバーは片輪が普段入れないパーフェクナールに限られる。

この日だけはみんな鍵を開けて子供たちを待っている。片輪の子は後ろからついて来る。

何かもらえる訳ではないが子供だからしょうがない。

「いきがえる」オジー、オバーは踊りも忘れて子供たちを出迎える。

見られるのはパーフェクナールの子供たちだけで連帯感はない。

オジー、オバーの家を回る度に卑屈な気分になっていく。

パーフェクナールはパラサイトされているのに割合、知らんぷりだ。

サージェントボックスの何かを知っているのだろうか。僕なんか夢に見るくらいなのに。

石が黄昏に消えてようやく家に帰る時、ナリーがクムルと手をつないだ。

「帰りたいよ」

「こんなことで疲れたの? 眠るんでしょ? 私のうちでママと寝るといいわ」

クムルは片輪の子からも白い目で見られた。

知り合ってから振り回されてるような気がしてクムルは手を解いた。

「いいよ、行くよ」

ヤエカは玄関に出た。

「トリックオアトリート」ナリーだった。

笑って鍵を開けると男の子もいた。

「ママ、ラクトアイス、ラクトアイス」

「お友達?」ヤエカはクムルに顔を近づけた。

サンダルを履いて法被を着ていない。ヤエカは上がらせてホロヴィッツが帰って来なければいいがと考えていた。

「美味しいの?」ラクトアイスを食べてるのはクムルだけだった。それをナリーが見ている。

「まあまあ」

ナリーは席を立って、冷蔵庫から何か取って来た。

後ろからクムルのラクトアイスに昨日の残りのグレービーソースをかけた。

「ナリー!」

「泣かないんだ」

クムルは食べ続けていた。ナリーは泣いた所が見たかっただけかも知れない。でも、ヤエカには叱り方が分からなかった。

「ごめんなさいね、さっきは。もう帰るんでしょ」

「私のうちに泊まっていくって約束よー」

それはいけない。ホロヴィッツが何て思うか。

「さ」ヤエカはそっとドアを開けた。

ナリーが走って来て、クムルの手を引っ張った。

「ナリー、ね」

「駄目よ」ナリーは手を離さなかった。

「パーフェクナールって嘘つけばいい。パパだってそれで許してくれる」

「じゃあ、どうして寝るの」

「私だってママと一緒に寝てみたい」

ナリーの息が切れている。あれだけ走っただけなのに。休ませるために部屋に連れて行った。

クムルは帰るに帰れないでいた。

「おばさん」

ヤエカは笑ってベッド室にクムルを入れて鍵をかけた。

「おばさんも片輪なのよ」

「ナリーから聞きました」

「シングルベッドだから少し狭いけど」

「僕、眠れません」

「ベッドに入ったらきっと眠くなるわ」

布団を広げて二人とも横になった。

「パラサイトされてるのにパーフェクナールはどうして気にしないの」

「きっとパーフェクナールのようにサージェントボックスは完璧に近いからじゃないかな」

「サージェントボックスってきっとおばさんの目のように緑色だね」

唇のそばに指を持っていって「シィ」

「自分を死なせるの。深く眠れるわ」

クムルは瞼を深く下ろした。

「夢も見ないでね」気付かない内にクムルの髪を触っていた。

「おやすみ」初めて自分から言った。

部屋は暖かい。

カビンソンは雪の一色に染まっているだろう。根を下ろして。

朝になるともうクムルはいなかった。

やっぱり寝てしまう何かがあるんだろう。

動物が静まる時。

クムルはクリスマスから取ったの? もうすぐ雪が降るね。

きっとそのとき・・。

「あなた、知ってたんですか」頬が震える。

ホロヴィッツは肯いているのか下を向いたままだ。

「ホロヴィッツ」

「片輪の君には仕方ないんだ」

ホロヴィッツが全て打ち明けてくれた。

サージェントボックスがパラサイトしているのではなくて、人類全体が地球にパラサイトしていただけのこと。

パーフェクナールはそれを最初から分かっていたこと。

サージェントボックスの目的は地球を取り返しに来たことと、パーフェクナールが生まれるようにすること。

なぜなら、パーフェクナールは宇宙へ行くから。ヤエカはナリーとも引き離されるらしい。

「嫌です。ナリーは私の子供です」

「二人の子供だろ」

それから、サージェントボックスはパーフェクナールをもっと進化させてくれること。

「甘い汁吸ってたわけですね」

「僕も努力はした。気の毒だが」

ヤエカはハッとした。ナリーが聞いていた。

「ナリー」

「いいんだ。ナリーにも関係する話なんだから」

ホロヴィッツはナリーを隣に座らせ、これまでの経緯を話していた。

「どっちに行きたい?」

「ママと離れるのは嫌だけど・・」

ヤエカは頭を押さえてベッド室に行った。自分でも真っ白い顔をしているのが分かる。

まさか片輪だけが地球に取り残されるとは。

「˝アー」ヤエカは声を出して泣いた。

ホロヴィッツと結婚した私は何だったのだ。

リビングではもう結論は出てるだろう。きっとナリーは行くに違いない。パーフェクナールだから。

夜にベッド室から抜け出してナイトウェアのままで雪を見に行った。

風のオリオン駅を降りる。風のオリオン駅は片輪のあの世だ。あの世は未来に通じている。

未来を覗き見するとあなたといたかったわたしがいなかった。

晩白柚のようなぎこちない夕日が沈んでいく。

初めて降る雪を見た。

――何食はぬ顔で色を抜いていく雪は寂しい。

色のない雪。

私は溶けない雪。

未来から帰ると雪が降っていた。

海のネオンサイン。人工的な雪のフレーク。私はそれしか見たことがない。

人霊のような光を探してロングストリートを歩いていると自分がやった事は全て別人のような気がした。神様。

虹は地上に降った星。

ロングストリートからはパラサイトが見える。ホロヴィッツは「マザー」と呼んでいた。

ヤエカは手を伸ばしてみた。届くはずないのに。

いつかの手約束に似ていた。

五本指を握って手を戻すと手に何か残っていた。

それは雪のひとひらに似た「マザー」だった。

頭の中にパラサイトがある。

出会いと別れ、偶然の中で必然を掴み取ること。

偶然と出会い必然を選ぶ。

もっと教えて、もっと・・。

偶然と必然を全て越えて采配がある。

「さいわい」

マザーは手の中で溶けていた。

ナリーの所へ帰ろう。もう長くはいられないのだから。

私のナイトウェアは雪のように白いわ。

巨大な基地のような船が建造されている。パーフェクナールがこんなにいたのかと驚きたくなるほどだ。

パーフェクナールはサージェントボックスを持って行くと言う。

サージェントボックスはマザーでありカオスであることを知らない。

ヤエカはなるべくナリーと一緒にいた。娘が不憫だったからだ。

「ねえママ? 私がいなくなったらクムルくんも一緒に育ててね」

「分かったわ」

「あの子、まだサンタさんを信じてるの」

「ナリーも気を付けてね。ここが弱いんだから」ヤエカはナリーの胸をまさぐった。

ナリーは身を捩ってヤエカに抱きついた。

「ナリーも分かってたの? パラサイトのこと」

「何となく」

あれからホロヴィッツは家に帰って来ない。

ナリーがもっと進化したらどうなるだろう。きっともっと顔が小さくなって見分けが付かなくなるんじゃないか。

私はどうだろう。

「あの子の本当のママになってあげてね」

「ナリー」ヤエカはナリーを抱きしめてそのまま揺らした。

「まだ帰らないで」

「何だろう、目がグッてなるよ」

「泣きたいよ、泣きたいよ、って目が言ってるのよ」

「私、泣きたくないよ。ただ寂しいだけだよ」

「それが人間だよ」ヤエカはナリーの髪を上げておでこにキスをした。

「愛しているわ」

「心臓も痛いよ」

春雪の中、ドリス・デイの「センチメンタル・ジャーニー」がかかっている。

汽車の旅は素敵さ

たとえブルーでも

パーフェクナールが船に乗り込む日だ。

ヤエカは外に出た。ロングストリートに巨大な基地のような船が何艘も停まっている。

そこにはクムルもいた。ナリーに呼ばれたらしい。

ナリーはクムルと話していて、ホロヴィッツがヤエカに近づいて来た。

「お気をつけて」

ホロヴィッツは下を向いて鼻を吸った。

「君も」

二人とも肯いた。

クムルが駆けてきた。ヤエカは思わず抱きしめた。

何も入ってない体。

まだ生まれる。ヤエカは自分の腹を触った。パーフェクナールがまだ腹にいる。

巻き添えになるのか。

「サンタ」クムルがサージェントボックスを指差した。

サージェントボックスはそれぞれ違う物に見えるらしい。それぞれ母が違うように。

パーフェクナールには皆、同じに見えるのだろうか。自分たちの「マザー」に。

汽車の旅は素敵さ

たとえブルーでも

ユキノシタが往年の地球を思い出す。

「ナリー」クムルが離れた。

ナリーは船から降りて後ろに手を隠して歩いて来た。

「バッ」ナリーが一気に抱きついてきた。

リンネルの襟を直してやって顔を胸に当てて鼓動を聞かせた。

「さよならできる?」まだ手はリンネルの襟を直している。

ナリーは首を横に振った。

後ろではホロヴィッツが立って待っている。

「どうしたらさよならできる?」ヤエカは自分と同じ色のナリーの目を見た。

「ママも一緒に来て」

「ママは・・」ヤエカは下を向いた。

後ろからホロヴィッツがナリーの手を引いた。

「ホロヴィッツ」

ホロヴィッツは軍服のような服を着て光のままに溶け込んでいる。

「何か言わせて」

ヤエカはナリーの肩を揺らした。最後に、

「キスと飲物持たせて」

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