付き合ってるって本当ですか
付き合ってるって本当ですか
森川 めだか
花
ここは日本の縮図。
長崎、五島沖。
男女群島、女島。
私たちは下敷きの上に生きているに過ぎない、そう思う事があった。
モノグラムの数だけ人生がある。
これは
第三小学校、分校。
女島灯台を霞に眺める屋上で私は千津留と二人きりだった。
「辛くない?」
千津留は一昨年、台風の事故で灯台守だった両親を亡くしたばかりだった。
不幸中の幸いで、この島は家族を大きくしたようなものだったので庇護されている。
子供とは残酷なもので、学校ではみんなからどこか、忌避されていた。
「よかよ」千津留は言った。
「
千津留は口蓋裂だった。それも距離に拍車をかけたのかも知れない。
昔は兎口と言ったが、鼻の下が裂けてて口が三つあるように見える。
「今日、早退するんやって?」私も手すりに腕をかけた。
千津留は、うんと肯いた。
千津留は
こんな田舎ではする事がないから成熟するのが早い。
私も、恐らく千津留も他の子供のみんなも薄い板の向こうで両親の情事を聞いて育った。
「気分、悪かと?」
千津留は違う意味で受け取ったらしくニッコリ笑った。
「これから? 手術」
「ますます綺麗になるんやね」
「そんなこと・・」千津留は顔を伏せた。
「気を付けてね」自分でもなぜそんな事言ったのか分からなかった。
島の診療所ではなく、本島の病院でやるのだろうから船のことを心配したのだろう。
私も、忌避していたのかも知れない。
ここではあびきがよく起きる、霧も出る。灯台から灯台を目指して死者も出る。
千津留の両親も灯を守ろうとして亡くなったのだ。
「そろそろ弁当の時間やね」チャイムの前に千津留が言った。
「腹空かんわ。あっちで食べよるん?」
「絶食やて。終わっても流動食やけんしばらくは帰って来んよ」
「見納めばい」二人で並んで女島灯台を見た。
「さびしくて」ちょうどチャイムが鳴った時に聞いたから後の方は想像するしかなかった。
私は階段を降り、弁当箱のような教室に戻った。
千津留は職員室から付き添われ、校庭を真っすぐ裂いていった。
この島にはラデスチャンという村に代々伝わる気ぶりの家系がいる。
私の生まれた時から長屋の一角に閉じ込められてて、その格子戸が開くことはない。
この島の恥だからだ。
目をよぎるとフクロテナガザルのような大声を出す。
村の小学生の男子たちは肝試しによく使い、中学生になると相手にしなくなるこの村に染まる、高校生になるとこの島を出る。
千津留が帰って来た。
顎を押さえ沈鬱な面持ちで船を下りた。
「取り切れなかった」らしい。
話す言葉はしっかりしていたが、顎堤がぼこぼこになっていた。
千津留の口蓋裂が失敗したという噂は村中を駆け巡った。
良かれ悪しかれ、家族を大きくしたようなものだったから誰も千津留に近寄ろうとしなかった。
綿男君だけはサッカーに千津留を誘い屋上で話していた。
綿男君は誰にも染まらない。きっと千津留を好きなんだろうな。
岡惚れと知っていながら、見記は綿男のことが好きになってきた。
千津留が好きだから好きになる。それは逆説的だが、優しい人なんだろうなと思うには十二分だった。
小学生ながらその先に何があるのか知っていたから、見記は愛し合いたいだけなのかと悶々とするのみだった。
鳥
綿男君を一人校庭に呼び出した。
綿男君は網で包んだボールを紐を付けて蹴っていた。
そのボールは土で汚れていて剥がれていた。
この島の土だけでそんなに汚れるものなのか。
もう死んだ魚を蹴っているようで気味が悪かった。
「何ね?」と綿男君は言った。
見記は綿男と話したことはほとんどなかった。
「おかしかばってん、こんな所で会うなんて」
やはり男は餓鬼だ。
ただ好きになった者の負けだ。
「千津留、どうしとるん?」
「自分で聞けばよかろ」
「聞けんから困っとるんやろ」
「それ聞きに来たんね?」
「違う」
綿男君はボールを蹴る仕草を止めた。
「付き合っても平気ですか」
綿男は眉根を寄せた。
「付き合うって何すればいいの」
「手つないだりとか、デートやろ」
「見られんけん、そんなの」
「やっぱり、千津留のこと・・」
「よかよ」綿男は後ろを向いてボールを高く蹴り上げた。
「今夜付き合う」綿男君は振り向いた。
初デートは真夜中の肝試しだった。
「鈍痛がするっちゅうとった」
真夜中は虫と草の濃密な匂いがして蒸せかえるような月の晩だった。
二人は細い畦道を通って砂を固めた道を歩いた。
ラデスチャンの家からは灯台は見えない。それが罰のような気がして私は無理に明るく振る舞った。
こんな夜にフクロテナガザルの声なんか出されたりしたらどうするんだろうと思いながら女人禁制の地に踏み込むような感じがして気が急いた。
「ラデスチャンってどんな人?」
「ただの馬鹿や。金投げると怖がるわ」
私は笑った。
綿男君も笑ったが、足はボールを蹴りたそうにしていた。
「五円玉持っとる?」
「おかしかやつやね。財布忘れるなんて、持っとっとやろ?」
「千津留は何ちゅう大きか財布持っとっとやね」
「あれはお母さんのばい」
「そっか」綿男君から五円玉を少し分けてもらって汗で握った。
「どうすればよかと?」
「あいつば出て来たら投げつければよかと。泣いたら賽銭箱と思うやぞ」
「起きとっと?」
「おいば起こすけん」
「おかしかよ」
月の光にさらされて格子戸が見える。
「手が出てる」
「よかばってん」綿男君はその手に向かって遠くから五円玉を投げつけた。
五円玉はチャリンと音を立ててはね返った。
手が伸びて五円玉を拾った。
「小学生の餓鬼か」ラデスチャンの話し声を初めて聞いた。
「気ぶりが何言うとぞ!」綿男君は震えていた。
「お前は俺の終わりだ」ラデスチャンは格子戸を激しく揺らした。
綿男君は私を残して一人逃げ出した。
もう見えなくなってから、「こいでこいで!」と綿男君の切羽詰まった声がした。
初め何の意味か分からなかった。
「来い」という意味なのかと分かった時には、私の手の中は金の匂いでいっぱいになった。
風
二時間目。
合唱コンクールの練習が始まった。本島で行われると言う。
たとえば君が傷ついて
くじけそうになった時は
かならずぼくがそばにいて
ささえてあげるよその肩を
世界中の希望のせて
この地球はまわってる
いま未来の扉を開けるとき
悲しみや苦しみが
いつの日か喜びに変わるだろう
アイビリーブインフューチャー
信じてる
教室に戻ると、机に津見記と書かれていた。これみよがしにクラスの女子たちがこっちを見てヒソヒソ話をしている。綿男君がバラしたのか私と綿男君が付き合っていたことはまたたく間に広まった。
先生が入って来た時に、「ヘンゼルとグレーテルみたいね、魔女を殺してさ、お菓子の家を自分のものにしちまうんだ」と言い放った子がいた。
クラスのまとめ役だった子だ。
これで私の立場が決まった。
クラスであびきが起きている。
千津留と綿男が付き合ってなかったことは明白だ。
それも女子の怒りを買ったのだろう。
私は授業が終わるまで窓から灯台を見ていた。
ハレの日とケの日がある。
不作の日はケで、ちぐはぐにみんなの敵になった日はハレだ。
オマール海老やムール貝をお供えするように、形の分からない何かに空気という役割を与えられる。
海影が千津留だっただけだ。
千津留が爆ぜた。
気が狂った千津留は椿の原の前に陣取って消火栓を脚でかにばさみしてアーアー喚いている。
「何しとっとよ」
口では言うが、誰もが止めようとしなかった。
両親を亡くし、傍惚れだった綿男にも裏切られ、もう千津留は花を落としてしまった。
私と同じ、実を咲かせない
赤も朱も緋も千津留には焔に見えるのだろう。
消火栓に座って開けようとしていた。
「綿男ば呼んで来るばい」
「よかよ」そう言った父は私に向き直った。
「綿男君ば何しとると?」
「しんぱいですね」そう言った瞬間、愛し合いたいだけなのかに答えが出たような気がした。
こんな乳臭い恋も家族には知られてしまうのか。
血筋は何よりも赤い。火や焔よりも椿や灯台よりも。
まだ寒い春の日、椿は花を咲かせる。
それから濾し取る油が女島の唯一の産業だ。
皆はこれからを心配していた、千津留がヒメコの家系になるのは時間の問題だった。
月
木立を稜線が横切っている。
椿の花は真っ赤でまるで幽霊のように見えた。
ボタボタと幽かにどこかで花散らしの音が響いた。
一点を引いた。
一本の線から。
首から下がない椿が泣いている。
私は思い切って両親に転校の相談をした。
千津留も両親がいたら違っていただろう。
「しょうがあるめえ」父は煙草を吸って立った。月を愛おしそうに見ていた。
母の実家のある山口下関に転校することが決まった。
私は一人で夜、女島を歩いた。
「見納めばい」
遠くに女島灯台が光っている。
誰が狂っても、誰が死のうとも、暗渠のように圧し潰された河が広がっているのだ。
千津留が開けられなかった消火栓はこの島のもう一つの顔ではないか。
この島は油で出来ているのだ。
ほら、鬢付けが光っているではないか。
山笑う
お別れの会が開かれたが私は出席しなかった。
職員室で初めていじめられていたことを報告した。
「そう、大変だったわね」東京から来た若い女の先生はそう言っただけだった。
「誰にでもあることだから」肩を叩いて、「あっちでは頑張ってね」
「はい」私は泣けてきた。
「
驚いたことは転校先の生徒たちが第三小学校の人より遥かに純朴だったことだ。
足をかけられることもなかった。
「見記ー、屋上でご飯食べよ」
「よかよ」
「よかよ」
「よかよ」皆、口々に笑って口真似をした。
男子はもう恥ずかしがってあんまり女子とも話さなかった。
私も恥ずかしがってもう誰のことも好きにならなかった。
転校先からは灯し火は見えない。この海から誰もいなくなっても、新しい灯台守を誑かすのだろう。
私が知らなくても、灯台は光っているのだ。
角島灯台の下で私はみんなからの見てはいけないものを焼き捨てた。
もしも誰かが君のそばで
泣き出しそうになった時は
だまって腕をとりながら
いっしょに歩いてくれるよね
世界中のやさしさで
この地球をつつみたい
いま素直な気持ちになれるなら
憧れや愛しさが
大空にはじけて
アイビリーブインフューチャー
信じてる
いま未来の扉を開けるとき
アイビリーブインフューチャー
信じてる
どこからか椿の匂いがする。
それは海の匂いだった。
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